●日本民族の三大源流は【1】縄文人、【2】弥生人、【3】古墳人である。
【1】縄文人は①土着アイヌ人、②先住海人族「ヘイ」、③渡来シュメル族「タチバナ」
【2】弥生人は①縄文末期に渡来した古イスラエル北王国十支族(海部・物部・秦)、②海部氏が率いてきた倭族。
多神教のイスラエル北王国は前722年にアッシリアに滅ぼされ、十支族は東方に流移する。その末裔は日本列島に渡来し、海部(アマベ)氏と物部(モノノベ)氏と秦(ハタ)氏になった。これが日本に渡来した古イスラエルの御三家である。
【3】古墳人は①崇神天皇以後の渡来系騎馬民族、②応神期に秦氏が朝鮮半島から呼び寄せたツングース系人
●アッシリアの支配から逃れ、ユーラシア大陸の東南沿岸を北上していたアマベ氏は、華南の越の海岸で倭人に遭遇した。倭人は、原郷の雲南から水稲を携えて長江を下り、越民と混血して半農半漁民となっていた。アマベ氏は、ここで配下となった倭人(越人)を率いて船出し、丹後半島に上陸し、日本では海民の支配者となって各地に海部郷を置く。
アマベ氏は、日本に古イスラエル以来のオリエント多神教をもたらし、太陽神ホアカリを祀る神社を天橋立に建て、自ら祀官となる。これが籠(この)神社で、火明命(ホアカリ)と同体の天照国照彦を併せた太陽神を御祭神として、今も続いている。
アマベ&倭人は、水田を各地で開発し、丹後半島から発して近畿地方の内陸部へと進み、稲作集落を形成してイセと称した。これを証する客観的事実は、滋賀県守山市伊勢町周辺から発掘された巨大な集落遺跡である(集落が営まれた時代は縄文後期から室町時代で、最も栄えたのが弥生時代後期の紀元1~2世紀)
アマベ&倭人が渡来したことにより、縄文時代から弥生時代に切り替わる。
アマベ氏は、女系相続民族で女神信仰の強い倭人が受け入れ易いように、太陽神アマテル彦から「彦」を除いてアマテラスと読み替え、女神に転換して内宮に祀る。こうして、アマべ氏がもたらした古イスラエル神道は日本神道の基本的根底を成す。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/09/2604.html
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