2015年8月27日木曜日

『上杉将士書上』



甲斐の武田信玄と並び称される戦国武将、越後の上杉謙信麾下には、数多くの勇将、猛士がいたといわれている。
 七人衆、十一人衆、御側二十一人衆、三十一人衆、三十五人衆、八竜、四虎など、さまざまな呼称があり、上杉二十五将というものもある。これは、元和元年)1615)上杉家の家臣、清野助次郎と井上隼人正という者が書き置いたものを、寛文九年(1669)五月、大老酒井忠清を通じて幕府に提出したという『上杉将士書上』のなかに登場する武将たちである。
 『上杉将士書上』は、上杉軍役帳その他に出てくる武将たちの略伝で、二十五将以外にも名高い人物、例えば直江山城守兼続らが書き上げられ、なかには、実在を疑われる武将の名もある。鬼小島弥太郎一忠もその一人で、筆者も気がひけたものか「二十五将の外にて候」とことわっている。 
 二十五将の名前を列挙すれば、


長尾越前守政景宇佐美駿河守定行新津丹後守義門金津新兵衛尉義舊北条丹後守長国
本庄美作守慶秀本庄弥次郎繁長色部修理亮長実甘糟備後守清長杉原常陸介親憲
斎藤下野守朝信安田上総介順易高梨源三郎頼包柿崎和泉守景家千坂対馬守清風
直江大和守実綱竹股三河守朝綱岩井備中守経俊中条越前守藤資山本寺勝蔵孝長
長尾権四郎景秋吉江中務丞定仲志田修理亮義分大国修理亮頼久加地安芸守春綱
*北条丹後守長国は北条高広の嫡子で「御館の乱」に景虎方へ加担した景広、安田上総介順易は会津三奉行の一人で有名な安田能元である。また、色部修理亮長実は長真の名乗りも知られる。
の二十五将である。


ちなみに、米沢上杉祭で採用されている二十八将を下記に列記してみた。上記の二十五将と見比べると、興味深いものがあるといえよう。 
柿崎和泉守景家新発田因幡守治長島津左京進規久水原壱岐守隆家斎藤下野守朝信
竹俣三河守広綱須田相模守親満松本石見守景繁下条薩摩守実頼本庄越前守繁長
安田冶部少輔長秀長尾近江守藤景新発田尾張守長敦山吉孫次郎豊守加地安芸守知綱
高梨源太郎政頼大河駿河守忠秀鮎川摂津守清長井上河内守清政綿内内匠守広綱
村上左衛門尉義清色部修理進勝長宇佐見駿河守定勝中条越前守藤資古志駿河守秀景
大崎筑前守高清甘粕大江守景持直江大和守実綱  


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