2015年1月20日火曜日

100年前の会津若松



現在の地形図と100年前(明治23年)の地形図を見比べてみます。





 明治23年に、若松を本拠とした歩兵第15旅団司令部により市街地の1/20,000の地形図が作成されています。
 陸地測量部が本格的に全国の地形図を作製したのと同じ時期ではありますが、それに比べて測量技術的にはとても未熟だったらしく、地形図というより絵図をいったほうが正確かもしれません。
 そのため、現在の地形図を重ねることは難しいので、今回は並べて見ていただきます。

城の周辺は旧武家屋敷地だったのですが、郡役所や警察署などいくつかの施設が記されているだけですが、その北側の市街地は外堀の外の旧町屋地区にあたります。
 戊辰戦争により、城下町はことごとく焼け落ちた上に、戦後直ぐに斗南(青森県下北半島)移封されたため、武家地は復興できなかったのでしょうが、町屋はしっかり復興したようで、会津商人たちの力強さがここから窺えます。
 また、城下町時代に城郭内(外堀内)に2つのみ配された寺社のうち、諏方神社は記載されていますが、蒲生氏郷菩提寺の興徳寺は記載されていません。戦後の復興が遅れていたのかもしれません。


[出典]
http://www.koutaro.name/machi/wakamatsu.htm


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