2015年3月14日土曜日

真浄寺



■真浄寺 長野市


 →真宝寺



開基は鎌倉の武士、土屋五郎重行で、宗祖親鸞聖人越後流罪(1207)の折り弟子となり、法名を明慶とたまわる。聖人が流罪を解かれて関東に赴くに供を勤め、師の命によって、太田の庄赤沼に留まって真浄寺を建立する。川中島合戦が始まると、武田勢に追われて越後国にうつる。
東西本願寺分派の際、真浄寺十三代住職明勝は大谷派に属し、弟明玄は真浄寺の法宝物を分ちて本願寺派に留まり、信濃に移って、水内郡落影村にしばらく居住した後、永江村古屋敷地籍に移り、真宝寺を建立した。
元禄年間(1688~1703)二十代善照が現在地に本堂を建立して今日に至っている。
内陣の造作には、すばらしいものがみられ、当時の信仰の深さがしのばれます。

■真浄寺 長岡市



真浄寺の開山は比較的新しく1912年、明治45年。武見日恕(たけみにちじょ)が開いた寺。開山当時、関原には宮大工が多く存在し地元の宮大工が力を合わせて建てた寺だといいます。本堂の入口や欄間には繊細で細かい彫り物で飾られ地元の宮大工の腕の良さが光る彫り物は一見の価値があります。
また真浄寺は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中で描かれている日露戦争で活躍した東郷元帥(東郷平八郎)ゆかりの地でもあります。東郷元帥は日本海海戦(1905年5月27日〜28日)で日本海軍連合艦隊司令長官を務めた人物で、当時世界最大の軍事力を有したロシア帝国のバルチック艦隊を撃破し日本に勝利をもたらした人物です。開祖の武見日恕と東郷元帥は親しい間柄であったようです。寺には連合艦隊のそうそうたる顔ぶれと日恕住職の写真も飾られています。

  →願浄寺(赤沼智善、1884年(明17年)8月25日 、長岡市上田町願浄寺に生まれる。

  願淨寺 長岡市上田町3-15 

  ※真宗大谷派 三条教区 第13組

  http://www.winpal.net/~341-2/13-so.html
        ゆかり→西方寺 赤沼義昭(長岡市四郎丸)
  ゆかり→了教寺 赤沼光範(長岡市四郎丸)


■真浄寺 新潟市



※真浄寺(西堀通2番町:真宗大谷派
  親鸞聖人から法名を賜った明慶坊が建暦2年(1212)信州赤沼(長野市)の堂宇を
  建立、その後各地を転々とし慶長2年(1597)新潟に移転した。


新潟市西区鳥原 真浄寺 赤沼誠善師

真浄寺[浄土真宗本願寺派] 

  →西光寺(新潟真浄寺出身 赤沼唯教)


     →願浄寺[真宗大谷派] 新潟市中央区長嶺町)



西方寺  (さいほうじ )新潟市中央区鳥屋野真宗大谷派 鳥屋野院 

開山は弘安5年、1282年鎌倉時代。西方寺は親鸞聖人ゆかりの寺で、飛び地の境内には越後の七不思議で知られる国指定の天然記念物「逆竹藪」の旧跡がある。この場所は親鸞聖人が1207年に越後へ流罪になって7年間のうち草庵をたて3年間暮らし布教につとめた場所。境内には親鸞聖人の像が立ち往時の面影を偲ばせている。

http://www.niigata-u.com/files/ngt2009d/090607a1.html


■真浄寺 福島市


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