海野氏、望月氏、祢津氏が「滋野氏三家」と称され、三家の幡の紋は、
海野氏が「六連銭」、望月氏が「月輪七曜」、祢津氏が「月輪九曜」であったと伝えられている。 滋野氏の家紋は「月輪七九曜」であったといい、海野氏も「月輪七九曜」を家紋にしていたという。しかし、幸綱(幸隆)は武田氏の麾下に属してから家紋と旗印を「六連銭」に改めたという。室町時代の中期に書かれた『
羽継原合戦記』、別名『
長倉追罰記』のなかに、海野一族は六連銭を家紋としていたことが記されている。おそらく、六連銭の紋は室町時代の初めには海野一族の共通の紋として用いられていたようだ。
[出典]
http://rarememory.justhpbs.jp/takeda1/ta1.htm
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