彦三一番丁洩野川小橋の近漣なり。有滞武貞の金滞細見回
鵠にいふ。小橋の縮りの震に一伴八矢屋敷を此地に賜ふと。
=一州志来因概覧附録にも、覚永十二年の悶践に町制大に改
る時、演野川大橋の銀の箆め久保市乙剣枇跡に西尾隼人長
昌第を置き、小橋の銀の錆め伴八矢の第を置き、東本願寺
末寺の銀の需めに永原左衛門を置かる L事、此割合皆此時
に在りといへり。
http://www.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/kosekishi/kosekishi_942.pdf
氏は、本国近江に τ、共の組を伴無理兵衛と一一ひ、織田
ハ宋enE促沼田目白骨三ム、 v
信長公に奉仕す。三子あり。長男無理兵衛と稽し、慶長四
年兄と共に利長卿に仕へたり。三男八矢長之もまた兄と同
じく利長卿に仕へ‘兄弟三人同時に奉仕する中にも、八矢は度々・加恩 K預り、四千五百石賜はり、人持組と成り、明
暦元年宛寸。共の子二子あり。長男雅楽助、後八矢と稀す。
新知千石賜はり、父の遺知共五千五百石を領し、共の子源
八後八矢と稀す。五千石を領し、五百石は弟数馬民配分す。
是より後子孫世々五千石を家織とす。
一容に云ふ。闘今回肌合 戦の時、加州より伴八矢とて.十五歳怠るを使者とたし出 されたり。松平伊豆守備の前を、馬上にていかにも静々と 通りける底、瓦州見 τ、彼は加資家の若者也とて、使者を 以て、陣中飛道具多く‘左様に静かに衆被v申候ては怪我 可v有。随分念ぎ被v申可v然哉と被昌申入吋八矢承り.甲を白 ぎ‘御心添之段近頃恭しと返答し、猶以て前方よりは一き は静かに遇りけり。豆州被v見、天晴能き勇士也と被v感し と也。また混見摘おに云ふ。伴八矢は発の侍也。或時傍軍 安見隠岐方にて灸を設しけるに、互に武功の勇士たれば. 古き箪物語り武道の食議共注しけるに、灸をすゆる若侍‘ 此物語を面白く訟もひも灸所を不v守、うかと噌を聞いて灸 の落ちたるを不v知。切灸のした Lかたるが落ちて、腰骨に 燃付き、煙立って不弘問。八矢少しも不hh幹也。哨終りて‘
一容に云ふ。闘今回肌合 戦の時、加州より伴八矢とて.十五歳怠るを使者とたし出 されたり。松平伊豆守備の前を、馬上にていかにも静々と 通りける底、瓦州見 τ、彼は加資家の若者也とて、使者を 以て、陣中飛道具多く‘左様に静かに衆被v申候ては怪我 可v有。随分念ぎ被v申可v然哉と被昌申入吋八矢承り.甲を白 ぎ‘御心添之段近頃恭しと返答し、猶以て前方よりは一き は静かに遇りけり。豆州被v見、天晴能き勇士也と被v感し と也。また混見摘おに云ふ。伴八矢は発の侍也。或時傍軍 安見隠岐方にて灸を設しけるに、互に武功の勇士たれば. 古き箪物語り武道の食議共注しけるに、灸をすゆる若侍‘ 此物語を面白く訟もひも灸所を不v守、うかと噌を聞いて灸 の落ちたるを不v知。切灸のした Lかたるが落ちて、腰骨に 燃付き、煙立って不弘問。八矢少しも不hh幹也。哨終りて‘
茶を呉れ候へと見返り、そとった男、先から火が落ちて腰
骨が燃ゆるが、何を見て居るぞと被v申ければ、若侍肝を消
し‘周章てもみ消しけり。八矢打笑ひ、軍明に聞きとれた
るは殊勝なれども‘夫程うろたへては嬉しから宇という・・・・
http://www.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/kosekishi/kosekishi_942.pdf
0 件のコメント:
コメントを投稿