長野市津野にある曹洞宗のお寺、 玅笑寺参道にも今年になって小林一茶の句碑が立てられました。
春風や 犬の寝聳る わたし舟 一茶(「七番日記」)
この句は「七番日記」の文化14年(1817、一茶55才)2月にあります。この時期一茶は江戸・下総方面への生涯最後の俳諧行脚中でした。それは10ヶ月以上に及ぶもので、その間、一茶は何度も川を渡り、又川舟を利用して俳友や門人達を訪ねています。菜の花の咲く房総の2月(新暦で3月)、渡し舟の上で旅の疲れもあって春風を受けながら一茶はついウトウトしたことでしょう。犬までも気持ちよさそうに寝そべっています。
この句が玅 笑寺にあるのは一茶が利用した北国脇往還(雨降り街道)の千曲川の渡し、長沼の船場(布野の渡し)をイメージしてのことのように思われます。
一茶は文化13年9月16日に柏原の家を出て先ず小布施町六川、高山村紫、長沼などの門人を訪ねています。久保田春耕、魚淵、呂芳、素鏡、松宇などから江戸行脚への餞別を得て江戸に出立。10月1日に江戸に到着し先ず谷中本行寺の馴染みの住職一瓢を訪ねています。その後は流山の双樹の墓参をしたり、月船、斗囿、鶴老、蕉雨等の江戸や下総方面の多くの俳友宅を何度も行き来して最後の別れを惜しんでいます。この10ヶ月の間に貰った餞別を一茶は詳細に記録しています。
11月、布川の門人月船宅で一茶の師匠格であり俳友、パトロンでもあった夏目成美が19日に亡くなったことを知ります。奇しくも11月19日は一茶の命日ともなった日です。12月のは成美の追悼俳諧に出席しました。
随斎旧迹 (以下「七番日記」12月)
霜がれや 米くれろと迚 鳴雀
霜枯れに とろとろセイビ参り哉
笹鳴や ズイサイセイビの 世なり迚
霜がれや 何を手向に セイビ仏
かれがれに 見人(みて)をなくした 角田川
霜がれや 米くれろと迚 鳴雀
霜枯れに とろとろセイビ参り哉
笹鳴や ズイサイセイビの 世なり迚
霜がれや 何を手向に セイビ仏
かれがれに 見人(みて)をなくした 角田川
また、この最後の江戸滞在中に一茶は長沼の門人佐藤魚淵の句文集「あとまつり」を完成させ出版の労を取っています。
[出典]
http://issablog.kohei-dc.com/?m=201208
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