三州守護 島津(総州家、奥州家、相州家、薩州家、豊州家)氏
相州家庶流 加治木島津氏、佐志島津氏、日置島津氏、永吉島津氏、佐土原島津氏、垂水島津氏、新城(末川)島津氏、宮之城島津氏、喜多村島津氏、
奥州家庶流 喜入氏、桂氏、迫水氏、大島氏、竹崎氏、義岡氏(伯州家)、志和池氏、亀山氏、藤野氏、
総州家庶流 相馬氏、姶良氏(碇山家)、
薩州家庶流 吉利氏、大野氏、寺山氏、大田氏、三栗(三葉)氏、西川氏、
惟宗姓伊作氏族 伊作氏(島津伊作家)、若松氏、西氏、石見氏、恒吉氏、
惟宗姓伊集院氏族 伊集院氏、丸田氏、松下氏、南郷氏、入佐氏、大田氏、日置氏、今給黎(知覧)氏、麦生田氏、大重氏、黒葛原氏、土橋氏、東氏、吉俊氏、飛松(富松)氏、四本氏、伊鹿倉氏、門貫氏、古垣氏、春成氏、福山氏、有田屋氏、
惟宗姓新納氏族 新納氏、西谷氏、大崎氏、邦永氏、
惟宗姓北郷氏族 北郷氏(島津都城家)、神田(上田)氏、
惟宗姓樺山氏族 樺山氏、土持氏、外城氏、池尻氏、
惟宗姓町田氏族 町田(石谷)氏、阿多氏、梅本氏、飯牟礼氏、
惟宗姓川上氏族 川上氏、辺川氏、小原氏、山口氏、
惟宗姓佐多氏族 佐多氏(島津知覧家)、伊佐敷氏、池上氏、
梶原氏族 酒匂氏、梶原氏、左近氏、
平姓畠山氏族 伊地知氏、蓑輪氏、田島氏、真玉氏、讃良氏、松方氏、畠山氏、田之上氏、中馬氏、
島津家臣 本田氏、鎌田氏、山田氏、村田氏、三原氏、難波氏、上井氏、八木氏、上原(伊作田)氏、園田氏、猿渡氏、堀氏、大寺氏、石井氏、中条氏、奈良原氏、古川氏、伊勢(有川)氏、井尻氏、色紙(前田)氏、服部氏、河野氏、境田氏、稲留氏〈肥後国人衆収録〉、
三十三家 岡崎氏、二宮氏、名越氏、田代氏、鹿島氏、赤塚氏、
在国司 大前氏、東郷氏、斧淵氏、富光氏、滝聞氏、
紀姓伊集院氏族 伊集院氏、桑羽田氏、宮里氏
惟宗氏族 執印氏、国分氏、五代氏、河上氏、平野氏、羽島氏、向井氏、五大院(後醍院)氏、
大蔵氏族 加治木氏、郡山氏、比志島氏、小山田氏、川田氏、辺牟木氏、前田氏、西俣氏、市来氏、河俣氏、
有馬氏族 長谷場氏、矢上氏、有間氏、益山氏、
莫禰氏族 莫禰(阿久根)氏、岩元(岩本)氏、遠矢(遠屋)氏、
平姓伊作氏族 頴娃氏、薩摩氏、吉富氏、岩元氏、上野氏、是枝氏、指宿氏、知覧氏、川辺(河辺)氏、谷山氏、別府氏、加世田氏、阿多氏、石塚氏、得丸氏、平田氏、帖佐氏、寺師氏、牧氏、
牛屎氏族 牛屎氏、淵辺氏、鳥越氏、
伴氏族 肝付氏、三俣氏、橋口氏、梅北氏、北原氏、安楽氏、岸良氏、検見崎氏、救仁郷氏、津曲氏、武光氏、薬丸氏、鹿屋氏、白坂氏、江田氏、広田氏、
檜前氏族 檜前氏、篠原(薗田)氏、岩崎氏、萩崎氏、税所氏、
日下部氏族 日下部氏、真幸氏、平島氏、井上氏、土持氏、海江田氏、蒲生氏、吉田氏、美代氏、
大神氏族 三田井氏、
大隅国人 敷根氏(島津市成家)、西郷氏、
平山氏族 平山氏、甑氏、松元(松本)氏、
渋谷氏族 入來院氏、渋谷氏、東郷(車内)氏、祁答院(柏原)氏、下村氏、岡元氏、村尾氏、山崎氏、寺尾氏、山口氏、高城氏、炭浦氏、下津留氏、白浜氏、湯田氏、宇多氏、大村氏、藺牟田氏、家村氏、草留氏、瀬戸口氏、手島氏、
鎌倉御家人 伊東(工藤)氏、二階堂氏、鮫島氏、菱刈氏、小川氏、野辺氏、
建部氏族 禰寝氏、武氏、池端氏、宮原氏、松沢氏、池袋氏、弟子丸氏、
