林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻三 久寿二年(1155)~
巻三 久寿二年(1155)~
久寿二 源義仲の父義賢、武蔵大倉館に於て、源義平に討たる、、、
久寿二 是より先、源頼賢、義賢の仇を報ぜんがため、信濃に逃れ、、、
保元元 崇徳上皇、兵を白河殿に集む、信濃の人村上為国・同基国父子等、之に参ず、、、
保元元 平清盛・源義朝等、白河殿を襲ふ、片桐景重等信濃の人、多く之に従ふ
保元元 願西、伊那郡伊賀良庄光明寺の如法経を書写す
保元 藤原顕賢、信濃守に任ぜらる、
保元 平正弘の所領信濃麻続御厨並びに高田郷以下公卿領三箇郷等を没官、、、
保元二 定西、経筒を埴科郡坂城郷に埋納す、
保元三 藤原高尹、信濃守に任ぜらる、
保元三 是より先、更級郡小谷庄等の石清水八幡宮寺及び極楽寺領、、、
平治元 藤原通憲の子信濃守是憲、官を解かれ、源重成、信濃守に任ぜらる、、、
平治元 平清盛等、兵を大内に遣はして、藤原信頼・源義朝等を討ち、、、
永暦元 藤原伊輔、信濃守に任ぜらる、
永暦元 藤原親経、信濃権守に任ぜらる、
永暦元 関白近衛基実、信濃大宮庄の事につきて、御教書を下す、
応保二 是より先、修理大夫源資賢、天皇を呪咀するの罪に依りて解官せらる、、、
長寛元 是より先、太政大臣藤原伊通、信濃国司の重任のことを談ず、、、
長寛二 源資賢、宥されて信濃より召還さる、
長寛二 信濃に関する歌謡、
仁安三 藤原隆雅、信濃守に任ぜらる、
嘉応元 更級郡布施戸部に大雹降る、
嘉応二 藤原助弘、高井郡中野郷西条下司職に補せらる、
承安二 藤原実教、信濃守に任ぜらる、
承安四 大江泰友、信濃権守に任ぜらる、
承安四 東寺最勝光院別当、同院領小縣郡塩田庄年貢の事を後白河上皇に奏す、、、
安元元 是より先、鴨社祢宜祐季、同社領のことに就きて、延暦寺の僧徒と争う、、、
安元二 平康清、信濃介に任ぜらる、
治承二 大中臣盛実、信濃権守に任ぜらる、
治承二 信濃の人高野山沙門西念寂す、
治承三 藤井国兼、信濃大掾に、藤原康義、同掾に任ぜらる、
治承三 水内郡善光寺火く、
治承三 僧某、水内郡戸隠社の大般若経を書写す、
治承三 仁科盛家、安曇郡藤尾郷の覚薗寺に千手観音像を造立、、、
治承四 藤原俊康、信濃小掾に任ぜらる、
治承四 源頼政、以仁王に請ひ、平家追討の令旨を得、、、
治承四 源行家、伊豆に至りて、以仁王の令旨を頼朝に伝へ、、、
治承四 平知盛等、源頼政を攻めて山城宇治川に戦ふ、、、
治承四 頼朝、兵を伊豆に起し、隣国を征す、、、
治承四 義仲、兵を信濃に起す、、、
治承四 頼朝、北条時政をして、甲斐の源氏を率ゐ、信濃を平定せしめんとす、、、
治承四 甲斐の人武田信義・一條忠頼等、諏訪大明神の神託に力を得、、、
治承四 武田信義・一條忠頼等、信濃の敵を討ちて、甲斐に還る、、、
治承四 義仲、上野に入る、
治承四 頼朝、軍を率ゐて駿河黄瀬川に至り、信濃・甲斐の源氏と会す、、、
治承四 平忠清、同景清を信濃守に任じ、追討使と為すべきことを、平宗盛に進言す、、、
治承四 義仲、藤原助弘をして、その所領を安堵せしむ、
