林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻十六 天正一一年(1583)~
巻十六 天正一一年(1583)~
天正一一 北条氏政、佐久郡佐藤助丞の所領を安堵し、軍役を勤めしむ
天正一一 小笠原貞慶、安曇郡千国十人衆に、千国跡職を与へ、、、
天正一一 小県郡寿清、天窓、姓闕く、亡夫宗玉光桂、居士追薦のため、、、
天正一一 小笠原貞慶、大平孫左衛門尉をして、安曇郡大平の地を安堵せしむ、、、
天正一一 真田昌幸、伊勢豊受大神宮に、小県郡諏訪部等の地を寄進す、
天正一一 徳川家康、佐久・小県両郡に出兵せんとし、之を真田昌幸に報ず、
天正一一 小笠原貞慶、平林弥右衛門下人の諸役を免ず、
天正一一 真田昌幸、片岡助兵衛に、小県郡諏訪部等の地を宛行ふ、
天正一一 岩井信能等、水内郡古間村に、伝馬役・普請人足役等を免ず、
天正一一 村上景国の部下屋代秀正、上杉景勝に叛き、徳川家康に属さんとす、是日、、、
天正一一 是より先、上杉景勝、越中松倉城将須田満親に守備を差図す、是日、景勝、、、
天正一一 諏訪頼忠、某の、諏訪社上社神宮寺上坊職相続を許す、
天正一一 加津野昌春、信昌、島津忠直を誘ひ、徳川家康に臣属せしめんとす、
天正一一 高梨頼親、高井郡庄内八幡宮神主をして、、、
天正一一 羽柴秀吉、伊勢及び江北に戦況を、上杉景勝の将須田満親に報ず、
天正一一 是より先、真田昌幸、埴科郡虚空蔵山に上杉景勝の兵を攻めて之を破る、、、
天正一一 徳川家康、佐久・小県両郡平定のため、兵を出さんとす、是日、家康、、、
天正一一 小笠原貞慶、溝口貞秀に、筑摩郡塩尻等の地を宛行ふ、
天正一一 是より先、徳川家康、松平依田、康国をして、父信蕃の遺跡を嗣がしむ、、、
天正一一 真田昌幸、市場源七郎に、上野中条の地を宛行ふ、
天正一一 徳川家康、諏訪頼忠に諏訪郡を与ふ、
天正一一 上野厩橋城将北条高広、直江兼続に書を送り、、、
天正一一 是より先、徳川家康の将柴田康忠、諏訪郡高島城代となる、是月、、、
天正一一 上杉景勝、越後より水内郡長沼への往還につき、横道通行を禁ず、
天正一一 上杉景勝、埴科郡海津城将屋代秀正の、同城を去るにより、、、
天正一一 知久頼竜、宮下筑後守に、伊那郡川野郷の地を宛行ふ、、、
天正一一 徳川家康、北畠信雄の臣飯田半兵衛尉に書を送り、その甲斐に入り、、、
天正一一 佐久郡佐藤織部丞、碓氷峠に還住して、、、
天正一一 上杉景勝、信濃衆に命じて、更級郡荒砥城に屋代秀正を攻めしむ、是日、、、
天正一一 小笠原貞慶、小沢縫殿介に、安曇郡大妻等の地を宛行ふ、
天正一一 諏訪頼忠、諏訪郡随竹軒某に、所領を給す、
天正一一 徳川家康、屋代秀正の帰属を賞し、真田昌幸・依田康国と共に計略せしむ、、、
天正一一 上杉景勝、徳川家康の、埴科郡虚空蔵山を攻めんとするを聞き、、、
天正一一 真田昌幸、小県郡海ヶ淵に城を築く、是日、上杉景勝、信濃諸将をして、、、
天正一一 徳川家康、下条頼安をして、城普請等を励ましむ
天正一一 知久頼氏、伊那郡玉泉寺をして、寺領を安堵せしむ
天正一一 徳川家康、佐久郡内山平三をして、同郡内山等の地を安堵せしむ、 家康、、、
天正一一 徳川家康、甲斐善光寺をして、寺領を安堵せしむ
天正一一 小笠原貞慶、安曇郡観勝院をして、寺領を安堵せしむ
