2016年3月18日金曜日

一心寺



大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺。正式には「坂松山高岳院一心寺」。
 文治元年(1185)、法然上人がこの地に草庵を結んだことを開基とし、慶長元年(1596)に三河の本誉存牟上人が法然の旧跡であるこの地で1000 日の念仏修法を行って寺を再興した。本誉上人の一心称名をもって寺ができたため、一心寺という名になったといわれている。

 大坂冬の陣・夏の陣では徳川家康の本陣がこの寺に置かれ、ことに元和元年(1615)5月の夏の陣では近辺で激戦が展開されたため、一心寺に埋葬された戦死者の数は3000体を数えたという。

 幕末、京都守護職である会津藩主松平容保の大坂における定宿となり、会津藩の大坂藩邸的な役割も果たした。
 会津藩士のうち、大坂夏の陣の際に信州保科家の家臣として戦死した祖先を持つ者たちには、この寺に祖先の墓を建てて供養していった者もいたという。
 慶応4年(1868)正月の鳥羽伏見の戦いの後、傷を負って退却してきた会津藩士たちの多くはこの寺に収容されたが、そのまま息を引き取る者も少なくなかった。現在も墓域には、会津藩士関係の墓が並んでいる。

 明治以後、関西会津会らがたびたび供養顕彰を行ない、昭和12年には門前に「明治戊辰戦歿会津藩士之碑」が建てられた。



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