2015年1月12日月曜日


堀江町板物師の妻行人町宮原と云小酒屋の娘なり。当時十六歳慶山二ツ家入の黒河内磯平方に逃る。四家内入込、大混雑なりき。主人は家内を残し、居らるるだけ居れ、我は御城に入るとて槍を提げ出られたり。赤沼稲荷の天川(稲荷別当)も避難せしが、予は大夫なるまま此処にいつ迄も御■話にならずとも、溝尾の大神宮に移るとも難なからんとて、引き移れり。官軍の一士来り尋問せしかば、神主の趣答えて咎め無き上に直言日過て又来り無事の祈祷を乞えり。之を初めに追々聞出し日々一■士来り。祈祷を乞て金銭を惜む時ならねば思い思いに祈祷料を置くに不存寄。天川は利を得たり。官軍なれど生命は惜からじと見えたりと笑談せり。
此女又曰、行人町対家石津屋も何えりょり来しや両三日滞在せしが、不三子と云嫂が前編に書く始に小傷の為め家に戻り、肥前藩某隊長の妾は然に愛せられ居し寡婦より■い来りて、共に帰宅し酒屋の壮丁二人もおるりしことて、近傍分捕となしたるなりと語れり。

[出典]
http://aidu.s293.xrea.com/modules/tinyd3/index.php?id=112


天川深右衛門7石5斗2人御勘定改役御勘定所
赤沼弥一郎7石2人役人御勘定所白河5月中兵糧方上役44


[出典]
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sub3ja.htm


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