名越北条家臣 種子島氏、肥後氏、西村氏、美座氏、中田氏、河内氏、財部氏、岩河氏、河東氏、下村氏、国上氏、北条氏、最上氏、古市氏、平山氏、前田氏、遠藤氏、野間氏、上妻氏、鮫島氏、日高氏、長野氏、榎本氏、渡辺氏、羽生氏、牧氏、
富山氏族 富山氏、岩切氏、志々目氏、浜田氏、
赤橋北条家臣 楡井氏、
伊東家臣 木脇氏、深歳氏、清武氏、前田氏、佐土原氏、田島氏、長倉氏、西牟田氏、飯田氏、右松氏、荒武氏、野村氏、落合氏、稲津氏、川崎氏、湯地氏、米良氏、高橋氏、福永氏、大脇氏、
足利家(三方氏)
北条家(島津氏)
得宗家(工藤氏)
少弐家(有馬氏)
摂関家荘園群「殿下渡領」の内で最大の荘園は、日向国南部・薩摩・大隅両国にかけて広がる嶋津荘でした。
嶋津荘の荘官である惟宗氏が武士化したのが島津氏です。
島津忠久は源頼朝に信頼され、薩摩・大隅・日向三国の惣追捕使(守護)となり、大名化していきます。
しかしこれらの国々には古代豪族が多く存在していました。
薩摩国では在庁官人のトップである「在国司」源姓大前氏族があります。
そして注目すべきは平姓武士団です。
特に嶋津荘を開発した平季基らの系統で薩摩平氏と呼ばれる莫禰一族、川辺一族、帖佐一族らはかなりの勢力がありました。
薩摩(吉富)氏や指宿、知覧、谷山氏らは南北朝時代に島津氏と覇権争いをします。
長谷場一族は肥前有馬氏と同族で、平直澄の子孫とされ、藤原純友の子孫を称してもいます。
川辺一族のなかでも頴娃氏は重要です。
薩摩氏、指宿氏、知覧氏、など頴娃忠永(忠長)から分かれた家が多いのにも関わらず、
頴娃氏自体は他氏からの養子が入っているのでややこしくなっています。
まずは鎌倉時代に長谷場一族の益山氏から忠純が入り、
南北朝時代には島津久豊が一時養子となり、その後、伴姓肝付氏から兼政が入り、
さらに島津勝久(後に島津奥州家相続)や久秀(島津義虎の子)、久政(鎌田政近の子)が入嗣しています。
養子関係が多いのは頴娃氏の重要性の高さを表していると言えるでしょう。
ついでに東国御家人として鎌倉時代に来住した渋谷一族や
島津氏の家臣である酒匂、本田、伊地知、山田氏も平姓です。
他には島津氏と同族である惟宗一族や九州に多く存在する大蔵一族やそして紀姓伊集院氏も有力な存在です。
島津氏は伊作や伊集院に一族を送り込み、勢力を増大させます。
東国御家人では鮫島、二階堂ら工藤氏族が目立ちます。
大隅国では肝付氏ら伴氏族や、禰寝氏ら建部氏族が有力ですが、
鎌倉時代の名越北条家の家臣であった肥後氏の一族とされる種子島氏も注目です。
禰寝氏も肥後氏も鎌倉北条氏との関係がポイントです。
日向国は日下部氏及びその地盤を受け継いだ土持氏や、古代豪族の三田井氏がいましたが、
南北朝時代には島津一族の新納氏、北郷氏、樺山氏、石坂氏や足利一族の畠山直顕の進出が見られます。
ここでも東国御家人の工藤氏から派生した伊東氏や横山氏族の野辺氏が発展します。
やはり鎌倉時代に北条氏と関係の深かった工藤(伊東)氏や肥後(種子島)氏は重要ですね。
島津総領家は総州家、奥州家、相州家、薩州家、豊州家と呼ばれる五つに分かれています。
総州家は薩摩守護・師久に始まる家で本来はこの家が嫡流なのでしょう。
総州家は川辺氏の地盤を受け継ぎますが、弟・氏久に始まる奥州家に押されて衰退します。
総州家からは相馬氏、碇山氏、姶良氏が分かれます。
