2024年4月11日木曜日

田中玄宰

 

会津藩松平家の家老で田中家という家があった。

初代保科正之から数えて5代目の藩主松平容頌の時の家老が田中玄宰という日本の3家老と呼ばれる人物である。藩士の子弟教育機関として「日新館」という藩校を建てることを藩主に進言した人物とされている。

現在復元された建物が拝観できる。各学科別の教室があり、弓術は小笠原流・日置流竹林派、日置流印西派の3つの矢場があった。現在は2つが往時の姿で復元されている。先年紹介した岡山藩後楽園の矢場と同様、あづちは山をひとつ築いた「南山」である。

ひとつは福島国体開催の際に12人立ち道場が現代風の間口一杯のあづちを備えた木造で建設された。ここの道場開き式は稲垣先生と筑波大弓道部が招かれて腰矢組弓の演武をしている。

さて、日新館の藩士教育はその後維新の官軍東北征伐の際、白虎隊の悲劇を呼び、終わりを迎える。この時に家老田中家は親類星家と養子縁組して、現在に至っている。喜多方に600坪余りの立派な武家屋敷があり、今もご当主夫人が住まわれている。

この屋敷に3人立ち程度の弓道場があり、昭和末年まで開業医を営むご当主のお父様が近隣の方々と引いておられた。私の家内の薬科大の学友がこの家のお嬢様で、そうした縁で廃屋となった道場から今回紹介する弓、巻物伝書を頂いて来た。道場はあづちが屋根ごと崩壊し、すでに使えない状態である。

「地元の名家」であり、この弓の整理中に亡きご当主に続き、陽子夫人も叙勲の栄を受けられた。

https://www.waseda-kyudo.net/wp-content/uploads/2024/02/20240217_Materials_forStudyGroup.pdf

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