2015年9月8日火曜日

大神氏

大神氏(おおがし)は、日本氏族平安時代後期以降、豊後国大野郡直入郡を本拠地とし、豊後国南部に勢力を伸ばした。大和国大神(おおみわ)氏と区別して、豊後大神氏とも呼ばれる。
大友氏が入国する以前からの豊後国における有力な在地武士の一族で、大野川大分川流域の大野、直入両郡を本拠地として、豊後国南部に勢力を伸ばした。

出自

大和国の大神氏 (おおみわし) の流れを汲むとされるが、そこに直接つながるとする説と、豊前国大神氏を経るとする説とがある。
直接つながるとする説の代表的なものは、大和大神氏 の分流である大神良臣仁和2年(886年)に豊後介を任じられたが、その善政を慕った領民の願いによって、任期後にその子庶幾が大野郡領としてとどめられ、さらにその子の惟基が豊後大神氏の始祖となったとするものである。一方豊前大神氏を経るとの説は、豊前国に入り宇佐神宮の創祀に関わった大神比義に始まり、同宮の禰宜職及び後に大宮司職を継いだ大神氏が、同じく大宮司職に就く資格を持ち在来の豪族であったとされる宇佐氏と争い、それに敗れたために宮外に土着したするものである。

歴史

大神氏は中世期の豊後における在地武士の一族として栄えるが、惟基については祖母岳大明神の神体であるが人間と交わって生まれたとの伝説が『平家物語』や『源平盛衰記』に見え、それによると惟基の5代の孫が緒方氏の祖、緒方惟栄となる。因みに、惟栄は養和元年(1181年)に豊後国目代を追放、元暦元年(1184年)には平家についた宇佐神宮を焼き討ちにする等、従来の支配階級に代わり武士勢力による支配を強めた。治承・寿永の乱(源平合戦)に際して源氏につき、葦屋浦の戦いで戦勲を挙げる等活躍した。
鎌倉時代に入ると、豊後国守護に任じられた大友氏初代当主能直の弟古庄重能が代官として入国する際に激しく抵抗。しかし、大友氏第3代当主頼康以降、豊後国に下向した大友氏の土着化が進むと大神氏の勢力は衰退し、大友氏一族との養子縁組等により次第に大友氏家臣団に組み込まれた。
大神氏の一族とされる氏族に、阿南氏臼杵氏戸次氏佐伯氏緒方氏)、大野氏稙田氏十時氏、三田井氏、朽網氏、大津留氏、由布(油布)氏、橋爪氏、高知尾氏、賀来氏、野尻氏、三重氏、田尻氏、野津原氏、高千穂氏、堅田氏、高野氏、松尾氏、吉藤氏、行弘氏、太田氏、板井氏、釘宮氏などの37氏がある。




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