奥州家は大隅守護・氏久に始まり、次の元久の代に三州守護となります。
元久の跡は、当初は総州家の久照(北殿)が養子となり、
元久死後は伊集院頼久の子・熈久と頴娃氏の養子となっていた氏久の子・久豊(南殿)との争いの結果、久豊が継ぎます。
室町時代の惣領は奥州家です。
奥州家からは喜入氏、桂氏、迫水氏、大島氏、義岡氏、亀山氏、藤野氏が分かれます。
相州家は奥州家・忠国(久豊の子)の庶長子・友久から始まる家ですが、
伊作氏から忠良が入ってきたことにより勢力を拡大させます。
次の貴久が奥州家・勝久の養子となり、三州守護となり
義久の代に九州制圧直前まで行きますが、豊臣政権に服属し、薩摩・大隅両国及び日向諸県郡を安堵され、
江戸時代の忠恒(後に叔父と同じ家久と改名)の代に琉球を加え、薩摩藩主として続きます。
忠良の子・忠将(相州家相続)から佐土原家、垂水家、新城家(のち末川家)が派生、
同じく忠良の子・尚久からは宮之城家、喜多村家が派生し、佐志家(久近)へ養子に入ります。
貴久の子から日置家(歳久)、永吉家(家久)、義弘の子から佐志家(忠清)が創設されます。
島津忠恒の子からは
島津義弘と古代豪族の加治木氏の地盤を受け継いで加治木家(忠朗)を創設されたり、
島津一族の豊州家(忠広)、日置家(忠心)、永吉家(久惟)、垂水家(忠紀)、
伊集院氏(久朝)、北郷氏(久直)、樺山氏(久尚)、町田氏(忠尚)、桂氏(忠隆)、今給黎氏(久国)や、
家臣の鎌田氏(正勝)、伊勢氏(貞昭)、禰寝氏(重永)へ養子に入ります。
島津光久の子からは島津一族の佐志家(久岑)、末川家(久侶)、北郷氏(久定・忠長)、喜入氏(忠長・久亮)、佐多氏(久達)や、
鎌田氏(正長)へ養子に入りました。
薩州家は久豊の子・用久から始まった家で薩摩守護代を務め、相州家と覇権を争います。
島津義虎の子は島津日置家や頴娃氏、入來院氏へ養子に入ります。
薩州家からは吉利氏、大野氏、寺山氏、大田氏、三栗氏、西川氏が分かれます。
豊州家は久豊の子・季久から始まった家で、後に北郷氏から忠親、島津忠恒の子・忠広が養子に入ります。
季久の子は加治木氏(満久)、平山氏(忠康)へ養子に入ります。
伊作氏(又は「伊作家」)は島津久経の子・久長に始まり、前述の通り相州家と深い関係にあります。
伊集院氏は古来より院司を務める有力紀姓の豪族でしたが、島津忠経の孫・久兼が受け継ぎます。
最終的には島津忠恒の子・久朝が伊集院本家を継ぎます。
新納氏は島津忠宗の子・時久から分かれた家で、後に宮之城家の久元、薩州家の忠影が養子に入ります。
北郷氏も島津忠宗の子・資忠から分かれた家で、後に豊州家の時久、島津忠恒の子・久直、光久の子・久定及び忠長が養子に入り「都城家」となります。
樺山氏も島津忠宗の子・資久から分かれた家で、後に島津忠恒の子・久尚や、東郷氏(永吉家出身)から久広が養子に入ります。
町田氏は島津忠経の子・石谷忠光から始まり、後に島津忠恒の子・忠尚が養子に入ります。
川上氏は島津貞久の庶長子・頼久から分かれ、本家は他から養子を入れず、存続します。
佐多氏は知覧氏の地盤を受け継ぎ、後に島津光久の子・久達が養子に入り「知覧家」となります。
入來院氏は相州(佐土原)家(重時)、薩州家(重高)から養子が入ります。
東郷氏は永吉家(重虎)から養子が入ります。
