2015年1月8日木曜日


☆長野県小県郡長門町(現在、長門市)立岩
姓氏大辞典(大田亮著)に立岩姓の由来として登 場。曰く「藤原秀郷子孫・重清が小県郡立岩に至りて立岩と称す」

    有坂(鰺坂)郷の兄弟郷として平 安末期より発生。兄弟郷の有坂弥次郎が塩田庄地頭・島津久経に従い元寇の地・箱崎で竹 崎季長の軍功の証人と成る。(国宝・「蒙古襲来絵詞」、長門町誌)その後有坂弥次郎は薩摩に下向したとも言う。
    中先代の乱の時足利勢に攻められ、立岩・有坂郷の人も離散したという。
    結城陣番表に見る立屋氏
    大塔の戦いに見る立岩氏
    武田に編成された葛山城・葛山族の立岩
    上杉、武田、直江兼続に仕え信州・長沼城で上杉配下の島津淡路守に仕えた立岩

[出典]
http://homepage3.nifty.com/tateiwa/bunken.html

1 件のコメント:

  1. 非常に興味あるブログです。
    直江兼続に従い文禄の役で葛山族の立岩喜兵衛一族が名護屋城に行き海運で活躍しました。その後喜兵衛族の一部が鎌倉期より縁があり(島津本家)、また名護屋城内でも隣陣地の薩摩島津軍に従い鹿児島に行ったと推測しています。この鹿児島立岩族の流れは今でも健在です。この鹿児島立岩族の文禄の役後最初の鹿児島県内定着地、その後の鹿児島県内の移動地、幕末での生息地、また彼らの江戸期の生業等ご存知であれば教えて下さい。

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