2015年7月7日火曜日

佐原義連

 400年も続いた蘆名時代の始祖である。
 三浦大介義明の7男として、三浦半島である相模国の佐原で誕生。  保延4(1138)年の誕生説が有力。
 佐原(横須賀市佐原)に城を構え、佐原氏を名乗る。
 治承4(1180)年の源頼朝挙兵に、一族と共に馳せ参じて御家人となる。
 一ノ谷の合戦では源義経の軍に属し、"逆落とし"で真っ先に駆け下り武功をあげている。

 奥州征伐での功も加わり、会津四郡を拝領する。
 建久2(1191、正治とも)年、地頭として幕の内村に居住する。
 その後、半在家村の国府に館を築き、移り住む。

 孫の光盛公から蘆名氏を名乗り、有力な戦国大名として400年の栄華を誇ることになる。
 室町時代には、京都扶持衆として、自らを「会津守護」と称するほどになった。

宝きょう印塔  宝きょう印塔は、永仁6(1298)年に建立。
 佐原義連公の墓は、半在家 (宝きょう印塔) の他に、
   ・在城の岩尾館 (五輪塔)
   ・三浦半島の佐原の満願寺 (五輪塔)
の3カ所にある。

碑文 碑文  寛文8(1668)年、保科正之公が山崎闇斎に命じ調査を開始した。
 元禄8(1695)年、3代/松平正容公が墓の脇に碑文などを建立した。
 ▲(喜多方市熱塩加納町半在)


[出典]
http://www.aizue.net/siryou/haka-asina.html#yositura

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