2015年9月7日月曜日

会津藩の身分制度


会津藩の身分制度は厳格で、藩士は10数階層に分けられており、階層は一目みてわかるよう羽織の紐や半襟の色で区別されていた(紐・襟制)。身分の明確化は藩租保科正之の重要施策の一つだったが、紐・襟制自体は藩創設当初からの制度ではない。

天明・寛政の藩政改革を推進した家老田中玄宰【たなか・はるなか】は、天明7年(1817)、改革の基礎となる綱領(政策目標)8項目を建議した。この第6条に「服色を定めて上下の分を明らかにすること」とあり、これに基づき、上士(士中)・中士(寄合)は羽織紐の色によって7階級に(紐制)、下士(足軽)は半襟の色によって4階級に(襟制)区別する身分制度(紐・襟制)が創設されたのである。階級によって、式服の色も定められた。また、藩士に適用されるルールも各紐・各襟で違うことがしばしばだった。

改革綱領には門地に拘らない人材登用もうたわれており、実際、天明・寛政の改革の中核藩士の多くは中士・下士出身であった。しかし、紐制・襟制の創設は「必要以上に藩士の階級意識を拘束し」(『会津藩の崩壊』)、以後の藩政に少なからぬ負の影響を与えることになったという。

1) 紐制

紐制は、1~7等の上位7階級で、羽織に指定の色紐(上から納戸紐黒紐紺紐花紐茶紐萌黄紐浅黄紐)を用いた。花紐(4等)以上が上士で「士中」と呼ばれ、藩校日新館に入学できた。茶紐(5等)以下は中士で「寄合」と呼ばれた。茶紐以上は藩主に一人で謁見(独礼御目見)できる資格があった(『会津ちょっといい歴史』)。ただし、家老・若年寄は納戸紐ではなく、勝手次第な身分で別格(『志ぐれ草紙』)という説、拝領羽織に紫紐だったという説(『会津藩諸士系譜』)があり、その場合は8階級になる。さらに、黒紐には上下の別があったという説(『志ぐれ草紙』)もある。

また、『系譜』によると、紐色と同時に夏冬の式服の色も指定されていたようである。士中では、紫紐・納戸紐の上位2階級は夏は渋(薄)柿色冬は空色。続く黒紐紺紐花紐の3階級は夏は水色冬は色。一方、寄合になると、式服の色に加え、形や生地も指定されたようだ。茶紐は、夏は千種色、冬は青茶色。上着下着共に袖を用い、生地は熨斗目白無垢を用いた。萌黄紐は、色は夏は藍鼠,冬は路考茶色。上下着絹糸入で帯は絹の使用が許された。紐制最下級の浅黄紐(月割)には式服の色指定はなかったようだが(上位の色は着用できなかったと推測)、夏冬共に形付で、絹は下着と帯のみ糸入り迄が許されたが、上着は一切絹の使用が許されなかった。(『系譜』の情報は尚侍さんからお寄せいただきました。尚侍さん、ありがとうございました)【表1】

表1:会津藩の紐制

階級 紐色
(近似色)
式服色
(近似色)
俸禄・役職 独礼
御目見

着用
紫紐*
(勝手次第)
夏:薄柿 知行:(家老・若年寄) 上士
(士中)

藩校日新館入学が許される層
冬:空色
一等 納戸紐 夏:薄柿 知行:大目付・大組物頭以上*藩主の御座所で謁見できる
冬:空色
二等 黒紐 夏:水色 黒紐には上下がある。格役以上は知行で家老に直達可能。格役以下は知行/切符取。
冬:黒色
三等 紺紐 夏:水色 切符取:猪苗代士
冬:黒色
四等 花紐 夏:水色 切符取:新番組組外之士以上
冬:黒色
五等 茶紐 夏:千草色 切符取:独礼以上 中士
(寄合)
冬:青茶
六等 萌黄紐 夏:藍鼠 切符取(年割):御通(謁見式に参加)以下 ×
冬:路考茶
七等 浅黄紐 不明 切符取月割与力及びそれに準ずる者) ×
不明



2) 襟制

襟制は8 ~11等の下士(足軽)に適用され、指定の色半襟(上から黒襟大和柿襟白鼠襟浅黄襟)を用いた。最下級の浅黄襟は裃の着用が許されなかった。また、襟制=足軽は物頭に出会うと草履を脱ぎ、頭を地につけて土下座しなくてはならなかった。(『志ぐれ草紙』)。【表2】

表2:会津藩の襟制
階級 半襟色
(近似色)
身分 独礼
御目見

着用
八等 黒襟 扶持米取:甲賀格から元定番格 下士
(足軽)
×
九等 大和柿襟 扶持米取:裃免許之者 ×
十等 白鼠襟 扶持米取:裃免許之者 ×
十一等 浅黄襟 高懸り × ×


<参考文献>
『会津松平家譜』、『会津ちょっといい歴史』、『志ぐれ草紙』、『会津藩諸士系譜』、『会津藩の崩壊』
近似色は基本的に色見本の館 を参照(路考茶(ろこうちゃ)色は友禅ネットより。
青茶色は日本染織工芸愛好会のサンプルをみて管理人が作成)。


出典「会津藩の基礎知識」より
http://www4.plala.or.jp/bakumatsu/aidu/aidu-kiso-mibun.htm

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