2014年10月30日木曜日


鴫山城

南会津会津町田島の愛宕山にあった中世の城郭。
 南山長江荘の領主長沼義秀によって、南北朝末より応永にかけての時期に築かれたと推定されている。

 長沼氏最後の城主盛秀は、天正17年(1589)会津へ侵攻して葦名氏を滅ぼした伊達政宗に恭順し、伊南の地にこもった河原田氏攻撃の先鋒となったが、主従一丸で火の玉となった河原田軍の猛反撃にあい戦死した。
 翌18年の豊臣秀吉の「奥羽仕置」により伊達氏が北に去ると、盛秀の遺児3人も政宗に従って仙台に移っている。

 その後、城主は蒲生氏・上杉氏・再蒲生氏と変遷し、加藤氏が支配していた寛永年間末(1640年代)までに廃城となったとみられる。

 城跡は町を一望できる愛宕山(749m)にあり、山頂から山麓にかけて、尾根や谷間などの自然地形を巧みに利用し、土塁・門・櫓・空堀・郭などが構築された跡が残る。
 ことに愛宕神社参道に残る「大門」跡の石垣は、西日本の城郭建築で発達した穴太(あのう)積みと呼ばれる技術をもって作られており、近年修復されてその威容を誇っている。

[出典]
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/aizu-jiten/koumoku-shi.htm


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