林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2015年8月26日水曜日
中村常陸守入道宗村、法名念西
›
一 はじめに - 伊達氏についての概観 藤原泰衡追討の文治五年(1189)奥州合戦の際、その最大の激戦ともいえる陸奥伊達郡の石那坂で戦功をたてた者に中村常陸入道念西の諸子がある。この一族は、のち戦功の地・伊達郡を与えられて常陸国真壁郡伊佐庄から遷住し、地名に因み伊達氏を名...
常陸入道念西諸説
›
伊達氏伊達家の祖は『 常陸入道 念西』という人物だと確認できるのだが、 この人物の出目がはっきりとしていない。 常陸入道 念西が朝宗とする説もあれば、政宗そんな伊達氏の歴史が大きく動くのは奥州合戦の頃だ。 https://books.google.co.jp/books?is...
常陸入道念西
›
常陸入道念西 (ひたちにゅうどう ねんさい)は、 平安時代 末期の武将。 鎌倉幕府 の 御家人 。通説では 伊達氏 の初代当主である 伊達朝宗 に比定されている。 文治 5年( 1189年 )の 奥州合戦 の 石那坂の戦い (現在の福島市飯坂)で息子の 為宗 、 為重 ...
嶋津泰忠
›
信濃島津氏ですが、甲越の争いに際し、当主安房守は後越後上杉を頼りますが、武田を頼った分家が他にあったようです。川中島戦以降も安房守は同じく越後に身を寄せ、後の謙信死後の御館の乱では景勝につき、武田を滅ぼし川中島に入った織田の森長可が本能寺での変で上方へ去ると、上杉軍の一員とし...
嶋津久長
›
元亨三 嶋津久長、子ほうしゆに、水内郡太田庄神代郷内の田地を譲る、、、 33 / 554 ページ 元亨三年五月二〇日(1323) 嶋津久長、子ほうしゆに、水内郡太田庄神代郷内の田地を譲る、 正中元年三月、島津家文書目録注せらる、 https...
常陸入道
›
越後時代(文禄年間) 名 知行高 記載名 備考 順位 越後 侍 中 序列 天正 年間 直江兼続 53217石 山城守 樋口 兼豊の子、 直江 景 綱 の 継嗣 1 3 須田満親 12086石 相模守 信濃衆、満 胤 (直江兼 続 の継嗣)の父 2 22 小国実...
2015年8月13日木曜日
斗南の星
›
私の亡くなった母親がいつも私に、お前の先祖は会津藩士で偉かったと語って聞かされた。そんなこともあって物心ついて私は先祖のことを調べることに夢中になった。 母方の先祖は、源頼朝に従い藤原氏討伐に参加した千葉胤常の一族佐瀬氏でした。佐瀬氏は会津守護の三浦氏(のち芦名氏)に従い会...
‹
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示