天正一一 直江兼続、水内郡大日方佐渡守に、上杉景勝の、、、
天正一一 小笠原貞慶、平出与三兵衛をして、本領を安堵せしめ、その軍役を定む、、、
天正一一 上杉景勝、筑摩郡麻績城を攻めて、之を陥る、
天正一一 上杉景勝、更級郡牧島城将芋川親正の勧めにより、岩井信能をして、、、
天正一一 村上景国、本領安堵及び信濃静謐を、伊勢豊受大神宮に祈る、
天正一一 小笠原貞慶、安曇郡成就院をして、寺領を安堵せしめ、禁制を掲ぐ、
天正一一 木曽義昌、三村勝親の伊那郡箕輪に於ける忠節を賞す、
天正一一 小田切四郎太郎、上杉景勝に属し、安曇郡仁科に於いて、、、
天正一一 小笠原貞慶、某に、安曇郡宮本の地を宛行ふ、
天正一一 真田昌幸、上野羽尾城将湯本三郎右衛門尉をして、、、
天正一一 埴科郡海津城代村上景国、謀叛の嫌疑あるによりて、越後に召還さる、
天正一一 小笠原貞慶、安曇郡沢渡盛忠に本領を安堵せしむ、尋いで、、、
天正一一 小笠原貞慶、沢渡十人衆に、安曇郡宮本の地を宛行ふ、
天正一一 上杉景勝、更級郡を侵す、屋代秀正等、邀撃して、之を破る、是日、、、
天正一一 上杉景勝、大室源次郎をして、本領を安堵せしむ、
天正一一 諏訪頼忠、尾張万徳寺曽朝をして、諏訪郡仏法寺領等の地を支配せしむ、
天正一一 北条氏政、北上野に入る、仍りて、是日、真田昌幸、、、
天正一一 是より先、徳川家康の将酒井忠次、栗田永寿の進退を大須賀胤清に任す、、、
天正一一 是より先、織田信忠、甲斐善光寺如来を美濃に遷す、徳川家康、、、
天正一一 小笠原貞慶、三河岡崎城主石川数正の臣江戸衛門七に書を送りて、、、
天正一一 直江兼続、島津常陸介に命じ、信濃より召連れし譜代の者共を信濃に返し、、、
天正一一 真田昌幸、矢沢綱頼に、上野沼田在城を命じ、城領として、、、
天正一一 佐久郡正安寺周真、実照、山居図大事を種才良室、に伝授す、
天正一一 小笠原貞慶、浅野久右衛門に本領を安堵し、新知行として、、、
天正一一 諏訪頼忠、諏訪社下社に、千手堂灯明料所を寄進す、
天正一一 小笠原貞慶、安曇郡大沢寺に、同郡松河等の地を寄進し、禁制を掲ぐ、
天正一一 佐々成政、上杉景勝の、新発田重家を撃つに乗じて、、、
天正一一 上杉景勝、上野厩橋城将北条高広等の、、、
天正一一 小笠原貞慶、孫左近をして、筑摩郡塔原蔵人万疋の地を知行せしむ、、、
天正一一 木曽義昌、三村勝親等に知行を宛行ふ、
天正一一 依田昌秀、佐久郡安養寺に寺領を寄進す、
天正一一 小笠原貞慶、松山織部佑に、筑摩郡庄内の地を宛行ふ、
天正一一 上杉景勝、その領内に徳政令を布く、
天正一一 上杉景勝、更級郡の人綱島頼繁をして、上条宜順の命に随ひ、、、
天正一一 是より先、日岐盛武・穂高内膳佐、小笠原貞慶に異心なきを誓ふ、是日、、、
天正一一 諏訪頼忠、諏訪郡山田新七郎並びに踏出の文右衛門尉に所領を宛行ふ、
天正一一 是より先、高野山蓮華定院、望月印月斎一峯、に音信を通ず、是日、、、
天正一一 小笠原貞慶、日岐盛武の戦功を賞し、日岐遺跡を宛行ふ、また、明日、、、
天正一一 小笠原貞慶、二木重吉をして、安曇郡西牧領代官たらしむ、
天正一一 小笠原貞慶、北沢対馬守等に、領内に於ける熊狩を許す、
天正一一 知久頼氏、伊那郡興禅寺に禁制を掲ぐ、
天正一一 本願寺の僧素休、上杉景勝の将須田満親等に書を送りて、、、
