2016年3月17日木曜日

岩村田藩



元禄16年(1703年)8月、武蔵国赤沼藩武蔵国上野国常陸国上総国下総国など各地で1万5000石)から転じて内藤正友が佐久郡のうち27ヶ村で1万6000石を与えられ、岩村田陣屋が置かれたことに始まる。その後、1万石分が摂津国河内国(現在の大阪府)内の地へ一時移封されたが、その次男である第2代藩主・内藤正敬の代に再度佐久郡内の地へ移封された。また三男の内藤正直に1000石が分知された。このように所領の場所が頻繁に入れ替わることが多かったが、藩政で特に見るべきところはなく、そのまま代替わりした。
第6代藩主・内藤正縄老中水野忠邦の実弟であった関係で、伏見奉行となってその功績により城主格に昇進された。最後の藩主・内藤正誠は日光祭礼奉行・奏者番・寺社奉行などを歴任する。戊辰戦争では新政府軍に与して宇都宮城の戦い北越戦争に出兵した。この頃、岩村田では築城計画がなされていたが、明治2年(1869年)に版籍奉還が行なわれ、さらに廃藩置県が行なわれて藩が廃されたため、城は未完成のまま廃城となった。そして岩村田県は長野県に吸収された。
なお、現存建物として蔵が陣屋跡近くの中嶋公園に移築現存している。

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