長沼城跡
千曲川左岸の自然堤防上にひらかれた長沼集落に築かれた平城。このあたりを支配していた島津氏の拠点であったが、弘治3年(1557)、葛山城を攻め落とし、善光寺平から北信濃へと兵を進める武田の軍勢に押されて、島津月下斎はこの城から北の大倉城に退却を余儀なくされた。川中島の戦い後、飯山や野尻方面へと進出を企てる武田軍は、長沼城に城下町を建設。永禄11年(1568)には馬場美濃守信房が城を再建し、海津城とともに川中島地方を支配する拠点の一翼を担った。
http://www.furin-kazan.jp/nagano/shiseki/entry/000524.php
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