天正一一 某、伊那郡平沢勘四郎を、勘右衛門尉となす
天正一一 上条宜順、越中の人唐人親広に新発田攻撃の状を告げ、且つ、、、
天正一一 是より先、仁科盛直、、、
天正一一 木曽義昌、伊那郡三室神子等に、神領を寄進す、
天正一一 伊那郡文永寺再興普請始日時と定、 知久頼氏、文永・安養両寺を再興し、、、
天正一一 水内郡臥雲院正頓、南室、正盛安室、に半紙之大事を伝授す、
天正一一 真田昌幸、河原綱家の上野吾妻に於ける戦功を賞し、、、
天正一一 諏訪頼忠、河西佐渡守に所領を宛行ふ、
天正一一 西片房家、山田甚右衛門尉に、安曇郡黒倉の地を宛行ふ、
天正一一 上杉景勝、岩井信能をして、水内郡飯山城を修理せしむ、
天正一一 高梨頼親、木島又次郎の高井郡新井等の地を宛行ふ、
天正一一 諏訪頼忠、藤森又兵衛に、諏訪郡下宮内の地を宛行ひ、、、
天正一一 上杉景勝、越後祢知城将西片房家の戦功を賞し、安曇郡仁科遺跡を宛行ふ、、、
天正一一 高井郡井上源六郎、海津城将上条宜順の催促に応じ出陣す、是日、、、
天正一一 徳川家康、祢津昌綱をして、信濃の本領を安堵せしめ、且つ、、、
天正一一 是より先、屋代秀正、陣中の徳川家康を存問す、是日、家康、之に答ふ、
天正一一 小県郡安楽寺の寺領帳、成る、
天正一一 佐久郡貞祥寺住持全林、旃室、寂す、
天正一一 真田昌幸、長井権助に、小県郡武石の地を宛行ふ、
天正一一 上杉景勝、岩井信能等をして、国境の備を厳にせしむ、
天正一一 小笠原貞慶、中島刑部左衛門に、知行及び屋敷等を宛行ふ、
天正一一 諏訪頼忠、佐久郡諏訪社権祢宜堀米某の、、、
天正一一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、
天正一一 上杉景勝、高井郡常楽寺・安源寺を、同郡円慶寺に寄進し、、、
天正一一 諏訪社上社神長官守矢信真、徳川家康の将菅沼定利に神領の寄進を請ふ、、、
天正一一 小笠原貞慶、日岐盛武に、安曇郡内の地を宛行ふ、
天正一一 上杉景勝、板屋光胤に、、、
天正一一 上杉景勝、西条綱治をして、甥源太の、、、
天正一一 保科正直、伊那郡建福寺に禁制を掲ぐ、
天正一一 諏訪社上社、同社今年頭役料を注す、
天正一二 上杉景勝、更級郡松田盛直をして、海津城将上条宜順の指図に従ひ、、、
天正一二 下条頼安、小笠原信嶺のために、伊那郡松尾城に誘殺せらる、、、
天正一二 芋河親正、水内郡飯縄社をして、更級郡小島田の同社社領を安堵せしむ、
天正一二 真田昌幸、高橋右馬允等の戦功を賞す、
天正一二 小笠原幸松丸、貞政、三河に在りて、その父貞慶に音信を送り、、、
天正一二 諏訪頼忠、諏訪郡小井弖政澄をして、所領を安堵せしむ、
天正一二 依田昌朝、佐久郡法華堂祐源に、同郡志賀の地を与ふ、 蓮華定院、、、
天正一二 小笠原貞慶、二木盛正に所領を宛行ふ、
天正一二 朝日重政、三石亀太郎の被官等に、城地の替地を与ふ、
天正一二 木曽義昌、千村孫八郎に扶持を加へ、軍役を勤めしむ、 木曽義昌、、、
天正一二 須田信正、芦河囚獄等に高井郡中条銚子塚の地を宛行ふ、、、
天正一二 安曇郡仁科衆、小笠原貞慶に属し、水内郡鬼無里を攻取る、尋いで、貞慶、、、
天正一二 下条牛千代、康長、伊那郡瑞光院に、菩提所草創の資として、、、
天正一二 真田昌幸、右近助姓闕く、の後家に、堪忍分として地を宛行ふ、
