2016年3月18日金曜日

一ノ堰の六地蔵


会津若松市門田町一ノ堰にある地蔵尊。萩之原六地蔵尊。
 天台宗神護山照谷寺の先代石川清海住職の撰文によると、堀川天皇寛治4年(1090)6月、当村山田近右衛門が草刈のおり、萩の株から1寸8分の地蔵尊を発見し、持仏堂に安置して供養したのが始まり。
 その後22年間、日々の供養を怠らないでいたところ、天永3年(1112)に大川の洪水で大木が流れ着いて近右衛門の名を呼んだ。近右衛門は驚きながら もこれを地蔵様の導きと解釈し、その大木を霊木として6体の地蔵尊を刻み、漂着した場所に堂を建てて安置した。
 以来、人々はこの地蔵尊を「萩之原の六地蔵」と呼んで篤く崇敬したという。

 ところが寛永20年(1643)春に、堂宇が炎上してしまう。その後建てられた草堂は、ひどく粗末なものであったらしい。
 50有余年間に渡り、人々の悲しみをよそに草堂は粗末なままであったが、元禄12年(1699)、諸国修行中の向誉上人がこの地に至り、10年の歳月を かけて草堂を方6間の堂宇に改め、金色の六地蔵を修造し、宝永5年(1708)7月24日に入仏供養を行なった。これが現在の一ノ堰地蔵尊である。

 さらに大正14年、堂宇が老朽化したので鞘堂を増築して瓦葺とし、現在に至っている。
 縁日は8月23日・24日。

 昭和の頃、この六地蔵尊の前に非常に美味い棒鱈を食べさせてくれる店があったのが、残念ながらもうないらしい。


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