小田山の麓には
芦名家廟所(びょうしょ)・宝積寺
(ほうしゃくじ)・建福寺・恵倫寺(
えりんじ)・善竜寺
(ぜんりゅうじ)などがあります。
小田山の北麓一帯は中世における会津の藩主芦名氏の墓地でしたが、今は16代盛氏(
もりうじ)を中心に、西に17代盛興
(もりおき)、東に18代盛隆
(もりたか)の墓の3基が残っており、芦名家廟所
(びょうしょ)とか花見ヶ森廟所とよばれています。
小田山西麓の
恵倫寺(曹洞宗)は、蒲生氏郷が父賢秀
(かたひで)の菩提を弔うために開いた寺で、封内の僧録司(会津領内における曹洞宗の総本山)として大きな規模を誇りましたが、戊辰戦争の兵火で焼失しました。寺宝は木造蒲生賢秀坐像などで、境内には柴四郎(東海散士)・柴五郎(陸軍大将)など柴家累代の墓があります。
建福寺(臨済宗)には、戊辰戦争で活躍した長岡藩家老河井継之助
(かわいつぐのすけ)の埋骨遺跡があります。また肥前島原城主松倉勝家の弟重頼とその臣野添作兵衛の墓があります。
善竜寺(曹洞宗)は、保科正之に従って信州高遠・山形・会津と移った寺で、山門は竜宮城をみるような美しい形をしています。この寺の裏山は窪山と称し、会津藩士の墓地でしたが、戊辰戦争時の家老西郷頼母
(たのも)夫妻の墓などがあります。善竜寺境内の「奈与竹の碑」は自決した頼母の妻千重子の辞世「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節のありとこそきけ」にちなんで建てられました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~hisaya/aidunosati.htm
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