天正一二 是より先、小笠原貞慶の兵、、、
天正一二 木曽義昌、島崎監物に地を宛行ふ、
天正一二 羽柴秀吉、佐竹義重に尾張等の形勢を報じ、木曽義昌・上杉景勝と共に、、、
天正一二 羽柴秀吉、山村良候の忠功を褒す、
天正一二 小笠原貞慶、筑摩郡麻績・青柳両城を攻む、尋いで、また、之を攻む、、、
天正一二 是より先、木曽義昌、尾張在陣の羽柴秀吉を存問す、是日、秀吉、、、
天正一二 佐久郡平安寺周真、実照、拈華図大事を誾雄勝岩、に伝授す、
天正一二 是より先、高井郡須田信正・市川信房等、羽尾源六郎を授けて、、、
天正一二 小笠原貞慶、木曽贄川又兵衛の忠節を賞し、、、
天正一二 木曽義昌、木曽黒沢・児野等の郷民に令して、軍功を致さしむ、 義昌、、、
天正一二 高井郡須田満親等、伊勢豊受大神宮に神楽を奉納す、、、
天正一二 祢津昌綱、欣隆を小県郡定津院住持となし、寺領を安堵せしむ、
天正一二 上杉景勝、越中有沢図書助等に書を与へ、信濃口鎮定に依り、、、
天正一二 小笠原貞慶、伊勢皇大神宮の加護を謝し、筑摩郡次柳の地を寄進す、
天正一二 上杉景勝、海津城に出陣すとの報あり、仍りて、小笠原貞慶、、、
天正一二 上杉景勝、埴科郡皆神山諏訪社をして、社領を安堵せしむ、
天正一二 是より先、上杉景勝の軍、小笠原貞慶の軍を、、、
天正一二 諏訪社上社祢宜大夫等、玉会を諏訪頼忠に贈る、是日、頼忠、之に答謝し、、、
天正一二 上杉景勝、海津城に兵を引く、是日、小笠原貞慶、、、
天正一二 上杉景勝、信濃の平定成れるにより、新発田重家を撃たんがため、、、
天正一二 上杉景勝、新発田重家討伐のため越後下郡に出馬せんとし、、、
天正一二 小笠原貞慶の臣溝口貞秀、、、
天正一二 屋代秀正、尾張長久手に在陣中の徳川家康を存問す、是日、家康、、、
天正一二 上杉景勝、更級郡塩崎に禁制を掲ぐ、
天正一二 伊那郡開善寺持宗販、速伝、智玉崑梯、の請に応じて、道号を与へ、、、
天正一二 上杉景勝、板屋光胤に、所領更級郡桑原の替地として、、、
天正一二 上杉景勝、松田民部助・保科豊後守をして、更級郡稲荷山に在城せしめ、、、
天正一二 望月印月斎、一峯、村田但馬守に、佐久郡大日向の地を宛行ふ、
天正一二 市川信房、高井郡泉竜寺に、同郡犬飼郷内の地を寄進す、
天正一二 諏訪頼忠、淳栄をして、諏訪郡三精寺を支配せしむ、
天正一二 諏訪社上社権祝矢島某、伊那郡保科正直に玉会を贈る、是日、正直、、、
天正一二 上杉景勝、信濃より越後春日山に還る、
天正一二 島津忠直、水内郡妙正寺に、寺領を寄進す、
天正一二 青柳頼長、筑摩郡麻績神明宮神主宮下彦右衛門をして、神役を安堵せしむ、、、
天正一二 羽柴秀吉、佐竹義重に書を送り、、、
天正一二 是より先、羽柴秀吉、上杉景勝に人質を求む、仍りて、上条宜順、、、
天正一二 諏訪頼忠、大工牛山長家等をして、諏訪社上社の神輿を再造せしめ、是日、、、
天正一二 諏訪社上社神宮寺住持祐元、同社宝殿に法華経を、同社神長守矢信実等、、、
天正一二 上杉景勝、松田盛直に、更級郡八幡宮社領等を宛行ひ、、、
天正一二 小笠原貞慶の臣溝口貞秀、筑摩郡くるみ沢・原山の堺を定め、、、
天正一二 佐久郡大宮雅義、同郡八葉山大明神に太鼓を寄進す、
天正一二 高井郡興国寺住持順京、高山、将奕に付法す、
