2014年10月11日土曜日


大田庄


豊野町南郷から長野市赤沼・津野にかけて太田という地名が残っている


古来、近衛家領、養和元年(1181)、木曽義仲の領地となる
元暦元年(1184)、義仲滅亡後、島津忠久が地頭拝命

藤原定家の「明月記」や「吾妻鏡」に登場する「承久の乱」
この合戦に出陣するに際し、諏訪神社詣でをし、武勲を挙げた。
以後、島津の氏神「稲荷」と同様、崇拝し勧請した。




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