治承四 越後の人城資永、信濃・甲斐の源氏を討たんことを請ふ、、、
治承四 義仲、上野多胡庄を去りて信濃に還る、
養和元 中原国盛、信濃権介に任ぜらる、
養和元 信濃の人笠原頼直、勘解由判官に任ぜらる、
養和元 頼朝、村山義直をして、所領高井郡村山・米持の地を安堵せしむ、
養和元 城資永の弟資職、信濃に攻め入る、、、
養和元 信濃等、大和興福寺造営のことを宛て課せらる、
養和元 平経正、義仲追討の為め、北陸道に進発す、尋で、平通盛、亦進発す、
養和元 義仲追討の功に依り、城資職を越後守に任ず、尋で、資職死す、
養和元 信濃擾乱するに依りて、駒牽の儀を停止す、
養和元 平通盛等、義仲の軍と越前水津に戦ひ、敗退して同国敦賀に拠る、、、
養和元 僧増秀、戸隠社の大般若経を書写す、、、
養和元 藤原良広、信濃権介に任ぜらる、
寿永元 信濃権守大江成棟罷めらる、
寿永二 藤原能成、信濃権守に任ぜらる、
寿永二 義仲、頼朝と隙あり、義仲、子義高を送りて質となし、和解す、
寿永二 義仲の兵、平維盛等の軍と、越前燧城に戦ひて敗る、
寿永二 平維盛等、軍を加賀に進め、、、
寿永二 義仲、進みて越中に入り、平軍の先鋒を同国般若野に破る、
寿永二 源義仲、進みて越中砺波山の東に陣す、、、
寿永二 源行家、平軍と越中志雄山に戦ひて、利あらず、、、
寿永二 義仲、行家と共に、平氏の軍を加賀篠原に破る、、、
寿永二 後白河法皇、伊勢太神宮以下十社に奉幣使を発遣し、義仲追討のことを祈る、、、
寿永二 義仲、進みて越前国府に入り、延暦寺僧徒等を誘ふ、、、
寿永二 是より先、平貞能、兵を率ゐて越前敦賀に至り、義仲の軍と戦ひて敗る、、、
寿永二 是より先、義仲の軍の先鋒、近江に入る、、、
寿永二 後白河法皇、義仲の軍に備へて、京都の警固を厳にす、
寿永二 義仲の軍、比叡山に登り、延暦寺東塔惣持院に拠る、
寿永二 後白河法皇、推問使を近江に遣はし、又院庁下文を義仲に与へ、之と和せん、、、
寿永二 義仲・行家の軍、京都に迫る、平資盛等、これを邀撃せんとして成らず、、、
寿永二 義仲・行家、京都に入り、蓮華王院に詣りて、後白河法皇に謁し、、、
寿永二 後白河法皇、廷臣等をして、義仲・行家・頼朝の勧賞の事、、、
寿永二 義仲、左馬頭兼越後守に、行家、備後守に任じ、並びに従五位下に叙せらる、、、
寿永二 平家没官領五百余箇所の中、百四十余箇所を義仲に、九十余箇所を行家に、、、
寿永二 是より先、義仲、故以仁王の子北陸宮を皇位に即けられんことを請ふ、、、
寿永二 是より先、後白河法皇、義仲をして、平氏を討たしむ、、、
寿永二 義仲及び其の兵等、京中に於て狼藉を尽し、上下貴賎、頼朝の上洛を待つ、
寿永二 頼朝、飛脚を以て、義仲の頼朝を討伐せんと図ることを後白河法皇に訴ふ、
寿永二 頼朝上洛の風聞あるに依り、義仲、播磨に滞留して、京都に還らず、
寿永二 義仲、備中に下りて、妹尾兼康を討つ、
寿永二 是より先、頼朝、東海・東山・北陸三道諸国の貢税、、、
寿永二 後白河法皇、義仲に信濃・上野二国を与へて、北陸道を掠むること、、、
寿永二 頼朝の上洛に依り、義仲、之と戦はんが為めに、播磨より帰京せん、、、