敷根氏は宮之城家(立頼)から養子が入り「市成家」となります。
肝付兼屋は島津忠恒の婿ということで准一族扱いです。
種子島氏の当主は島津本家の婿になることが多いので重視されていたのでしょう。
島津家臣中枢
島津貞久時代 新納時久・川上頼久・酒匂久景・土持栄定・土持栄幽
島津氏久時代 本田氏親・本田親治・土持栄勝
島津元久時代 本田忠親・平田親宗・上井元秋
島津久豊時代 本田重恒・平田重宗・伊地知季豊・柏原好資・大寺元幸
島津忠国時代 島津用久・新納忠臣・北郷知久・樺山孝久・町田胤久・町田一久・山田忠尚・末吉忠勝・本田国親・本田重恒・本田宗親・平田氏宗・平田兼宗・村田経房・村田経茂・伊地知季豊・柏原永好・大寺忠幸・石井義忠・加治木親平・長野助家・高木経家・廻元政・税所称阿・和田政直・財部固成
島津忠昌時代 新納忠続・本田兼親・平田兼宗・村田経安・伊地知重貞
島津忠治時代 本田兼親・伊地知重貞・桑波田景元・鳥取政茂
島津忠隆時代 本田兼親・伊地知重周・桑波田景元・鳥取政茂
島津勝久時代 本田兼親・本田親尚・伊地知重周・桑波田景元・肝付兼演・土持政綱・梶原景豊・池袋宗政
島津貴久時代 伊集院忠朗・伊集院忠倉・伊集院忠棟・新納康久・川上忠克・川上久朗・喜入季久・本田薫親・本田盛親・本田親信・村田経定・村田秀久・三原重秋・鎌田政年・肝付兼盛・平田昌宗・平田宗茂・伊地知重興?
島津義久時代 島津征久・島津義弘・島津家久・島津忠長・伊集院忠棟・新納忠元・町田久倍・川上忠克・喜入季久・今給黎久治・本田親貞・村田経定・平田昌宗・平田光宗・上井為兼・河野清通・上原尚近・市来家諸
応永二十九年奉加帳
島津久豊・忠国
新納忠臣
樺山教宗?
伊作勝久?
北郷知久
山田忠豊
伊集院頼久
佐多久清・浄了
平山武久
本田重恒
大寺元幸
平田重宗
柏原好資
伊地知久安
島津家地頭
島津義弘 帖佐
島津歳久 宮之城
島津尚久 秋目・加世田
島津忠長 久志・串良
島津忠廉 帖佐・串良
島津孝久? 伊集院
伊集院忠朗 鹿児島・姫木
伊集院忠棟 北村・高山・南郷
伊集院忠俊 水引
伊集院久宣 清武
今給黎久通 市成・踊・牛根
今給黎久治 串間・桜島・市来・出水・高山
今給黎久信 横川
南郷忠鏡 加久藤
南郷久元? 阿多
南郷忠行 吉松
日置忠饒 串間
古垣忠晴 水俣
春成久正 加世田
新納武久 富田
新納忠元 大口・牛山・御船
新納忠光 伊作
新納康久 大崎・加世田
新納久饒 隈城
新納久時 綾
新納長住 市来
新納孝久 隈城
新納久厚 蘭牟田
新納忠宗 恒吉
新納忠豊 市成
新納忠誠 曾木
北郷久村 財部
北郷久堯? 山田
北郷久薫 梶山
北郷久慶 志和地
北郷喜左衛門 都城
北郷又次郎 高城
北郷久左衛門 末吉
北郷大炊 勝岡
北郷久蔵 野々美谷
北郷雅楽 安永
神田久友 山之口
神田久猶 山之口
樺山長久 山之口
樺山忠助 穆佐
樺山久高 百引・出水・伊作・志布志
町田久倍 伊集院
町田忠倍 伊集院
町田久幸 高山
町田忠堯 新城
川上兼久 伊集院
川上久隅 蘭牟田
川上久貞 中郷
川上久運 頴娃・高山・飯野・高城
川上久尚 百引・吉田
川上栄久 川辺
川上忠克 谷山
川上久辰 谷山
川上忠智 栗野・飯野・加久藤・蒲生・馬越
川上忠堅 蒲生・馬越
川上翌久 本庄
川上倍久 永吉・蘭牟田
川上源五郎 向島