天正一二 望月印月斎、一峯、佐久郡原宮に社領を寄進す、
天正一二 青柳頼長、筑摩郡福満寺に同郡桑山郷の地を寄進し、宝林坊をして、、、
天正一二 是より先、上杉景勝、信濃に入る、是日、景勝、小田切左馬助の、、、
天正一二 是より先、小笠原貞慶、木曽谷に攻入り、福島を焼く、是日、徳川家康、、、
天正一二 木曽義昌、奈良井十郎に、筑摩郡府中の地等を宛行ふ、、尋いで、、、
天正一二 小笠原貞慶、日岐盛武等をして、川中島進撃に後詰せしめ、且つ、、、
天正一二 伊那郡知久上平鎮守社、普請事始日時卜定、
天正一二 諏訪頼忠、矢崎某に、諏訪社上社祢宜職等を宛行ふ、
天正一二 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、貞範義窓、大姉のため秉炬仏事を行ふ、
天正一二 黒金景信、水内郡長沼在陣の上杉景勝に物を贈る
天正一二 更級郡の人村上義長、伊勢豊受大神宮に神楽等を献じ、なほ、、、
天正一二 是より先、上杉景勝、前田利家と呼応し、須田満親等をして、、、
天正一二 徳川家康、小笠原貞慶の、木曽に攻入り、戦功を顕はすを賞す、
天正一二 木曽義昌、和田弥九郎を中間となし、遠夫丸役を免除す、尋いで、、、
天正一二 諏訪頼忠、平井弖清右衛門に、諏訪郡蔦木の地を宛行ふ、
天正一二 菅沼定利、伊那郡普済寺をして、寺領を安堵せしむ、、、
天正一二 徳川家康、安曇郡榛葉但馬守の、越中往復通用衆のために、、、
天正一二 小笠原貞慶、某に、筑摩郡南栗林の地を宛行ふ、
天正一二 諏訪頼忠、与三右衛門尉等を諏訪郡踏出村の印叛衆となす、尋いで、、、
天正一二 小笠原貞慶、贄川又兵衛後家に、所領を宛行ふ、
天正一二 小笠原貞慶の臣草間肥前、、、
天正一二 是より先、上杉景勝、越中境に佐々成政の軍を破る、是日、景勝、、、
天正一二 徳川家康、三河に出陣し、諏訪頼忠に参陣の用意を命ず、 小笠原貞慶、、、
天正一二 直江兼続、水内郡大日方主税助をして、知行を安堵せしむ、
天正一二 諏訪頼忠、大工五郎左衛門・式部左衛門に、木の口四駄分を指置く、
天正一二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、
天正一二 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、
天正一二 是より先、上杉景勝、越中に入り、佐々成政の属城を抜く、須田満親、、、
天正一二 真田昌幸、市場右京進をして、上野吾妻問屋職を安堵せしむ、
天正一二 上杉景勝、高井郡大熊・角間両郷の百姓に、土貢赦免を約す、
天正一二 越中佐々成政、信濃を経て、遠江浜松に到り、是日、徳川家康に謁く、
天正一二 菅沼定利、伊那郡平沢勘右衛門に地を宛行ふ、
天正一二 真田昌幸、河原綱家等をして、商人を取締らしむ、
天正一二 諏訪社上社、同社本年頭役料を注す、
天正一三 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、同寺に禁制を掲ぐ、
天正一三 是より先、高梨頼親、上杉景勝より、信濃本領を安堵せらる、仍りて、、、
天正一三 松川道文、安曇郡大宮大明神に祈願す、
天正一三 神祇管領卜部兼治、伴野清次に四組木綿手繦の著用を許す、
天正一三 信満、姓闕く、綿内彦五郎に知行を宛行ふ、