寿永二 義仲の将海野幸広等、平重衡等と備中水島に戦ひて敗死す、
寿永二 平宗盛、義仲に降を乞ひ、助命を願ふとの風説あり、
寿永二 是より先、義仲、播磨より備中に転戦し、入京せんとすとの風聞あり、、、
寿永二 義仲、平軍の憂ふるに足らざるを後白河法皇に奏し、、、
寿永二 是より先、義仲、後白河法皇を奉じて関東に赴かんと謀るとの説あり、、、
寿永二 是より先、頼朝、宣旨を施行せんが為め、使者を伊勢に遣はす、、、
寿永二 義仲、重ねて後白河法皇に奏し、源義広に備後国を与へ、、、
寿永二 義仲、平氏追討の院宣を顧みず、頼朝追討を策して、興福寺僧徒を誘ふ、、、
寿永二 是より先、義仲・行家、平家追討の為め、西下を志し、事に依りて延引す、、、
寿永二 後白河法皇、頼朝の使者義経の入京を許さん事を義仲に告ぐ、、、
寿永二 後白河法皇、義仲と互に兵を動かさんとすとの風説あるに依り、京中騒動す、、、
寿永二 後鳥羽天皇、義仲の叛に備へんが為め、密に法住寺殿に行幸す、、、
寿永二 義仲、法住寺殿を攻めて、後白河法皇の軍を破り、、、
寿永二 義仲、藤原光長以下百余人の首級を京都五条河原に梟す、
寿永二 義仲、藤原基房と謀り、摂政同基通を罷めて、、、
寿永二 義仲、権大納言藤原兼雅の出仕を停め、、、
寿永二 摂政藤原師家、義仲をして前摂政同基通の所領八十六箇所を領せしむ、
寿永二 行家、平軍と播磨室泊に戦ひて敗れ、、、
寿永二 後白河法皇、義仲をして平家没官領を総領せしむ、
寿永二 是より先、頼朝の代官義経等、伊勢に在り、義仲、兵を遣はして之を討つ、、、
寿永二 醍醐禅師全成、中野助弘を高井郡中野郷西条の下司職に補す、
寿永二 義仲、平氏追討の為め、西国に下向せんとし、、、
寿永二 後白河法皇、義仲の奏請により、頼朝追討の院庁下文を下す、
寿永二 義仲、左馬頭を辞す、尋で、従五位上に叙せらる、
寿永二 是より先、延暦寺衆徒等、義仲と隙あり、、、
寿永二 後白河法皇、鎮守府将軍藤原秀衡に院庁下文を下し、、、
寿永二 義仲、院の歳末御懺法の資を調進す、
寿永二 頼朝、義仲を討たんとし、延暦寺衆徒等を誘ふ、尋で、衆徒等、之に応ず、
寿永二 義仲、重ねて後白河法皇を擁して西国に赴かんとすとの風説あり、、、
元暦元 義仲、頼朝を超えて従四位下に叙せらる、
元暦元 義仲、征夷大将軍に任ぜらる、 義仲、征東大将軍に任ぜらる、
元暦元 是より先、平氏の軍、入京すとの風聞あり、又頼朝の兵、京都に迫る、、、
元暦元 伊勢大神宮、伊勢に怪異あるの由を、義仲に注進す、
元暦元 義仲の軍、頼朝の軍に圧せられ、近江より退きて京都に還る、
元暦元 義仲、樋口兼光を和泉に遣はして行家の叛を討たしめ、、、
元暦元 義仲の兵、山城の宇治、近江の勢多に敗れ、義経等、京都に入る、、、
元暦元 義仲の将樋口兼光、京都に於て、義経の兵に捕へらる、、、
元暦元 義仲・今井兼平・根井行親・高梨忠直等の首級を京都七條河原に梟す、
元暦元 源範頼・義経等の飛脚、鎌倉に至りて、義仲誅伐の由を頼朝に報ず、
元暦元 宣旨を五畿七道に下して、義仲の余党を追捕せしむ、、、
元暦元 樋口兼光、京都に斬られ、是日、梟首せらる、
元暦元 義経等、平氏を討たんとして、摂津に入り、、、
