2026年9月8日火曜日

井深 宅右衛門

 いぶか たくえもん (たくうえもん)、


 文政13(1830)年1月26日~明治30(1897)年3月19日 (38歳)

 父/井深清大夫重保と母/リツ子 (柴太一郎の次女) の嫡男。

 幼名:梶之助、名:重義。

 妻/八代子は西郷頼母の妹、長男が井深梶之助、3男が井深彦三郎。

 文武両道に秀でており、特に漢籍に深い造詣を持ち、会津怡渓派茶道の皆伝書も受けている。

 物頭、組頭、町奉行、奏者番上席、日新館/学頭などを歴任。

 文久2(1862)年、江戸常詰の聞番に就任。

 文久3(1863)年、京都守護職/松平容保の軍事奉行仮役として上洛。

 慶応2(1866)年、学校奉行として帰城。

 戊辰の役では第二遊撃隊/隊頭として飛び藩領/小出島などで奮戦。

 敵兵城下乱入の報で鶴ヶ城に入り、用人として籠城戦を戦い抜く。

 開城後は松平喜徳公に付き添い、滝沢村、東京/有馬邸へ幽閉。

 明治2(1869)年、戦争責任を一身に背負い切腹した萱野権兵衛は、一刀流溝口派の途絶を惜しみ、奥義を伝授した相手が宅右衛門である。

 明治3(1870)年、家族と共に斗南藩/五戸へ移住する。

 明治6(1873)年、若松に帰り、小学校の教員となる。

 その後、若松区長、大沼郡書記、南会津郡書記、田島村戸長を歴任し、晩年に東京へ転居する。

 墓は青山霊園。


https://aizue.net/siryou/tyomeijin-i.html


0 件のコメント:

コメントを投稿