2016年3月18日金曜日

会津領主


最初の殿様
 不明です。会津最初の領主は、1189年に佐原義連が最初となります。佐原氏は葦名氏(あしなし)と名のるようなり、4代泰盛
(やすもり)頃に会津に落ち着き、本拠地の城館を築きます。黒川城としては、7代葦名直盛(なおもり)が整備しています。
歴代の殿様
   佐原氏(さわらし)・葦名氏(あしなし) 1189年~1589年(400年)、3代目から葦名となる
    ※葦名氏の系図は諸説あり、確定しない部分(8代~11代)があります。
     初代・佐原義連(よしつら)、2代・佐原盛連(もりつら)、 3代葦名光盛(みつもり)
     4代・葦名泰盛(やすもり)、 5代・葦名盛宗(もりむね)、 6代・葦名盛員(もりかず)
     7代・葦名直盛(なおもり)、 8代・葦名詮盛(あきもり)、 9代・葦名盛政(もりまさ)
     10代・葦名盛信(もりのぶ)、11代・葦名盛久(もりひさ)、12代・葦名盛詮(もりあき)
     13代・葦名盛高(もりたか)、14代・葦名盛滋(もりしげ)、15代・葦名盛瞬(もりきよ)
     16代・葦名盛氏(もりうじ)、17代・葦名盛興(もりおき)、18代・葦名盛隆(もりたか)、
     19代・葦名亀若丸(かめわかまる)(隆氏・たかうじ)、20代・葦名義広(よしひろ)(盛重・もりしげ)
   伊達氏(だてし) 1589年~1590年(2年)
     伊達政宗(まさむね)     
   蒲生氏(がもうし) 1590年~1598年(9年)
     初代・蒲生氏郷(うじさと)、2代・蒲生秀行(ひでゆき)
   上杉氏(うえすぎし) 1598年~1601年(4年)
     上杉景勝(かげかつ)・執政が直江兼続
   再蒲生氏(さいがもうし) 1601年~1627年(27年)
     2代・蒲生秀行(ひでゆき)、3代・蒲生忠郷(たださと)、4代・蒲生忠知(ただとも)
   加藤氏(かとうし) 1627年~1643年(17年)
     初代・加藤嘉明(よしあき)、2代・加藤明成(あきなり)
   保科氏(ほしなし)・松平氏(まつだいらし) 1643年~1868年(226年)、3代目から松平
     初代・保科正之(まさゆき)、2代・保科正経(まさつね)、3代・松平正容(まさかた)、
      4代・松平容貞(かたさだ)、5代・松平容頌(かたのぶ)、6代・松平容住(かたおき)、
      7代・松平容衆(かたひろ)、8代・松平容敬(かたたか)、9代・松平容保(かたもり) 
最後の殿様
  9代松平容保(かたもり)です。
最初に石垣を築いたのは
  葦名氏ですが、その遺構は残っていません。伊達政宗は、天正18年(1590)町人を動員して石垣を積んでいます。
天守閣を建てたのはだれか
  蒲生氏郷です。大坂城のような黒い天守閣で7層、黒い瓦、軒先に金箔を張ったもので、天守台の石垣いっぱいに建ってい
ました。後に天守閣を建て直す時に蒲生忠郷や加藤氏が白壁の5層の天守閣にしました。
領主と藩主の墓
  佐原・葦名氏 初代佐原義連は、神奈川県横須賀市の万願寺にあり、供養塔が喜多方市熱塩加納にあります。 市街地
南東の小田山山麓に寿山廟と花見ヶ森廟、東山の天寧に狸(たぬき)ヶ森廟にあります。
  伊達氏、上杉氏、加藤氏 墓はありません。
  蒲生氏 氏郷が興徳寺、秀行が館馬町の弘真院、忠郷が中央二丁目の高巌寺にあります。
  保科・松平氏  初代保科正之が磐梯山麓の猪苗代町土津神社が墓所、2代目以降は市内東山町の
会津藩主松平家墓所にあります。

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