神武天皇が、幼少時を過ごしたと言われる宮崎県高原町に鎮座する「狭野(さの)神社」。
「狭野尊」は神武天皇の幼名だが、稲作ができる貴重な土地という意味だと、当社の宮司さんが説明されている。
(『神武天皇はたしかに存在した』産経新聞出版)
実際に、えびの市や都城市の遺跡からは国内最古級の水田跡が見つかってるそうで、北九州とは別ルートで稲作が伝来した可能性も考えられているという。これは興味深い。
それにしても狭野神社、やけにカッコいい社殿だなーと感心していたところ、いただいたパンフレットに「明治40年に宮崎神宮の旧社殿を移築した」と書いてあり、一瞬にして全てを完全に理解した。
日南市の「駒宮神社」。
神武天皇が、最初に娶った吾平津媛(あひらつひめ)と暮らした宮の跡だと伝えられる。
伝説では、神武天皇には「龍石(たついし)」という愛馬がいたとされるが、大陸から馬が伝わったのは4世紀末の応神天皇の御世とのことで、それはさすがに後世の作り話だろう。
ビックリしたのが社殿の裏手にある「御鉾の窟跡」という巨石だ。神武天皇が鉾を納めた場所として信仰の対象になってるそうだが、南九州で巨石の祭祀を見るとは思わなかった(他にもあるのかも知れないが・・・)。
福岡県北九州市の「岡田神社」。
「古事記」が、東征中の神武天皇が一年滞在したと書く「岡田宮」の候補地だ。
「日本書紀」だと「岡水門」に約50日滞在とのことで、神武天皇が船団で移動した点から見れば書紀のほうが妥当という気もするが、まぁどっちでもいい話か。
肝心なことは、なぜ神武天皇は瀬戸内海を離れて、わざわざ日本海側に回ってきたのか、だろう。
そもそも神武天皇が東征を決意した要因の一つには、饒速日命(ニギハヤヒ)なる人物が「この国の中心地」に降臨していることを、塩土老翁(シオツチ)から聞かされたことにあった。
日本書紀によると、ニギハヤヒは古代からの有力豪族「物部氏」の先祖にあたり、畿内に降臨すると土豪の「長髄彦(ナガスネヒコ)」の妹を娶って、君主の座におさまっていた。
しかし、ニギハヤヒは神武天皇の畿内入りを知ると、抵抗を続けるナガスネヒコを殺害して、皇軍に帰順した。
ニギハヤヒは、神武天皇と同じ「天つ神の表(しるし)」を持つ人物だった。
皇室の正史が、皇室と物部氏は同じシンボルを持つグループの一員だと言ってるわけだ。その上で、はじめから両者の上下関係は決まっていたのだと。
北九州の物部氏
剣神社
福岡県直方市で、そのニギハヤヒを祀る「劔(つるぎ)神社」。
社伝によると、成務天皇のとき筑紫国造の「田道命」が、筑紫物部を率いて神々を祀らせたことが創建の由来だという。
「田道命」は、皇族で四道将軍の「大彦命」の5世孫にあたり、初代の筑紫国造だ。
『日本の神々 神社と聖地 1 九州』によると、劒神社が鎮座する遠賀川(おんががわ)一帯には「剣神社」や「八剣神社」など剣霊を祀る神社が多数あって、現在では揃ってヤマトタケルと草薙剣を主祭神としているものの、元々は物部氏が一族の「兵仗」を祀っていた地域だろうということだ。
北九州の物部系神社
上はその『日本の神々』で、北九州の物部系神社としてあげられている、「剣神社」「八剣神社」「六ヶ嶽神社」「古物神社」「天照神社」「高倉神社」などを、赤でマークしてみたGoogleマップ。
「古事記」の岡田宮(緑のマーク)にしても、「日本書紀」の岡水門(河口)にしても、物部のエリアにかなり近い。
物部氏といえば、のちに朝廷の武器庫を管理した軍事氏族で、鉄器製造にも長けていたという。
東征に当たって神武天皇が、総帥のニギハヤヒが同じシンボルを持つ物部一族に、協力を要請しに行った可能性はないんだろうか。
河内の物部氏
石切劔箭神社
こちらは東大阪市でニギハヤヒを祀る、式内社の「石切劔箭神社」。
ここ旧河内国の一帯も、物部氏の一大拠点として知られる地域だ。あまり語られないことだが、安芸に2ヶ月、吉備に3年滞在した神武天皇は、河内にも2ヶ月のあいだ留まっている。
そして、いよいよと生駒山からの奈良入りを目指したところで、待ち構えてたナガスネヒコの反撃を受けて、敗退。退却の憂き目に遭われたのだった。
熊野の物部氏
熊野速玉大社
(熊野速玉大社)
生駒ルートを断念した皇軍は、南下して和歌山の紀の川ルートを利用するかと思いきや、危険極まりない熊野灘に進む。で、案の定というか、ここでは神武天皇の二人の兄が溺死してしまうという大惨事に。
そうまでして皇軍が目指した熊野にも、やはり物部氏がいた。
まず、高天原の聖剣「ふつのみたま」で皇軍の窮地を救った「高倉下(たかくらじ)」なる人物は、物部氏の史書といわれる『先代旧事本紀』によれば、ニギハヤヒの実の息子だ。
後の時代になるが、初代の熊野国造はニギハヤヒの5世孫だ。
何だか、物部氏が皇室に協力するのは最初から決められていることで、神武天皇も当然のようにそれを利用した。
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