寛治4(1090)年、村人の山田近右衛門が草刈をしていると、1寸8分の地蔵尊を発見し堂に安置した。
天永3(1112)年、大川の洪水で大木が流れ着き、近右衛門の名を呼ぶ。 流木を拾い上げると、目の前に地蔵尊が現れた。
霊木だと悟り、6体の地蔵尊を刻み、堂を建立し祀った。
宝永5(1708)年、巡業中の向誉上人が会津に至リ、六地蔵尊と堂宇を修造し、入仏供養をした。
現在の堂宇は、大正14(1925)年に改築されたもの。
照谷寺が管轄。
子供の守り本尊とされており、昔は「二つ子参り」で賑わった。
昭和30年代の門前は、棒タラ煮が名物だった。
お日市 8月23日。
会津二十一地蔵尊の第二番。
▲(会津若松市門田町一の堰字村西)
・縁日 8月23~24日
≪一ノ堰≫
三浦氏が会津を所領とした蘆名時代に、一番目の関所があったことから 「一ノ関 (村)」 と呼ばれていた。
「いざ鎌倉」で駆けつけられるように、鎌倉街道 (後に宇都宮街道) が通っていたからである。
寛文年間(1661~1672)の保科時代に、「一ノ堰」と改称された。
今では、関所の痕跡は何もない。
[出典]
http://www.aizue.net/wakamatusi/tera-siro-monden.html#honmon
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