新郷村西越日向は南部地方の南、奥羽山脈の山岳とそれに連なる丘陵台地に立地、馬淵川の支流浅水川の最上流部に位置する。川沿いに集落が散在し中心集落は日向である。
江戸期は盛岡藩領。五戸通に属していた。
慶応3年(1867)の給人は青山郡司・山田募ほか7名であった。村高は正保4年(1647)の「正保郷村帳」101石余、「貞享高辻帳」126石余、寛政年間(1789~1801)の「邦内郷村志」524石余(うち給地450石余)、「天保郷帳」324石余、慶応3年(1867)「五戸代官所惣高書上帳」では524石余。
寛政年間(1789~1801)の「邦内郷村志」では家数167・馬270を飼育。享和3年(1803)の仮名付帳では家数129、うち本村(日向)42とある。
西越村は畑地が多く、薪炭の生産を行い、馬の産地で良い馬が生産されていた。明治に入り産業は山林を利用した林業と、導入された酪農を主体とする農業であった。
茅葺き屋根の集落を見るために訪ねた。寄棟の茅葺き屋根の民家が多くあったが、多くがトタンで覆われていた。トタン覆いのない茅葺の家は、登録文化財の坂本家を除き殆どが無住の家で荒れるがままになっていたのが目につき、哀れな思いの探訪だった。
http://matinami.o.oo7.jp/hokkaidou-tohoku/singo-saigosi.html
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