元暦元 範頼・義経、摂津一の谷に平氏の軍を破る、、、
元暦元 尾籐太知宣、旧領高井郡中野牧及び紀伊田中庄等を安堵せしめられんことを、、、
元暦元 頼朝、東條庄内高井郡狩田郷領主職を平繁雅に還付す、
元暦元 醍醐禅師全成、藤原助弘を高井郡志久見山地主職に補す、
元暦元 頼朝、平頼盛をして、播磨布施庄以下家領十六箇所を安堵せしむ、、、
元暦元 義仲の子志水義高、身の危難を怖れて鎌倉を脱出す、
元暦元 堀親家の郎従藤内光澄、武蔵入間河原に義高を討取り、、、
元暦元 頼朝、志水義高の与党を討伐せんが為め、小笠原長清等を甲斐に、、、
元暦元 是より先、片切景重、平氏の為めに所領伊那郡片切郷を没収せらる、、、
元暦元 頼朝、信濃の人井上光盛を駿河国蒲原駅に誅す、、、
文治元 頼朝、範頼に書を送り、小笠原長清を寵用せんことを勧む、
文治元 義経、平氏の軍を讃岐屋島に攻む、、、
文治元 是より先、義仲の妹宮菊、平政子の猶子となりて京都にあり、、、
文治元 宮菊、鎌倉に至る、頼朝、美濃遠山庄内の一村を之に充行ふ、、、
文治元 小除目、源氏、信濃等六箇国を受領し、加々美遠光、信濃守に任ぜらる、
文治元 頼朝、相模勝長寿院の供養に臨む、小笠原長清・小諸光兼等、随兵を勤む、
文治元 頼朝、義経・行家を討伐せんが為め、鎌倉を発して京都に向ふ、、、
文治元 信濃の人村上経伊、義経の与党藤原時実を京都に捕ふ、
文治二 是より先、頼朝、二位に叙せらる、、、
文治二 頼朝、島津忠久を小県郡塩田庄地頭職に補す、
文治二 頼朝、諏訪社上下社に神馬を進献す、
文治二 後白河法皇、頼朝をして、信濃等関東知行国内、院宮領以下諸庄の未済乃貢、、、
文治二 頼朝、信濃等関東知行国並びに豊後の去年以前の未済乃貢を免ぜられんこと、、、
文治二 北条時政、京都を発し、鎌倉に向ふに当り、信濃の人桑原二郎等をして、、、
文治二 後白河法皇、春近並びに伊那郡郡戸庄の年貢を進済せしむべきことを、、、
文治二 伊那郡伴野庄地頭小笠原長清、同庄乃貢の送文を鎌倉に送る、、、
文治二 是より先、藤沢盛景、諏訪社領伊那郡黒河内・藤沢に於ける御狩を抑留し、、、
文治三 頼朝、相模三浦義澄第に宴遊し、高井郡保科宿の遊女長者を召し、、、
文治三 僧良円、水内郡戸隠社の大般若経を書写す、、、
文治三 頼朝、信濃国目代並びに同国御家人等に命じて、善光寺の再興に合力せしむ、、、
文治三 是より先、諏訪社下社大祝金刺盛澄、捕へられて鎌倉に在り、、、
文治三 頼朝、藤沢清親等弓場御的勤仕の士に弓を頒つ、
文治三 頼朝、閑院造営並びに新斎宮用途備進の賞として、、、
文治四 是より先、右衛門佐局、更級郡四宮庄地頭某の、年貢並びに領家得分、、、
文治四 頼朝、鶴岡八幡宮大法会に臨む、加々美遠光等、随兵を勤む、
文治四 後白河法皇、頼朝をして、八條院領佐久郡大井庄並びに伊那郡伊賀良庄等、、、
文治四 後白河法皇、頼朝をして、春近領の未進年貢究済の催促を加へしむ、
文治四 加々美遠光の女、頼朝の子万寿(頼家)、に近待す、、、
文治四 頼朝、後白河法皇の旨を承け、、、
文治五 源頼家、弓始を行ふ、藤沢清親・海野幸氏等、射手を勤む、
文治五 加々美遠光等、鶴岡八幡宮の塔供養の布施として馬を献ず、、、
