林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2023年11月29日水曜日
城長茂
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「白河御館」と呼ばれていたことから、 越後国 蒲原郡 白河荘( 新潟県 北蒲原郡 東南部)に居館を置いていたと推測される。 治承 5年( 1181年 ) 2月 、 平氏政権 より 信濃 で挙兵した 木曾義仲 追討の命を受けていた兄の資永が急死したため、急遽、助茂が家督を継ぎ、...
佐原義連
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佐原義連(さわら よしつら)は、平安時代末期の武将で、生年や没年は諸説あり不詳です。 父は、三浦党4代の衣笠城主・三浦義明であり、末子だった模様です。 兄弟に杉本義宗、三浦義澄、大多和義久、多々良義春、長井義季、杜重行。 姉妹に源義朝の側室、畠山重能の正室、金田頼次の正室、長江...
佐原義連
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文治5(1189)年源頼朝の奥州征伐に従軍した城長茂が、阿津賀志山の柵(福島県伊達郡厚樫山)を攻めた際、城氏の越後勢に混じって参加し、勝利した。奥州を平定した頼朝は、平泉で戦功のあった三浦一党の佐原十郎義連に会津を、相模の豪族・山内通基に会津郡伊北郷を、下野国の小山氏一族・長沼...
磐梯山慧日寺
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会津の戦国大名葦名氏の重臣のうち、松本・平田・佐瀬そして富田の四氏はとくに「四天の宿老」と称された。富田氏の祖は『旧事雑考』によれば、会津で最古の寺院という耶麻郡磐梯山の慧日寺(恵日寺)の寺侍であったと伝えられ、土着の国人領主であったと推測されている。そして古代の安積臣の後...
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播磨きっての名族として知られる赤松氏は、伝えられる系図などによれば村上源氏といわれる。すなわち、村上天皇の皇子具平親王の子師房が源姓を賜り、師房五世の孫師季が播磨に配流され、同国佐用庄に土着したのが始まりという。すなわち、師季の子季房の代になって勅免され、季房は播磨を領有して...
播磨国赤穂郡赤松
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赤松氏は、播磨国赤穂郡赤松の地名を負っている。それゆえに、家紋としては「赤松」を用いることがもっともふさわしい。しかし、家紋には赤い松と表現することは難しい。赤松とは樹皮が赤味を帯びている松をいうからであるが、家紋は多く黒白だからである。 『赤松続伝記』には、赤松氏が桐紋を...
2023年11月24日金曜日
土御門
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孝元天皇 の後胤と伝わる 左大臣 阿倍倉梯麿 の10代目 安倍晴明 は 平安時代 中期に 陰陽頭 となり [1] 、その子孫も代々陰陽頭を務め [2] 、 陰陽道 、 天文道 、 暦道 をもって朝廷に仕えた [1] 。 公家 としての家格は 半家 [3] 、 旧家 、 外様 ...
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