若松城から東を望むと、間近に山々が見える。その一つが、鎌倉時代から安土桃山時代にかけて約400年、会津の地を治めた葦名氏の本拠地の山城跡であった小田山。その山頂からは市街地、さらには会津盆地を取囲む飯豊連峰や磐梯山などが眺められる。
山頂近くには藩政改革に取り組んだ会津藩家老田中玄宰の墓や北方警備で北海道の守りに就いた丹羽能教の墓がある。田中玄宰は、お城が見える場所に埋葬して欲しいと遺言を残したといわれている。
このほかにも、小田山麓は歴史の宝庫といわれ、葦名一族の廟所、蒲生氏や保科氏とゆかりの深い寺院、会津藩家老西郷頼母と一族の墓、樹間にひっそりと佇む会津藩士の墓、日清戦争から第二次世界大戦までの戦死者の慰霊のための忠霊塔などがある。
旧会津藩大窪山共同墓地
寛永20(1643)年移封され、保科正之によって寛文4年(1664)に造られた藩制墓地で、中・下級武士が埋葬されている。墓石は倒壊や埋没等を含め約4,000基。戊辰戦争後は人の手も入らず、旧態をとどめている。
http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11055a/bunkakairou44.html#ki
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