2015年2月3日火曜日

百済王子善光王


桓武天皇は即位すると、「朕が親母(みおや)高野夫人を皇太夫人と称して冠位上げまつり…」と宣命し、高野夫人を正三位に上げるとともに、外戚の百済系和氏(やまと)に高野朝臣の称号を与えた。そして、「百済王氏は朕の外戚である.から、彼らに爵位を加増する」と百済王氏を称える異例の詔勅をくだした。
桓武天皇は即位前、東大寺大仏の造立で功のあった百済王敬福(亡命百済王子=善光の曾孫)の孫娘・明信を寵愛した。
彼女はすでに藤原継縄(つぐただ)の妻となっていたが、即位後、「いにしえの野中のふる道」での出逢いの「君こそ忘れたるらめ、、、」の和歌を贈り、尚侍(女官)として宮廷に迎え入れた。
桓武は45才で即位し、70歳の退位まで23人の后と35人の子をもうけているが、その中に、百済永継・百済貞香・百済王教法の三人の渡来人女性を後宮に入れる。
平安京が開かれる、桓武天皇は大和にあった百済系の神社を、 内大裏の近くに遷都した同じ794年、平野神社(京都市北区)として移し、歴代の百済王を祀った。

[出典]
http://tei1937.blog.fc2.com/blog-entry-207.html


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