ここで思い出したいのが、彼らを渡来させた安曇族の行動様式だ。
一つは、入植は「多点分散型」だったこと。
もう一つが、彼らの始祖(太伯)のモットー「入郷而従郷(郷に入っては郷に従え)」だ。
少年少女たちは安曇族の方針に従って、少人数に分かれて日本各地に散ったんじゃないだろうか。
もちろん、百工から受け継いだ技術を携えてだ。
上の「図3 」は亀山さんの『安曇族と徐福』から引用した「全国徐福伝説地」。
だが、徐福は一人しかいないんだから、実際には少年少女たちが「徐福」として入植していった先が、それらの伝説地だったんじゃないだろうか。
聞けばそれらの地域では今も地場産業として、弥生時代に伝わったという金属加工や機織り、陶工、造船などが盛んなんだという。
ニギハヤヒと神武天皇
物部氏の氏神・石上神宮
石上神宮
ところで、全国に分散した特殊技術をもつ一族というアイデアは、ぼくに日本古代史上に実在したある氏族の名前を思い起こさせる。
「八十物部」とか「物部百八十氏」とかいわれて日本中に分布した割りに、そのルーツがよく分からない「物部氏」だ。
この物部氏の始祖と言われる人物が、「日本書紀」で神武天皇の大和入りを助けたと記録される「ニギハヤヒ(饒速日)」だ。
ニギハヤヒは、神武天皇がもつ「天つ表(しるし)」と同じものを持っていて、神武天皇より先に畿内に入って土豪ナガスネヒコの「君主」になっていたが、執拗に「天孫」に逆らうナガスネヒコに業を煮やすとこれを殺害。
神武天皇の軍門に降ったのだった。
興味深い記述が二点ある。まず、「天つ神の子」は神武天皇以外にもたくさんいること。
ただしその中でも、神武天皇だけは「天孫」という特別な存在であること。
十種神宝
ところで物部氏といえば、各方面の技術に通じた軍事氏族として名高いが、それ以外にも「祭祀」や「呪術」の方面でも、特別な技能を発揮したという話だ。
上の図はニギハヤヒが降臨にあたって与えられたという「十種神宝(とくさのかんだから)」で、物部氏はこれを使って、生き返りの呪法まで可能だったというから凄い。
https://www.bokushoki.com/home/jinmu/jofuku
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