ところで鹿島神宮はなぜ、鹿島の地にあるのだろう。てか、タケミカヅチはなぜ、鹿島で祀られているんだろう。
宮司さんにとっての問題は、こっちだ。
まず宮司さんは、『万葉集』には「朋神の貴き山」と歌われ、『香取群書集成』には「わらかおやくに(祖国)」と謳われる「筑波山」こそ、イザナギ・イザナミの住む山だったんじゃないかと考えた。
さらに宮司さんは、「天降り」とは想像の産物ではなく、古代に実際に起こった事件だと考え、ならば移動は水平に行われたのではないか、すなわち「天降り」は「海降り」なのではないかと思考する。
しかも天(あま)と海(あま)は、古代では同一に神聖視され、同じ言葉で発音されるその縁由は同一視された名残でもあろうか。
ちなみに、海にいって水平線を望めば、空と海とは一線上に合体して見え、科学知識の少ない古代人が、天と海を同一視した心がよみがえってくるような気がする。(76p)
天孫ニニギは天(あま)ではなく、海(あま)を降ったのではないか。
そういえば、「日本書紀」には東征に出る前の神武天皇の述懐として、「(ニニギは)天の関を闢き」とあるが、その「関」とはどこのことなのか。
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