2014年11月13日木曜日


ロペス教授の規定は、非常に明快で、基本的に納得のいくものである。しかし、いくつ か疑問に感ずるところがある。第一に、近代仏教というものを世界に普遍的で、グローバ ルなものとして認めてよいかということである。先の規定はほぼ日本の近代仏教の表層の 言説にも当てはまる。ただ、原始仏教への回帰を志向するか、という点はやや疑問がある。 確かに清沢満之は『阿含経』を重視し、その弟子の赤沼智善は原始仏教研究に成果を挙げ ている。近代になって原始仏教への関心が強まることは事実であるが、先にも述べたよう に、日本の場合は祖師への回帰ということがより中心的である。経典に関しても大乗経典 中心であった。そのことは、浄土教だけでなく、禅に関しても同じである。 近代仏教を代表する具体的な人物に関して述べれば、鈴木俊隆は確かにアメリカ近代仏 教の観点から見るならば重要であるが、日本ではほとんど名前も知られていない。日本の 中で言えば、浄土真宗の清沢満之や曽我量深、あるいは日蓮信仰の田中智学の方が影響力 が大きかったと考えられるが、彼らは日本以外にはほとんど影響力はないであろう。 このように見るならば、近代仏教を直ちにグローバルな観点から見てよいか、検討の余 地があろう。欧米を中心に考える近代仏教と、アジアの各国を中心に考える近代仏教とは かなり様相が異なっている。このことは、じつは仏教の問題だけに限られず、そもそも「近 代」という概念そのものが、欧米とアジアではかなり異なっていることに関係する。欧米 にとって、近代はそれ自体の中から自発的に生まれたものであった。


[出典]
publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/kosh/.../article.pdf

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