2015年9月7日月曜日

赤沼弥一郎


「暗涙之一滴」

 ほどなく斗南移住、ということになり、鈴木所左衛門、米野陣、赤沼弥一郎らと共に汽船「大阪丸」に乗り、品川を出港した。
 乗員は約300名。
 それぞれが5日分の食料(餅5枚)を持ち、4月18日に出航、21日八戸藩領の鯨ヶ浦に上陸した。父、鈴木所左衛門、渡辺弥祖助らと共にここで婦女の到着を待つ。
 数日後、五戸に到着し、新井田登は新丁神明社別当方へ、鈴木所左衛門は大町大黒屋直七方へ、赤沼弥一郎は沢天神社別当方へ、それぞれ居を定めた。
 6月1日、婦女到着の報に接し、馬で鯨ヶ浦に駆けつける。翌2日、帰宅。
 これより、1人1日飯料玄米3合を賜る。

 父は藩丁に出仕し、少属に任ぜられ正九位に叙せられた。会計刑法司民歓農の数務を兼ねていたが、明治4年の廃藩置県で斗南藩は斗南県となり、さらに青森県に吸収合併されたので、故郷の会津に帰ることにした。
 会津への帰途、母が体調を崩してしまった。本宮までは何とか来たものの、そこでとうとう動けなくなり、遂に苗代田に歿する。
 ほどなく若松竪三日町の自宅に到着。
 その後、生計を立てるに大きな苦労をしつつも、新潟などにも出かけた。
 爾来転居数回、戊辰以来の経歴の詳細は履歴書に記した。


出典
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/frame9/honbun-23.htm




会津藩斗南へ: 誇り高き魂の軌跡 285頁
 著者: 星亮一 


斗南県官員録
明治三年庚午十月申付  赤沼治勝



呆嶷版 「慶応年間 会津藩士人名録」
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sub3ja.htm

赤沼弥一郎    7石2人    役人    御勘定所    白河    5月中    兵糧方上役    44


会津藩士謹慎者名簿
赤沼勝吉     東京
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/kinshin-sha-meibo/framepage1.htm

■会津藩斗南へ: 誇り高き魂の軌跡 59頁
 著者: 星亮一

広瀬常之助 西塔坂
赤沼弥一郎 天満



明治14年旧斗南藩人名録(戸主)

赤沼弥一郎     三戸郡五戸村    

【参考文献】
葛西富夫『斗南藩史』斗南会津会
『続 会津の歴史』講談社



幕末会津藩殉難者名
 http://www.geocities.jp/daitabou/aizujunnan1-a.html

以下、記載上の瑕疵、矛盾を指摘しておく。

赤沼弥一郎         兵糧方上役     五月磐城白河戦死

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