文治五 頼朝、藤原泰衡征討の為め、奥州に進発す、、、
文治五 藤沢清親、陸前阿津賀志山の合戦に先登を競ふ、
文治五 源義経・同義仲及び藤原秀衡の子等、鎌倉を窺はんとする風聞ありしむ、、、
建久元 頼朝、藤原泰衡征討の為め、信濃・上野の御家人に出陣を命ず、、、
建久元 藤原資経、信濃守に任ぜらる、
建久元 後白河法皇、頼朝をして、諸国地頭等の造太神宮役夫工米を進、、、
建久元 鶴岡八幡宮祭あり、海野幸氏等、流鏑馬の射手を勤む、
建久元 頼朝、諸国地頭の造太神宮役夫工米未済の子細、並びに信濃・越後両国の分、、、
建久元 信濃国、主殿寮所管の年別油の進済を懈怠するに依り、、、
建久元 頼朝、故一條忠頼の追善供養を行ふ、、、
建久元 頼朝、信濃の造太神宮役夫工米未済の所々に、催促を加ふ、
建久元 頼朝、権大納言兼右近衛大将に任ぜらるるを以て、京都に赴き、、、
建久元 頼朝、京都六條若宮並びに石清水八幡宮等に参詣す、、、
建久元 某、平康家の請文の旨に任せ、六條院領安曇郡千国庄小谷・飯森両所をして、、、
建久二 頼朝、弓始を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、
建久二 頼朝、箱根・三島両社に参詣す、小笠原長清等、随兵を勤む、
建久二 頼朝、捧紀五近永の諏訪社下社領筑摩郡塩尻西條の所当を懈怠するを停め、、、
建久二 鎌倉に火災あり、幕府及び村上義国等の屋敷この難に遭ふ、
建久二 頼朝、新亭成るに依り、移徙の儀を行ふ、村上頼時等、随兵を勤む、
建久二 頼朝、相模稲村崎に遊び、小笠懸を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、
建久二 善光寺新造せらる、是日、供養を行ふ、
建久二 某、長講堂領安曇郡住吉庄並びに水内郡市村高田庄等の年中課役、、、
建久三 頼朝、的始を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、
建久三 後白河法皇院庁、同法皇寵妾高階栄子の所領安曇郡住吉庄等、、、
建久三 頼朝の室政子、男子千万(実朝)、を生む、、、
建久三 伊勢神宮の祢宜等、信濃等の神領の子細を注進す、
建久三 頼朝、永福寺供養に臨む、加々美遠光等、供奉す、
建久三 頼朝、浜御所に於て、加々美遠光等に千万の擁護を依頼す、、、
建久三 頼朝、藤原助弘を高井郡中野郷西条並びに同郡樒山の地頭職に補す、
建久四 頼朝、下野那須野・信濃三原に猟せんとし、是日、鎌倉を発す、、、
建久四 頼朝、武蔵入間野に追鳥狩を行ふ、、、
建久四 是より先、頼朝、信濃等十一箇国の正税を以て、、、
建久四 頼朝、駿河富士野に猟せんが為め、鎌倉を発す、、、
建久四 海野幸氏等、富士野に於て曽我祐成・時致兄弟と戦ひ、疵を蒙る、
建久四 頼朝、曽我時致を御前の庭上に引かしむ、小笠原長清等、此の座に候す、
建久四 曽我祐成の妾虎、出家す、尋で、善光寺に赴く、
建久四 頼朝、鶴岡八幡宮放生会に流鏑馬を行ふ、海野幸氏等、射手を勤む、
建久四 頼朝、永福寺薬師堂供養に臨む、村上頼時等、随兵を勤む、
