2016年4月29日金曜日

北国街道



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北国街道松代道②(長沼宿→神代宿→北国街道追分)

2012年5月2日
柳原駅(長野電鉄長野線)・・・国道406号・・・県道368号・・(村山の一里塚跡あたり)・・・長沼宿・南の枡形・・本陣跡・・長沼神社・・林光寺・越後道道標・・西厳寺・・善導寺・・長沼城侍屋敷跡・・守田神社・・長沼村道路元標・・妙笑寺(千曲川洪水水位標)・・・妙願寺・・大田神社・・・赤沼交差点(国道18号)・・・大道橋(浅川)・・・跨線橋(JR信越本線)・・流死人菩提碑・子育地蔵尊・・多賀神社・・神代宿・・飯山道道標・・問屋跡・・御番所跡・・本陣跡・・脇本陣跡・・観音堂・大日堂・石造三十三観音像・・道標・・油沢川・・神代坂・・大石・馬頭観音・・・白坂峠一里塚跡・・(新)白坂峠・・丹霞郷・・(旧)白坂峠・・・平出地区・・長沼道道標・・平出追分(北国街道合流地点)・・・平出神社・・平出公民館バス停→長野駅
  【ル-ト地図】(18.5km)
 昨日、柳原駅まで進んだので今日の行程は楽だ。途中から風が強まり雨も少し落ちてきたが、神代宿から長い神代坂を上り、難なく丹霞郷の広がる白坂峠へ着いた。峠から緩やかに下ればすぐに平出の追分で、北国街道に合流する。ここは4日前に歩いたばかりだ。平出神社に寄りバスで長野駅に戻った。
 この先は『北国街道⑤』へ続く。
  写真をクリックすると拡大します。
Img_7313千曲川の土手から下りて、長沼宿へと進む。
手前の河川敷内の稲荷社あたりに長沼一里塚跡の標柱が立っているようだが、稲荷社も標柱も未確認。
Img_7312長沼宿入口の枡形 《地図
ここを右折して行く。長沼は南部は宿場、北部は城下町だったため、街道が10か所で直角に折れる。宿場と城下町の面影はなく、枡形にその名残りを見るだけか。
Img_7309本陣跡西島家(右)
長沼の鎮守で、創建は平安時代という。
Img_7304林光寺前
正面に道標(文久元年?(1861))
Img_7302「従是 右ハゑちご道 左ハぜんく王じ道」
松代道は北国街道に合流して越後へ向かう。
Img_7300西厳寺 《地図
蓮如上人が2度滞在している。蓮如上人絵伝を所蔵する。
Img_7284長沼城侍屋敷跡
一茶の門人句碑と説明板、後ろの何お堂だったか。
Img_7287長沼城跡復元図
江戸時代の慶長8年(1603)には森氏の転封によって長沼藩の佐久間氏の居城となったが、元禄元年(1688)に佐久間氏が改易された後、廃城となった。佐久間象山は一族の子孫だそうだ。
Img_7271枡形跡を右折、左折して行く。
Img_7281守田神社 《地図
正保年間(1644~47)に守田島から当地に遷座してきたという。ここは外堀内の大手門の近だ。一時は長沼城の守護社だったか。
Img_7270千曲川洪水水位標(妙笑寺)
戌の満水の時は一番上。本堂にも水位柱を残している。
Img_7258アップルロードか。
明治29年の大洪水では桑の被害が大きく、養蚕に代わってリンゴ栽培が急増した。国道18号はアップルライン呼ばれる。
大田神社の先で赤沼交差点を渡って行く。
Img_7244赤沼交差点でアップルラインを横切る。《地図
赤沼一里塚跡はどのあたりか?
Img_7551流死人菩提碑(左)・子育地蔵尊 【ル-ト地図】の①
碑の高さは戌の満水の時の水位。
Img_7547説明板
Img_7237多賀神社
鎌倉時代に近江の多賀神社の分霊を祀ったという。石殿型庚申塔があるようだ。
Img_7236神代(かじろ)宿に入る。《地図
