2015年9月5日土曜日

金子安蔵その3


緋の衣 (会津総合運動公園)

緋の衣緋の衣


緋の衣


緋の衣の説明文

 明治2(1869年、東京謹慎中に蝦夷地流刑のの藩士/103戸333名が品川沖から出帆し11日間後にオタルナイへ到着した。 行き先が決まらぬ日々が続き、樺太への開拓に変更になるが、それも頓挫、1年半が過ぎて余市入りとなった。
 アメリカから伝わったリンゴ栽培が各地で失敗する中、明治12(1879) 年に旧会津藩士/赤羽源八と金子安蔵が日本で初めて結実に成功 (民間初) する。
 後に、赤羽源八の品種は「緋の衣(ひのころも)」、金子安蔵の品種は「国光」と名付けられ、 余市が大産地に発展するだけにとどまらず、世界に冠する日本のリンゴ産業発展の礎となった。
 その後、品種改良が繰り返され幻の品種と思われていたが、平成10(1998)年に余市町から現存との知らせあった。 平成12(2000)年に枝を譲り受け、接ぎ木した中から2本を市制・町制百周年の記念として公園内に植樹した。
 「緋の衣」は、信頼の証しとして孝明天皇から松平容保公に下賜の「緋の御衣」に由来する。

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