建久四 神鳳鈔成り、伊勢太神宮領信濃近麻続御厨等、、、
建久五 幕府弓始、海野幸氏等、射手を勤む、
建久五 北条義時の嫡子金剛(泰時)、元服す、加々美遠光等、其の儀に列す、
建久五 是より先、頼朝、東大寺造営を助成せんとし、、、
建久五 幕府、佐久郡大井庄年貢の今年究済の期日を定む、
建久五 頼朝、相模日向山薬師堂に参詣す、小笠原長清等、随兵を勤む、
建久五 頼朝、相模三浦に小笠懸を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、
建久五 頼朝、小山朝政の第に臨み、金刺盛澄等弓馬堪能の士を召して、、、
建久五 鎌田正清の女、旧主義朝及び父正清の菩提の為めに、、、
建久五 頼朝、鶴岡八幡宮の三嶋別宮に参詣し、千番小笠懸を行ふ、、、
建久五 頼朝、相模永福寺新造薬師堂供養に臨む、小笠原長清等、之に供奉す、
建久六 頼朝、鶴岡八幡宮に参詣す、海野幸氏等、之に供奉す、
建久六 頼朝、東大寺供養に列せんが為め、奈良に到る、、、
建久六 頼朝、東大寺供養に臨む、海野幸氏・藤沢清親等、選ばれて惣門の警固を、、、
建久六 頼朝、摂津天王寺に参詣す、小笠原長清等、随兵を勤む、
建久六 善光寺沙門定尊、同寺阿弥陀三尊仏を摸造す、尋で、寂す、
建久六 頼朝、鶴岡放生会に臨む、望月重隆等、之に供奉す、
建久六 頼朝、鶴岡八幡宮に参詣し流鏑馬を行ふ、海野幸氏等、射手を勤む、
建久六 是より先、頼朝、善光寺参詣の志あり、、、
建久六 頼朝、信救得業を箱根山に閉居せしむ、 信救得業の伝記、
建久七 五節、信濃国、舞姫を献ず、
建久八 頼朝、善光寺に参詣すと伝ふ、
建久八 信濃諸牧、貢馬を牽進す、藤原定家、同資実と桐原駒の和歌を贈答す、、、
建久九 小県郡塩田庄地頭嶋津忠久、左衛門尉に任ぜらる、
正治元 除目、卜部兼直、信濃権守に任ぜらる、
正治元 頼家、鎌倉の士庶に令して、中野能成等五人の従類に抵抗するを禁じ、、、
正治元 頼家、中野能成を遣はし、安達景盛の妾を小笠原長経の宅に拘禁せしむ、、、
正治元 頼家、中野能成等をして、安達景盛を討たしめん、、、
正治元 頼家、諏訪社上社に神馬を、又同社下社に剣を献ず、
正治二 幕府弓始、藤沢清親等、射手を勤む、
正治二 頼家、鶴岡八幡宮に参詣す、中野能成等、之に供奉す、
正治二 頼家、伊豆藍沢原に猟す、海野幸氏等、射手として之に供奉す、
正治二 頼家、宮城家業の奥州追討に餞せんが為め、中野能成をして馬を牽かしむ、
正治二 頼家、相模小壺の海辺に遊び、笠懸を行ふ、海野幸氏等、射手を勤む、
建仁元 幕府的始、望月重隆等、射手を勤む、
建仁元 是より先、越後の人城資盛叛す、、、
建仁元 頼家、中野能成等をして猟犬を飼はしむ、
建仁元 頼家、遊興に耽りて、政務を怠る、、、
建仁二 幕府弓場始、海野幸氏等、射手を勤む、
建仁二 除目、信濃国を以て藤原良経の知行国となす、
建仁二 信濃諸牧、貢馬を牽進す、
建仁二 頼家、鶴岡八幡宮に参詣す、中野能成等、之に供奉す、
建仁二 頼家、伊豆・駿河両国に猟す、、、
建仁二 頼家、新田忠常第に小笠懸を行ふ、海野幸氏等、射手を勤む、
建仁二 是より先、信濃国司等、不動倉を開検せんことを奏す、、、
