2015年10月2日金曜日

島津弥五郎


戦国期になり、武田氏の北信濃侵攻により弘治3年(1557)3月頃高梨氏が本拠地中野高梨館を退去して飯山城に入ってからは、飯山城の南の境目として重要視されていたものと思われます。永禄期に入るとさらに武田方の攻勢が強まり、永禄7年頃飯山口の陣地が武田方に占拠され、それが当城だったのではないかと宮坂氏は推定しています。永禄11年7月に武田氏が飯山城を攻め、当地の北方の上倉まで制圧し云いますので、この頃には完全に武田の支配下に置かれ、同年11月に赤沼島津氏の島津弥五郎が信玄から新地として蓮200貫を宛行されています。(武田信玄判物『戦国遺文武田氏編』第1326号)


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