「真浄寺の歴史 親鸞聖人から法名を賜った明慶安坊が建暦2年(1212年)信州赤沼(長野市)に堂宇を建立した。川中島合戦など度々の戦火で各地を転々とし、慶長2年(1597年)新潟に移住、元和元年(1615)当地に移転した。本堂は天明6年(1786年)10月、200両の工費で建立され、西堀寺町での中では最古級に属する。」と山門前の案内板に書いてあります。
慶長2年とありますから慶長の役(挑戦出兵)の始まった年に新潟に移転したのですね。翌3年、豊臣秀吉が死去します。
本堂が建立されたのが天明6年(1786年)と云うと田沼意次が解任された頃です。天明の大飢饉が起こりました。天明3年には浅間山の大噴火がありました。天変地異が続き政治は混迷していました。どうも、今の時代に似ていますね。
http://sekinan.air-nifty.com/blog/2013/04/post-6b83.html
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