建仁三 幕府的始、金刺盛澄等、射手を勤む、
建仁三 除目、藤原公信、信濃権守に任ぜらる、
建仁三 滋野兼忠等、阿弥陀如来坐像並びに脇侍像二躯を造立す、
建仁三 藤原資頼、信濃守に任ぜらる、
建仁三 信濃国目代・同国守護比企能員、頼家と謀りて北条氏を滅さんとす、、、
建仁三 北条時政、比企能員の与党中野能成等を拘禁、、、
建仁三 中野能成等、比企能員の事に依りて、所領を褫はる、、、
建仁三 幕府弓始、海野幸氏等、射手を勤む、
建仁三 幕府、中野能成等を遠流に処すべきことを定む、
元久元 幕府弓始、海野幸氏等、射手を勤む、
元久元 源実朝、相模由比浜に笠懸を行ふ、藤沢清親等、射手を勤む、
元久元 幕府、中野四郎の高井郡中野郷内同能成の名田・屋敷等を妨ぐるを停め、、、
元久元 藤原兼実、同家所領の処分状を書す、、、
元久二 幕府弓始、藤澤清親等、射手を勤む、
元久二 除目、藤原祐康、信濃介に任ぜらる、、、
元久二 藤原家時、信濃守に任ぜらる、
元久二 北条時政、同義時を遣はして、畠山重忠を武蔵二股川に殺す、、、
建永元 藤原実嗣、信濃介に、同実親、信濃権介に任ぜらる、
建永元 信濃の人桜井五郎、鵙を用ひて鳥を獲る、実朝、之を賞す、
建永元 東大寺重源寂す、是より先、重源、善光寺に参詣すと伝ふ、
建永元 臨時除目、藤原基綱、信濃守に任ぜらる、
承元元 僧源空(法然)、罪に依り土佐に流さる、是日、京都を発す、、、
承元元 後鳥羽法皇、藤原定家に命じて、最勝四天王院の障子絵を画工に画かしむ、、、
承元四 藤原隆綱、信濃守に任ぜらる、
承元四 幕府、近江園城寺の請に依りて、善光寺地頭長沼宗政を罷む、
承元四 幕府、守護地頭に令して、諸国の勅旨牧を興行せしむ、
承元四 仁科盛家の室、仏母尼、遍照光院本堂を建立すと伝ふ、
建暦元 幕府弓始、海野幸氏等、射手を勤む、
建暦二 幕府弓始、藤沢清親等、射手を勤む、
建暦二 幕府、諸国守護地頭に令して、鷹狩を禁ず、、、
建保元 是より先、信濃の人泉親平、信濃・下総等の士を誘ひ、、、
建保元 和田義盛、鎌倉に叛す、海野幸広等、之と戦ひて討死す、
建保元 実朝、新御所に移徙す、小笠原長清等、随兵を勤む、
建保元 藤原隆衡、信濃国を賜はり、五節舞姫を献ず、
建保二 是より先、僧仲円、頼朝の為めに、鶴岡八幡宮に長日仁王会・法華会を修し、、、
建保二 是より先、延暦寺衆徒、園城寺衆徒と争ひ、園城寺を焼く、、、
建保三 僧行顕、美濃恵那郡遠山庄馬籠村法明寺の大般若経を校合す、
建保三 内裏名所百首和歌会、其の詠題中に、信濃更級里あり、、、
建保三 幕府、絹布等を善光寺僧徒に施す、
建保四 筑前安楽寺の悪僧等、官使刃傷のことに依りて、流刑に処せらる、、、
建保四 実朝、諸人庭中の言上を聴く、海野幸氏、上野三原堺の事に就きて言上す、
建保四 小笠原長清、甲斐の所領内にある堂舎を修造し、頼朝の菩提に資し、、、
建保五 藤原親輔、信濃権守に任ぜらる、尋で、解任せらる、
建保年間 宇治拾遺物語成る、其の中に信濃に関する説話あり、
承久元 藤原盛兼、信濃介に任ぜらる、
承久元 中野助能、公暁の党、阿闍梨勝円を捕ふ、、、