川上大炊 小林
佐多久政 佐多
佐多忠増 百次
喜入頼久 指宿
喜入忠誉 喜入
喜入忠俊 喜入
喜入季久 喜入
喜入久通 喜入
桂忠昉 平佐
義岡忠縄 梅北
吉利忠澄 吉利・塩水・三城
吉利忠金 倉岡
吉利忠知 穆佐
大野忠綱 加世田
大野忠悟 山田
大野忠宗 加世田・山田
阿多忠秋 阿多
阿多忠辰 川辺
寺山久兼 市成
大田昌久 帖佐
島津忠弘 阿多
本田親貞 吉田・加世田
本田親治 加世田
本田薫親 永吉・山田・向島
本田公親 曽於
本田道親 田布施
本田宗親 加世田
本田親光 加世田
本田親利 鹿籠・坊泊
本田為親 曽於
本田正親 加世田
本田親正 甑島
伊地知重貞 加治木
伊地知重辰 加治木
伊地知重兼 加治木
伊地知重豊 川内山田
伊地知重頼 田布施
伊地知重康 平和泉
伊地知重茲 指宿
伊地知重政 門川
田島重秀 姶良
鎌田政年 帖佐・牛根・志布志
鎌田政心 百次・財部
鎌田政近 都於・指宿
鎌田政郷 田布施
鎌田正勝 高橋・蒲生・高岡
鎌田正長 平松・帖佐
鎌田政在 桜島
鎌田政貞 鶴田
鎌田長門 垂水
村田経定 蒲生・郡山・吉田
村田経威 市来・郡山
村田経安 郡山
村田経清 郡山
村田亀丸 曽於
山田有信 高江・高城・日置・串木野・隈城・福山
三原重益 加世田
三原重秋 帖佐・重富・曽於
三原重行 伊作
三原重香 伊作
三原重治 伊作
三原重隆 郡山
比志島義基 栗野・曽井
比志島義住 郡山
比志島国守 岩川
比志島国親 岩川
比志島国真 市来・隈城・北村
比志島国貞 市来・高岡
比志島義知 曽井
川田義朗 川田・垂水
鮫島宗豊 田布施・高橋
鮫島宗増 大野
鮫島土佐 大野
伊勢貞真 飯野
伊勢貞清 高岡
有川貞易 高橋
井尻祐貞 肱屋
上井薫兼 永吉
上井為兼 永吉・宮崎
上井秀秋 馬関田・小林・綾
上原尚氏 曽於
上原尚近 高原・飫肥
上原尚演 吉松・横川
上原尚政 横川
八木正信 吉田
柏原有国 松山
猿渡信光 加世田・羽月
宮原景時 串木野
宮原景種 須木・佐敷
敷根頼賀 市成
敷根頼豊 野尻
高崎能名 伊作
高崎能宗 伊作
高崎能広 伊作
市来家親 松山
市来家廉 加世田・川辺
市来家守 野尻
五代友慶 馬関田
大寺頼安 山田
大寺安辰? 加世田・阿多
大寺大炊 田野
莫禰良正 阿久根
莫禰良有 阿久根
遠矢良時 長野
平田昌宗 帖佐・伊集院
平田光宗 帖佐・八代・郡山・西別府
平田歳宗 帖佐
平田増宗 郡山・吉田
平田宗茂 川辺・加世田
平田宗貞 加世田
平田宗仍 末吉
平田宗応 木脇
平田宗弘 本城
平田宗吉 山田
平田宗張 山田・川辺・穂北
平田宗祇 指宿
頴娃兼洪 指宿
頴娃兼賢 小林
頴娃久政 日当山・高山・伊集院
頴娃久友 山田
頴娃久甫 小根占・伊集院
知覧久純 梅北
知覧忠喜 梅北
入来院重孝 百次
入来院重清 帖佐・重富
東郷重位 坊泊
村尾重候 山田・次木
白浜重政 大村
肝付兼盛 溝辺
肝付兼寛 加治木
肝付兼吉 恒吉
肝付兼清 姶良
肝付兼広 梅北
肝付備前 踊・日当山
肝付新左衛門 大姶良
肝付淡路 加例川
梅北国兼 湯尾
津曲俊宗 指宿
津曲兼任 指宿・頴娃・今和泉
津曲兼音 指宿
津曲兼延 指宿
津曲兼敏 指宿
検見崎兼泰 串良
岸良兼慶 市成
岸良兼直 大姶良
安楽兼近 市成
薬丸兼将 高山
白坂兼頼 加久藤・吉田