宿に指定されたのが遅く、それまでは飯山道の宿として本陣が置かれていた。
Img_7226宿場案内図
北国街道の新町宿で分岐した飯山道が、西(左)から来て、東(右)に抜けて行く。
「雨降り宿」とは、北国街道が川留めとなり、矢代の渡し、丹波島の渡しが渡れない時には松代道を通ったのでこう呼ばれた、
Img_7234道標(飯山道と松代道が交差する左の角)
Img_7233「是ハ善光寺ミち」・右側面に「これより右せんく王じミち」で、善光寺へ通ずる飯山道を示している。北隣が旅籠屋跡。
Img_7230御番所跡・神代村道路元標
ここは問屋場跡で、向い側の角が御番所跡。
Img_7228本陣藤沢家跡(左の公民館の所)・脇本陣横地家跡(本陣の向い側) 【ル-ト地図】の②
Img_7222観音堂の石段から神代宿
Img_7221観音堂
右隣に大日堂がある。
Img_7223説明板
Img_7216石造三十三観音像
信濃三十三観音
Img_7215説明板
Img_7214つつじ山道」道標 《地図
ここを左に上って行くのが旧道だが、石垣前の道標に気づかず右の新道をかなり上ってしまい引き返す。
Img_7224「右名勝つゝじ山道」で、左側に「左ハ牟礼道」と付け加えてあるらしい。「牟礼道」は松代道のこと。 「つつじ山」《地図》、
Img_7198聖林寺跡伝承地(新道を上った途中)
観音堂の説明板にある13世紀に創建されたと伝える寺跡だろう。
Img_7210神代坂を上る。 【ル-ト地図】の③
始めは急坂だ。松代道は北国街道の脇街道だが、天正11年(1583)上杉景勝は牟礼より香白(神代)坂、長沼への通行を命じた。善光寺宿を通らないため、この間善光寺の門前は寂れてしまったそうだ。
Img_7206大石の上に馬頭観音
Img_7208説明板
Img_7554坂の途中から豊野の町
この先、旧道はリンゴ畑の間に残っている所もあるがはっきりせず、民家の畑内でもあり新道を行く。
Img_7558新道を白坂峠へ上る。
Img_7565傾斜は緩いが、何度もカーブして行く。
旧道は直線的に白坂峠へと上る急坂の難所だったようだ。
Img_7569けっこう上って来た。
Img_7571白坂峠一里塚跡 【ル-ト地図】の④
左右に塚跡がなんとか残っている。次は北国街道に合流した先の四ツ屋一里塚跡。
すぐ先で(新)白坂峠に出る。
Img_7574説明板
Img_7576(新)白坂峠(582.2m)
峠といっても畑の広がる平坦地。北国街道との合流点の平出の追分は左へ行く。右に500mほど行くと、(旧)白坂峠に出る。
Img_7578案内板
Img_7579丹霞郷(たんかきょう)
今日は曇っていて北信五岳の黒姫山、妙高山の眺めはない。モニュメントは「鳥になった少年」
Img_7582(旧)白坂峠(578.8m) 《地図
江戸時代以前の本来の白坂峠で、昭和42年まで国土地理院の地図には、ここが白坂峠と記されていた。北方の古道沿いの番匠地区には番所があったとも。
Img_7583説明板
Img_7585古道はここから神代に直線的に下っていたのだろう。
Img_7593平出の追分へと緩やかに下る。平出側は標高が高く、峠から下る感じはしない。
Img_7595ここは右へ進み平出の集落に入る。
Img_7599平出追分 【ル-ト地図】の⑤
正面の突き当りが北国街道との合流地点。すぐ先を左に入った民家の敷地内に追分の道標が移設されている。
Img_7600追分にあった長沼道(松代道)道標
「是より左長沼みち」・「是より右善光寺みち」で、「善光寺みち」は北国街道のこと。

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