承久元 信濃の人入道上人、京都清水寺に百箇日参籠す、是日、結願す、
承久元 左大臣藤原道家の子三寅、鎌倉に着す、小笠原時長等、随兵を勤む、
承久元 諏訪社上社、社領諏訪郡田沢以下十郷の田地及び在家の目録を注す、
承久元 幕府、左馬寮使の諏訪社下社領岡野・立野両村を違乱するを停む、
承久二 諏訪社上社、正月一日の神事次第を注す、
承久二 滋野某夫妻、逆修供養を行ひ、石造宝塔二基を造立す、、、
承久二 左馬寮、信濃国十九牧の牧司等をして、、、
承久三 幕府、嶋津忠久を水内郡太田庄地頭職に補す、
承久三 是より先、北条義時、後鳥羽上皇の北面仁科盛遠の所領を奪ふ等、、、
承久三 是より先、後鳥羽上皇、北条義時追討の宣旨、、、
承久三 北条義時、その子泰時を大将軍となし、東海道より京都に攻め上らしむ、、、
承久三 市河六郎、北陸道軍の来着に先んじて越後の京軍を攻め、功を致す、
承久三 京軍、北条氏の軍を防がんが為め、諸道に進発す、、、
承久三 小笠原長清等、諏訪信重等を率ゐて、美濃大井戸に至り、京軍を破る、、、
承久三 北条泰時、小笠原長清等に西路へ先発を命ず、、、
承久三 京軍の将仁科盛遠等、越中に北条朝時の軍と戦ふ、
承久三 諏訪社上社大祝諏訪盛重、北条氏の軍の戦勝を社前に祈り、、、
承久三 法印尊長、日吉社領小県郡浦野庄以下の所領を道覚親王に譲る、
承久三 北条泰時の軍、京軍と山城宇治川に戦ひ、春日貞幸、溺れんとす、、、
承久三 信濃の人福地俊政、京軍に属し、近江勢多の合戦に、強弓を以て奮戦す、
承久三 北条泰時等、六波羅に戦功を議す、、、
承久三 北条時氏の馬、宇治の戦に傷く、、、
承久三 北条泰時、合戦の軍忠並びに討死・手負の交名を幕府に進む、、、
承久三 幕府、島津忠久をして水内郡太田庄地頭職を安堵せしむ、
承久三 小笠原長清、京軍の与党、前中納言源有雅を甲斐稲積庄に誅す、
承久三 幕府、諏訪社上社に越前宇津目保を寄進し、戦勝を報賽す、、、
承久三 信濃望月牧、貢馬を牽進す、、、
貞応元 幕府弓始、小笠原時長等、射手を勤む、
貞応元 茂木知基、小県郡依田庄内五箇村等の所領を、其の子一王に譲る、
貞応元 藤原実雅、相模大倉亭に、百日小笠懸を始む、小笠原時長等、射手を勤む、
貞応元 北条義時、男子平産により、験者以下に賞を授く、、、
貞応二 諏訪信時、諏訪社上社大祝の位に即く、
元仁元 是より先、北条義時の室伊賀氏、伊賀光宗と謀り、、、
元仁元 是より先、幕府、中野能成の高井郡志久見郷地頭職を罷め、、、
元仁元 是より先、北条泰時、祐通を遣はして、上野国を検注せんとして、、、
嘉禄元 藤原親季、信濃権介に任ぜらる、
嘉禄元 嶋津忠義、水内郡太田庄津野郷地頭代職に補せらる、
嘉禄元 信濃守護北条重時、中野能成の高井郡志久見郷地頭職の安堵を施行す、、、
嘉禄元 幕府評議始、将軍御所の定番人を定む、桜井次郎等、その結番に入る、
嘉禄元 伊賀光宗、罪を許され、是日、信濃より鎌倉に帰参す、
嘉禄二 幕府に於て草鹿勝負あり、小笠原時長等、射手を勤む、
嘉禄二 臨時除目、前大納言藤原実宣、信濃国を知行す、、、
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