2014年11月14日金曜日


この名簿は、「会津藩高田幽収名簿」「会津藩北陸高田謹慎名簿」「高田藩謹慎中雑記」「渋田見縫殿助羽州出兵戦記」等を参考にし、閲覧者の探索を容易にするために五十音順に人名を並べ替え、尚且つ呆嶷の独断によって誤りと思われる人名その他を修正したものです。
 よって原典とは必ずしも同一ではありませんので、あらかじめ御諒承ください。

[出典]
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/kinshin-sha-meibo/framepage1.htm



相生定之助高田 浄興寺寄合組梶原分隊
相生勝吾東京
相生豊太郎東京
相川清之進高田 浄興寺内善福寺朱雀寄合五番隊侍分
相川元三郎高田 願重寺一番独礼以下寄合隊
相沢清蔵東京脱走
相沢七右衛門東京
相田重治高田 本願寺掛所兵糧方士分
相葉安之助高田 浄興寺内浄正寺白虎士中二番隊
相原幾之助高田 本誓寺内長圓寺桜井隊士分
相原清三東京
相山運蔵高田 浄興寺寄合組梶原分隊
相山慎兵衛高田 本誓寺内光照寺玄武寄合隊士分
青木丑之助東京
青木亀之助高田 本願寺掛所城取新九郎隊付属結義隊足軽分
青木軍之烝高田 本願寺掛所朱雀隊士分
青木七之助高田 願重寺地内一番独礼以下寄合隊士分
青木庄五郎高田 願重寺一番独礼以下寄合隊
赤井萩八高田 大厳寺遠山隊
赤井伴助高田 高安寺進撃隊士分
赤岡平助高田 本願寺掛所青龍三番隊士分
赤川清之助高田 真宗寺内林西寺寄合隊侍分
赤城岩之進東京
赤城禎四郎高田 本願寺掛所城取新九郎隊付属結義隊侍分
縣 左門高田 長命寺士中寄合隊分隊
赤塚英三郎東京
赤塚勘四郎高田 常願寺独礼以下三番寄合隊
赤塚左源太高田 常願寺独礼以下三番寄合隊
赤塚常之助高田 常栄寺士分
赤塚鉄蔵高田 光國寺独礼以下寄合隊坂十郎分隊
赤塚藤三郎東京
赤塚藤次郎高田 海林寺寄合組士分
赤塚房蔵東京
赤沼勝吉東京
赤羽 登高田 浄林寺二番士中寄合隊分隊
赤羽源八東京
赤羽助九郎東京
赤羽辰之進高田 善導寺内養樹院士分
赤羽忠之助高田 善行寺砲兵一番隊士分 
赤羽直次郎東京
赤羽壽之助高田 神宮寺朱雀隊士分
赤羽英記高田 善行寺本堂一柳盛之允分隊士分
赤羽百之助東京
秋尾久吾東京
秋尾久吉東京
秋月新九郎東京
秋月新六郎高田 善行寺内幸林坊目付
秋月悌次郎東京軍事奉行添役
秋元幾弥高田 真宗寺内法林寺寄合丸山分隊士分
秋元近左衛門東京
秋元又市東京
秋山市左衛門東京
秋山運平高田 長遠寺足軽分
秋山左久高田 本誓寺青龍隊士分
秋山大蔵高田 浄興寺寄合組梶原分隊
秋山文左衛門高田 本誓寺青龍隊士分
秋山文助高田 浄興寺内善福寺朱雀寄合五番隊侍分
浅井新次郎高田 日朝寺朱雀士中三番隊
浅井鉄平高田 浄興寺白虎隊分隊
浅岡源三郎高田 本誓寺青龍隊士分
浅岡新太郎東京
安積順之助東京
安積弥太夫東京
浅沼利助高田 長遠寺足軽分
浅羽忠兵衛高田 願念寺士中寄合隊
穴沢久蔵高田 長恩寺会義隊足軽分
穴澤九郎高田 大厳寺遠山隊侍分
穴澤清吾高田 光國寺御用人支配支配足軽分
穴沢清助東京
穴澤忠吾高田 善導寺内慶安院侍分
穴沢常蔵高田 常栄寺士分
穴沢富四郎高田 長遠寺足軽分
穴澤林之助高田 浄興寺寄合組梶原分隊
安部井洗之助高田 浄興寺内浄泉寺白虎隊望月分隊士分
阿部且四郎高田 本願寺掛所兵糧方侍分
安倍志賀蔵東京
阿部新助高田 称念寺預方士分
阿部新蔵高田 称念寺預方士分
阿部壮雲高田 横手浄國寺本堂城取新九郎付属士分
安部惣助高田 浄林寺二番士中寄合隊分隊
安倍直蔵高田 極楽寺寄合組侍分
安部八蔵高田 浄興寺白虎隊分隊
阿部八之進東京
天野政之助高田 称念寺侍分
安味帯刀高田 本誓寺青龍隊士分
安味泰助東京
荒井源之助東京
荒井権内東京
荒井定八東京
荒井治郎高田 本願寺掛所朱雀隊侍分
新井富四郎高田 常教寺新練隊士分
荒井直五郎東京脱走
荒井万吉高田 本願寺掛所朱雀隊侍分
荒井力四郎東京
荒井良助高田 本願寺掛所朱雀隊士分
荒川一郎高田 長命寺士中寄合隊分隊
荒川清助高田 栄昌寺独礼以下三番寄合隊分隊
荒川辰四郎高田 浄光寺寄合組隊足軽分
荒川八郎高田 善行寺本堂一柳盛之允分隊士分
荒川類右衛門高田 高安寺進撃隊士分
荒木勝治高田 本誓寺内光照寺玄武寄合隊士分
新城金治東京
荒木粂吉高田 浄興寺白虎隊分隊
荒木源三郎高田 常教寺新練隊侍分
新城鉄太郎高田 本願寺掛所城取新九郎隊付属結義隊足軽分
新城平十郎高田 常教寺内浄連寺郡方士分
荒地国太郎高田 本誓寺内長圓寺桜井隊侍分
有坂忠三郎東京
有坂武助高田 見附常國寺地内大澤分隊侍分
在竹直江高田 光國寺御用人支配支配士分
有賀斎宮高田 最尊寺別撰組士分
有賀瀧蔵高田 常教寺内浄連寺郡方侍分
有賀文左衛門高田 願念寺士中寄合隊
荒地富右衛門東京
安西与三郎高田 善導寺内慶安院侍分
安藤織江高田 寿遠寺御用人支配侍分
安藤織之助高田 本誓寺内長圓寺桜井隊士分
安藤久太郎東京
安藤新三郎東京
安藤慎蔵東京
安藤清蔵東京
安藤父助高田 極楽寺独礼以下寄合組士分
安藤常次郎高田 本誓寺内長楽寺士分
安藤恒千代高田 日朝寺朱雀士中三番隊
安藤孫市高田 善行寺内幸林坊侍目付

