2015年2月3日火曜日


さてここで一旦話を巻き戻そう。村上氏の発祥地とされる信濃國は、古代に十郡により形成されていた。伊那・諏訪・筑摩・安曇・更級・水内・高井・埴科・小県・佐久郡であり、各郡は郷により形成された(『坂城町誌・中巻・歴史編・一』)。村上郷は更級九郷の一つである。麻續・村上・当信・小谷・更級・清水・斗女・池卿・氷鉋の二番目に記される。
 村上郷は更級郡の南端に位置する。信濃には高勾麗からの渡来人が移り住んでいるが、延暦18年(799)、前部黒麻呂が村上氏改姓が認められ高勾麗系村上氏が誕生した。信濃村上氏の誕生である。しかし、後世の村上氏との関係は不明である。又この村上氏の子孫のことは判然としない。その後、平安後期に至って源姓村上氏が誕生する。清和源氏源頼義(頼朝の先祖)の弟源頼清の子に仲宗があり、その子に惟清・顕清・仲清・盛清の兄弟があり、白河上皇に仕えていたが、寛治8年(嘉保元年・1094)に起こった白河上皇呪詛事件により盛清の親子兄弟は各地に配流となった。盛清は信濃に配流となった。郡名は定かでないが、更級郡村上郷の可能性が高いことは、盛清やその子の為國が村上を称していることからも推察される(『坂城町誌』)。源姓村上氏は源盛清がこの地に配流されたことにより誕生した。渡来人系村上氏に次いで、第二の村上氏の誕生である。この村上氏が後世に広がる村上氏の中心家系となるのである。この信濃村上氏の嫡流こそが惣領家であり信濃村上氏の総本家となるはずであった。しかし、本来の嫡流は没落し、傍系が惣領権・家督を引き継いでいる。この間には系譜の混乱もあり正系は判然としない。戦国大名村上家は村上一族であるとしても傍系であり、系図を書き換えた可能性もある。従って各種村上氏系図は、完全には整合しない。基本系図は不一致であり、地元の伝承系図も勘案しながら、信濃村上氏系図を整理していこう。

[出典]
http://www.kakeiken.com/report0010-2.html

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