信濃國諏訪大明神を
迎えて勧請す
今其来由を釋るに
文治二年丙午正月八日
鎌倉右大将源公
我大祖得佛公を
信濃國藍田荘地頭職に補せられ
斯年、又島津御荘
薩摩・大隅・日向
三箇所の總地頭職に補任せらる
五年己酉
右大将源公
陸奥國押領使蓁衡を
征伐し給ひし時
得佛公御年十一歳
命を蒙りて副将軍となり
前軍に都督たり
此時深く信濃國諏訪大明神神に
斎祷し給ひて軍利あり
功成りて凱旋し給ひけり
承久三年、辛己五月八日
公又信濃國太田荘地頭職に補せられ給ふ
是より道鑑公に至り傅領し給ふ
公遥に神恩を仰ぎ
祖徳を追ひ
信濃の本社の神霊を
薩摩國三門院に勧請し
尊んで總社となし給へり
迎えて勧請す
今其来由を釋るに
文治二年丙午正月八日
鎌倉右大将源公
我大祖得佛公を
信濃國藍田荘地頭職に補せられ
斯年、又島津御荘
薩摩・大隅・日向
三箇所の總地頭職に補任せらる
五年己酉
右大将源公
陸奥國押領使蓁衡を
征伐し給ひし時
得佛公御年十一歳
命を蒙りて副将軍となり
前軍に都督たり
此時深く信濃國諏訪大明神神に
斎祷し給ひて軍利あり
功成りて凱旋し給ひけり
承久三年、辛己五月八日
公又信濃國太田荘地頭職に補せられ給ふ
是より道鑑公に至り傅領し給ふ
公遥に神恩を仰ぎ
祖徳を追ひ
信濃の本社の神霊を
薩摩國三門院に勧請し
尊んで總社となし給へり
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