天正一三 保科正貞、埋橋彦介に知行を宛行ふ、
天正一三 小笠原貞慶、安曇・筑摩両郡の番匠等をして、、、
天正一三 細萱長知、安曇郡満願寺に、同郡牧の地の阿弥陀地を寄進す、
天正一三 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、、、
天正一三 小坂光清、諏訪社上社釈迦堂に、鰐口を寄進す、
天正一三 諏訪大明神御本地縁起、成る、、、
天正一三 青柳頼長、筑摩郡叶里大明神及び田中大明神に地を寄進す、
天正一三 伊那郡文永寺の僧宗演、山城醍醐寺理性院に於いて、、、
天正一三 上杉景勝、須田満親に命じ、家中の諸士をして、軍役を励ましむ、
天正一三 上杉景勝、高井郡中野藤九郎の、越後三条に於ける忠節を賞す、
天正一三 青柳頼長、筑摩郡某大明神に地を寄進す、
天正一三 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、貞玖石窓、大姉のため、秉炬仏事を勤む、
天正一三 是より先、高井郡須田信正、真田昌幸等に与し、上杉景勝に叛く、是日、、、
天正一三 信春、姓闕く、水内郡飯縄社に地を寄進す、
天正一三 相沢政信、埴科郡孫六をして、その抱地を安堵せしむ、
天正一三 伊那郡文永寺宗然、同寺に於いて愛染字輪観を書写す、
天正一三 山城青蓮院尊朝法親王、本誓寺に、、、
天正一三 上杉景勝、伊達受心輝崇、に好を修し、信濃の平定を報ず、是日、受心、、、
天正一三 上杉景勝、埴科郡海津城代須田満親をして、信濃四郡の諸士を指揮し、、、
天正一三 諏訪頼忠、五郎左衛門尉等に、郷次の普請役を免除す、
天正一三 上杉景勝、上野箕輪在城の佐久郡瀬下豊後守の労を犒ひ、、、
天正一三 真田信幸、矢沢頼幸に同心衆を附し、奉公を励ましむ、
天正一三 某、諏訪久三をして、所領を安堵せしむ、
天正一三 青柳頼長、筑摩郡清長寺に同郡碩水寺分寺領を寄進し、また、、、
天正一三 松平依田、康国、左衛門太郎姓闕く、に、佐久郡田口郷の地を宛行ふ、
天正一三 諏訪頼忠、菅沼定利に誓詞を捧げ、徳川家康及び定利に異心なきを誓ふ、、、
天正一三 真田昌幸、宮下太兵衛・塩入弥兵衛に、、、
天正一三 是より先、真田昌幸、上杉景勝に異心なき旨を誓ふ、仍りて、是日、景勝、、、
天正一三 木曽義昌、松原彦右衛門に地を宛行ふ、
天正一三 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、大源門派の伝法衣を雲洞院に附す、
天正一三 諏訪社上社内御玉殿、成る、
天正一三 小笠原貞慶、山田甚右衛門等に、安曇郡小谷等の地を宛行ふ、
天正一三 小笠原貞慶、安曇郡満願寺観音堂造立につき、同寺に、、、
天正一三 小笠原貞慶、及木源三郎に、安曇郡氷室の地を宛行ふ、
天正一三 祢津昌綱、土屋猪介に知行を宛行ふ、
天正一三 伊那郡殿岡村の差出帳、成る、 殿岡村差出帳
天正一三 真田昌幸、大工左京進姓闕く、の奉公を賞し、知行を与ふ、
天正一三 木曽義昌、木曽王滝百姓に令して、、、
天正一三 徳川家康、真田昌幸を討たんとし、小笠原信嶺・松岡貞利等に、、、
天正一三 真田昌幸、使者を海津城将須田満親に遣はし、救援を求む、仍りて、満親、、、
天正一三 是より先、真田昌幸、子信繁を人質として、海津城将須田満親に送る、、、
