2014年11月4日火曜日


[出典]
越後長尾・上杉氏雑考
http://blog.goo.ne.jp/komatsu_k_/m/201208



越後国上杉輝虎(長尾景虎。号宗心。上杉政虎。号謙信)の略譜 【8】

(中略)

6月11日、再び飯山城へと戻った。

一方、この情報に接した武田晴信は、16日、市川藤若に対して書信を送り、取り急ぎ客僧をもって申し伝えること、去る 11日に長尾景虎が飯山に移陣したそうであること、そして、このたび耳にした風聞によれば、長尾方の高梨政頼が野沢に現れ、其方(市川藤若)と景虎の和融 を持ち掛けたそうであり、こうした互いにとって疑念が生じるような風説は伝えたくはないが、何事も隠し事をしないとする誓約の旨に従い、本心を残らず申し 伝えること、幸いにも当陣は堅固であるばかりか、来る18日には、上州衆の全軍が当筋(信濃国深志城)に、相州北条氏康からは玉縄北条綱成(一族衆。相模 国玉縄城主)が上田筋(小県郡)に加勢として到着するゆえ、日増しに越国衆の威勢が減退していくのは明らかなので、この機会に景虎を滅ぼしたいとの晴信の 宿願を達する決意であり、速やかに出撃してほしいこと、事態の推移により、そのたびに使者を派遣して一切を報知すること、これらを懇ろに伝えている。
23日、市川藤若に対して返書を送り、このたび寄せられた注進状によると、景虎が「野沢之湯」に侵攻し、その要害に攻 めかかる素振りを見せる一方、其方の籠絡を図るも、同意しなかったばかりか、要害の防備を尽くされたゆえ、景虎は何ら成果を得られずに飯山城へ後退したよ うであり、実に心地よく、このたびの其方の振舞いは何れも頼もしい限りであったこと、景虎が野沢に在陣中、飛脚をもって中野筋(高井郡)への援軍要請を受 けたゆえ、加勢として、上原与三左衛門尉(直参衆)に先導させた西上野の倉賀野衆と、当手から信濃国塩田城(小県郡)の在城衆である原与左衛門尉(直参 衆)に足軽衆を始めとした五百名を、中野に在陣する真田幸綱(信濃先方衆。信濃国真田城主)の許に急行させたが、すでに越国衆は退散していたので、無念極 まりなく、いささかも対応を怠ったわけではないこと、こうした事態が二度とないように万全を期して、今後は湯本(野沢)から要請があり次第、当方を通さず に、塩田城代の飯富兵部少輔(譜代衆)の一存で援軍を催す許可を与えたので、御安心してほしいこと、よって、これらを使者の山本菅助(直参衆)が詳述する ことを伝えている。

こうしたなかで、越後国西浜口に侵攻してきた武田軍の別働隊を、急派した越後衆が鉄砲を撃ち掛けるなどして退けた。

この際、武田方の信濃先方衆である千野靭負尉(譜代衆・板垣信憲の同心)は、使者として西浜口の武田軍別働隊の陣所に赴いたところ、越後衆の襲撃に遭遇して鉄砲傷を負っている。

また一方、武田晴信は、自ら信府深志城(筑摩郡)から信濃国川中嶋(更級郡)の地に進出すると、7月5日、板垣信憲(譜代衆)を始めとする別働隊をもって、信・越国境の信濃国小谷(平倉)城(安曇郡)を攻め落としている。
6日、前線の水内郡で活動する宿将の小山田虎満(譜代衆。信濃国内山城代)に対して返書を送り、各々が奮励されている ゆえ、其許の陣容は万全であるとの報告が寄せられたので、ひときわ満足していること、当口については、敵方の信濃衆である春日(信濃国鳥屋城主か)と山栗 田(善光寺別当・里栗田氏の庶族)を追い払い、寺家(善光寺)・葛山衆に人質を差し出させたこと、嶋津(長沼嶋津氏の庶族である赤沼嶋津氏)については、 今日中に服従する意思を示しており、すでに以前から誼みを通じているため、別条はないであろうこと、この上は詰まるところ、信濃先方衆の東条(越後に逃れ た東条氏の庶族。或いは武田氏の東条(雨飾城)在陣衆か)と綿内(同じく井上氏の庶族。信濃国綿内城主)ならびに真田衆と協力し、敵方の調略に努めるべき こと、よって、今が信濃奥郡を制する好機と見極めており、いささかも油断してはならないことを伝えている。更に追伸として、密かに綱島(更級郡大塚。犀川 河畔)の辺りに布陣するつもりでいたところ、若し越後衆が進撃してきた場合、彼の地は防戦に適していないとする諸将の意見に従い、佐野山(同塩崎)に布陣 したことと、この両日は人馬を休ませたので、明日に軍勢を進めることを伝えている。

『上越市史 別編1 上杉氏文書集一』 147号 長尾景虎願文(写)、148・149号 長尾景虎書状 『戦国遺文 武田氏編 第一巻』 549号 千野靭負尉勲功目安案558号 武田晴信書状、561号 武田晴信書状写、562・563号 武田晴信書状、564・565・566・567号 武田晴信感状、568号 武田晴信感状写、569号 武田晴信感状、570号、武田晴信感状写、571号 武田晴信感状、609号 武田晴信書状写 

◆ 『戦国遺文』609号文書の追而書は、同じく第二巻の1410号文書のものであり、引用に一抹の不安を感じるが、本文の内容に問題はないようである。




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