- 永禄11年(1568)
- 1・24
- 武田信玄、埴科郡本誓寺に寺領を安堵し、越後出陣のさい野伏二人を出させ、また禁制を掲げる。
- 2・
- 跡部勝忠、伊那郡虎岩郷平沢豊前守に、同郷の逃散百姓の田畑を渡し、その未進年貢を進納させる。
- 3・2
- 信玄、水内郡長沼城から越後進攻を計り、この日法善寺など甲斐諸寺に戦勝を祈らせる。
- 4・3
- 信玄、栗田鶴寿に甲府善光寺の条規を与える。
- 4・21
- 信玄、小県郡諏訪社に所領を寄進、越後境の築城の無事を祈らせる。このころ長沼城が築かれる。
- 6・3信玄、大井弾正忠に越後出陣を命じる。翌日諏訪上社神長守矢信真に戦勝を祈らせる。
- 7・10
- 信玄、上杉方の飯山城を攻める。ついで加賀・越中の一向宗徒と東西呼応し、越後侵入を計る。
- 7・13
- 信玄、木曾路諸宿に、相模海蔵寺の荷物運送のため伝馬七匹を出させる。
- ついで甲府から諏訪郡蔦木・青柳・上原・下諏訪、筑摩郡塩尻・洗馬、木曾・賛川・奈良井・藪原・福島間の伝馬口銭を定める。
- 8・4
- 信玄、岩村田法華堂以下佐久・小県郡の修験二十二人に、戦勝祈藤を命じ普請役を免除する。
- 8・10
- 飯山在城衆、武田軍進攻を上杉輝虎に報じる。
- 輝虎、須田順渡斎らに各地の守備を堅めさせ、ついで村上国清らに飯山城・関山城などを防備させる。
- 9・16
- 信玄の臣上原筑前守の知行地佐久郡志賀郷などの検地帳が作成される。
- 名請人別に貫高を記すが、現実の耕作者は示さない。在村鍛冶がみられる。
- 9・20
- 信玄、村上旧領埴科郡坂木大宮に、坂木御料所内の地を寄進し、町屋敷の替地の給付を約する。
- 10・1
- 織田軍、三好氏の摂津芥川城を攻略、小笠原長時父子、同城を逃れ、ついで越後上杉輝虎を頼る。
- 10・2
- 信玄、島津孫五郎に、水内郡夏川・西尾張部などの本領を安堵し、長沼・蓮・村山・今富などを新恩に宛行う。
- また西巌寺に長沼の地を安堵する。
- 10・3
- 信玄、高井郡勝楽寺など真宗寺院に、寺中の乱妨狼籍・陣取りを禁じる禁制を掲げる。
- 11・1
- 武田勝頼、紀伊高野山成慶院を高遠領住民の宿坊と定める。
- 11・10
- 信玄、善光寺大本願に、甲府善光寺の造立用材を甲斐八幡天神宮から採らせる。
- 12・12
- 佐久郡の人依田信守・信蕃父子ら、信玄軍の駿河攻めに属し、同国薩?峠で戦う。
- このころ高遠城将秋山信友、下伊那衆らを率い遠江に侵入する。
- 家康、これに抗議する。
- この年
- 武田氏、棟別銭などを整理し、棟別賦課の郷次・門次普請役を設定、軍役衆や伝馬役・細工役などを除く全戸に負担させる。
- http://sky.geocities.jp/yamanasinomori/yamanasinagano.html
2016年5月10日火曜日
島津孫五郎
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