林檎の花、龍の爪

波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。

2015年5月18日月曜日

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つまり、古来中国の秦一族では無い。大秦の秦であります。 禹豆麻佐(うずまさ)と云う姓を貰ったのでありますが、太秦の漢字を当て、土地名にした。どう考えても、太秦(うずまさ)とは読めませんな。 奈良法隆寺建設の折り、胡人を雇ったと云う記述が残っている。河勝の一派だったのではないか?...

中沼〔長沼〕

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○  秦系氏族の姓氏 及びそれから発生した 主な苗字 をあげると次の通り。 (1) 弓月君一族の後裔 ……応神朝投化。   秦公(録・河内)、秦造(録・左京)、秦連、秦忌寸(秦伊美吉。録・左京、右京、山城、大和、摂津、河内、和泉。下司-丹波国山国住。なお、散楽の金春、竹田は、大...

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1   中国古代の秦王朝が卵生説話をもち、鳥トーテムをもつ部族であったらしいことは、中国神話の研究家白川静氏*33が指摘するところである。秦の卵生説話は『史記』の秦本紀に見え、その祖女脩が機織りをしていたとき、玄鳥( 黒い鳥。一説に燕とされるが、それに限らないと思われる )が...

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インドから来た秦氏 秦野という地名からして、最初に住み着いたのは秦氏の一族と考えられる。 秦氏は、朝鮮半島から来たらしいが、朝鮮人かと言うと、 そうではないらしい。 秦氏は、遠くペルシャあたりから朝鮮半島を経由して日本に来たらしい。 朝鮮半島を経由して日本に...

信州諏訪大社

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長子をルベン。イスラエルを逃れたルベン族はコーカサス「高」を越え山(主)として石川に漂着。岐阜県飛騨高山へ。白山菊理媛に見る象徴を菊花こと太陽。ゆえに日本の国旗は太陽を表し、ミ印を菊とする。飛騨高山の首長を山本氏。大嘗祭には高山の山本家が一位の木の笏を天皇に授けた。飛騨より北上...

天文22年(1553)

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長沼城(長野市穂保)   長野市中心部から須坂市方向に向かうと千曲川にかかる村山橋があるが、ここの北1㎞が城址南端。  完全な平城であるが、何しろ横は千曲川であり、何回かの洪水を受け、また、千曲川の新堤防建設で城域の一部が河川敷となったため、ほとんど何も残っていない。  現在は...

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広田砦(広田城)(長野市稲里町田牧) 現在の広田集落全体が城域であり、東が昌龍寺付近、西が東昌寺付近までがその範囲であったらしい。 しかし、今はほとんどが宅地になってしまい、東昌寺に土塁が残るのみで、城があったという感じはまったく伺えない。 この城は武田方の川中島中央部の押さえ...
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