4 件のコメント:

  1. 会津藩士の子孫です。以前呆嶷さんのHPでこの名簿を拝見しておりました。
    今は閲覧できなくなっており残念に思っていました。
    あ行だけでなくほかのページも閲覧できればうれしいです。

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  2. 赤塚勘四郎は赤塚勘四郎喜人といい私の曽祖父です。赤塚鉄蔵は赤塚鉄蔵忠継といい、喜人の兄です。西南戦争凱旋途上、神戸でコレラのため死亡しています。
    墓は、大阪の真田山陸軍墓地にあるようです。

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  3. 呆嶷さん、復活されたのでしょうか。

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  4. 赤塚武盛(あかつかたけもり)    嘉永4年~明治12年4月7日(1851-1879)
        会津藩士。父、赤塚治定。青森県出身。戊辰戦争で朱雀隊に加わり従軍。敗戦し越後高田藩に幽閉される。明治3年(1870)会津藩を没収された会津松平家は、斗南に3万石を与えられ、会津藩士4700名は斗南藩(となみはん)に移住。赤塚武盛も父治定に従い移住。明治5年(1872)東京に出る。明治8年(1875)警視庁勤務(権少警部)。明治10年(1877)西南の役に従軍、警視隊3人男の一人として勇名全軍に轟かせる働きをする。戦後、平時は武術のみではいけないと夜学を開設。明治12年(1879)兇賊に出くわし奮闘、重傷を負い追跡中、巡視の警官に誤認され、十数人の警官に乱打され絶命。勲六等。28歳。

    墓は、谷中霊園 乙4号3側。最奥の塀寄り。正面「赤塚家之墓」。脇に「赤塚権少警部碑」がある。


    http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/akatsukaTakemori.htm

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