2015年1月12日月曜日

間瀬氏


ませ、まぜ(間瀬・馬瀬・真瀬・柵木等)系名字、地名の由来に関する私見
  1. 地名としての間瀬は本来狭隘な谷間を意味する古語「間瀬」に由来すると地名辞典にある。そうした地域 を発祥の地とし、木曽氏の一族を称した越後(新潟県岩室村間瀬付近)もしくは信州由来の武士集団が、戦国時代 三河の松平家の家臣団に加わり、徳川家の成立ともに主に尾張徳川家及びその支藩に下級武士として分散する。 愛知県に集中する間瀬姓はそれらの子孫及び、子孫に縁の深かった地域の住民が明治時代に新姓として採用した ものか。
  2. 一方主家の廃絶・改易(結構頻繁にあったらしい)等に伴い全国に移動した間瀬氏を祖とする一族(赤穂藩・ 会津藩の間瀬家はその例か)の一部が今に子孫を伝える。
  3. 新潟県西蒲原郡岩室村間瀬を中心とする多数の間瀬(まぜ)に因む地名、そして越後随一の神社である弥彦 神社の成立伝承に登場する地方豪族らしい「間瀬の安麻瀬」の存在、9世紀に創建とつたえる岩室村の海雲寺と いう元真言宗寺院の開祖「間瀬入道海雲」の存在、江戸時代の文献に見られる越後在住の間瀬姓町民、そして 新潟市の20世帯という東海地方以外では突出した間瀬姓世帯の数は、もしかしてここが間瀬姓の真の起源の地では という想像を可能にしますが、もとより確証はありません。
  4. 隠岐島に残る平家の落人伝説を伝えるという間瀬一族(西ノ島町8世帯)は、三河間瀬以前の間瀬の子孫で ある可能性があるかもしれません。
  5. 地名としての「真瀬・眞瀬」は本来「間瀬」と同じで、異なった漢字表記か。「馬瀬」は奈良時代にまで 遡る官馬の放牧場(の柵)を意味する古語である「柵、柵木」(ませ)に由来する可能性があるか。間瀬、馬瀬等の 地名・苗字は後生漢字表記の際しばしば混同された可能性もある。馬瀬は後に馬背(尾根等の馬の背状地形)と混同 理解された可能性がある。
  6. 「間瀬口、間瀬田」等の苗字は真の希少姓であり、地名に由来する独立起源を持つか、比較的近世に人為的 に作られた名字である可能性が高いか。
  7. 「真勢、眞勢」姓は由来が全く異なるかも知れない(江戸時代の易学者真勢中州等に始まる人為的な姓?)。
[出典]
http://www.is.titech.ac.jp/~mase/

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