中村対馬 百引
中村吉親 百引
河越重高 百引
河越重尚 高隈
隈本宗清 踊
伊東祐審 馬越
木脇祐昌 木脇・花山・水引・頴娃・栗野
木脇祐章 川内・山田・吉松
木脇祐玄 串木野
落合兼有 山之口
落合兵部 穆佐
落合上総 守永
長倉伴九郎 清武
上別府宮内 清武
上別府常陸 飫肥
野村秀綱 平佐
野村松綱 内山
野村文綱 内山
野村重綱 白砂崎
野村清綱 高江
野村是綱 山崎
福永宮内 飫肥・飯田
福永丹後 浦之名
米良重方 三山野久尾
米良右馬 紙屋
米良休介 坪屋・津保屋
稲津民部 梶山
土持盈信 栗野・大崎・高江・曽於
土持頼綱 末吉
土持孝綱 大岩田口
土持次昌 末吉
税所篤職 牛山・山野
税所篤和 山野
税所新介 曽於
小杉頼栄 恒吉
財部盛住 曽於・踊
鳥丸重利 中郷
小島辰綱 曽於
平兼安 加世田・川辺
平宗綱 加世田
奈良原資 加世田
奈良原敦 逆谷
菱刈重広 本城
藤原忠易 野田・高野
藤原忠綱 末吉
藤原秀家 久志
藤原兼頼 吉田
藤原良房 鹿屋
稲留長辰 八代・紙屋
稲留長秀 加世田
平川景信 加世田
禰寝重張 根占
吉田朝清 帖佐山田
吉田清孝 阿多
曾木越中 吉松
東条民部 高山
山口貞行 松山
和田越中 勝岡・野々美谷
二階堂安房 湯之浦
江戸時代
鹿児島・島津氏770000石
都城・北郷氏39000石
佐土原・島津氏30000石
垂水・島津氏18000石
加治木・島津氏17000石
宮之城・島津氏15000石
島津氏一家
島津忠久(豊後前司)
(豊後守)忠久子
島津忠時(豊後修理亮)
島田忠綱(豊後四郎左衛門尉)
島津忠直(豊後六郎左衛門尉)
(大隅守)忠時子
島津久経(大隅修理亮)
山田忠継(大隅式部少輔)
中沼長久(大隅大炊助)
島津忠康(大隅式部丞)
島津忠佐(大隅左衛門尉)
阿蘇谷久時(大隅四郎)
島津忠経(大隅五郎)
島津久氏(大隅七郎)
(下野守)久経子
島津忠宗(下野三郎左衛門尉)
伊作久長(彦三郎)
島津忠長(下野彦三郎左衛門尉)
(常陸介)忠経子
給黎宗長(進士三郎左衛門尉)
(周防守)忠綱子
島津忠行(周防三郎左衛門尉)
島津忠泰(周防四郎左衛門尉)
島津忠景(周防五郎左衛門尉)
島津四兄弟
島津義久(材徳)
島津義弘(雄略)
島津歳久(知謀)
島津家久(兵術)
看経所四人
新納忠元
肝付兼盛
鎌田政年
川上久朗
島津四朗(僕が勝手に考えました)
島津家にいる4人の「朗」
島津忠良の最大の功臣というべき伊集院忠朗
軍師役の岩切信朗
伊集院忠朗と岩切信朗の二人から兵法を伝授された、これまた軍師役の川田義朗
そして薩摩国守護代と嘱望された川上久朗。
ちなみに鎌田政近も法名が源朗です。
軍師役
岩切信朗
川田義朗
新納久饒
http://www.geocities.jp/kawabemasatake/satuma.html
嶋津氏に関する情報が満載で、大変感心いたしております。この中で「応永二十九年奉加帳」というものがございますが、これはどの史料に掲載されているのでしょうか。是非とも出典をご教授賜りたく、お忙しい中恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。
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