天正一三 真田昌幸・同信幸父子、徳川家康の兵を小県郡国分寺に迎撃して、、、
天正一三 真田昌幸、百姓の訴により、飯島宗心等をして、、、
天正一三 諏訪頼忠、矢島河内守の討死するに依り、諏訪社上社権祝矢島某をして、、、
天正一三 是より先、安曇郡満願寺観音堂の上棟あり、是日、小笠原貞慶、、、
天正一三 小笠原貞慶、松山織部に、庄内の替地として、城の内見出分を宛行ふ、
天正一三 徳川家康、岡部弥次郎等の、小県郡丸子の戦功を賞す、
天正一三 富慶、姓闕く、有沢善助に、、、
天正一三 小田切左馬助、安曇郡千見に、仁科勢を破る、是日、上杉景勝、、、
天正一三 小笠原貞慶、大日方民部に、筑摩郡神田の地を宛行ふ、
天正一三 徳川家康の将平岩親吉等、佐久郡高野町に禁制を掲ぐ、
天正一三 是より先、北条氏直、上野沼田城に、真田昌幸の将矢沢綱頼を攻む、是日、、、
天正一三 是より先、上杉景勝、島津忠直等をして、小県郡伊勢崎城を搆築せしむ、、、
天正一三 小笠原貞慶の臣草間肥前、中田源二郎の所領筑摩郡庄内の地の年貢を注す、、、
天正一三 上杉景勝、埴科郡海津城将須田満親に、条目を頒つ、
天正一三 伊那郡大雄寺住持宗勤、克焉、宗円居士俗名闕く、の請に応じて、、、
天正一三 木曽義昌、児野の九郎左衛門に知行を給す、
天正一三 上杉景勝、所々領主をして、須田満親の荷三駄を勘過せしむ、
天正一三 上杉景勝、埴科郡中条村に、制札を掲ぐ、
天正一三 伊那郡開善寺住持宗販、速伝、同郡大雄寺住持宗勤克焉、に、、、
天正一三 上杉景勝、上野沼田城将矢沢綱頼に、上野国に於いて地を宛行ふ、
天正一三 石川数正、徳川家康に叛き、小笠原貞慶の人質を拉して、、、
天正一三 是より先、徳川家康、諏訪・佐久両郡の鎮将平岩親吉・柴田康忠を、、、
天正一三 羽柴秀吉、徳川家康の離叛するに依り、来春を期し之を攻めんとす、是日、、、
天正一三 徳川家康、下条牛千世康長、の人質を伊那郡鎮将菅沼定利に送り、、、
天正一三 羽柴秀吉、真田昌幸の徳川家康に与せるを赦し、上洛を促す、
天正一三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、
天正一三 徳川家康、下条牛千世をして、信濃の本領を安堵せしめ、、、
天正一三 真田昌幸、小県郡信綱寺の、武田信玄菩提所を建立するに依り、、、
天正一三 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、
天正一三 小笠原貞慶・溝口貞秀を上洛せしめんとし、筑摩郡針尾の地を宛行ふ、
天正一三 小笠原貞慶、徳川家康と絶ち、保科正直を伊那郡高遠城に攻む、正直、、、
天正一三 青柳頼長、青柳加賀守に藤丸並びに両筋の紋の使用を許す、
天正一三 諏訪社上社、同社今年頭役料を注す、
天正一三 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、同寺を退院し、同寺内の長寿院に退去す、
天正一四 菅沼定利、伊那郡淵井市左衛門に知行を宛行ふ、
天正一四 真田昌幸、塚本肥前守に、小県郡武石の地等を宛行ひ、且つ、、、
天正一四 上杉景勝、酒井新左衛門尉の高井郡大室に於ける軍功を賞す、
天正一四 佐久郡竜雲寺前住持全祝、北高、妙中居士当永、・浄光居士のため、、、
天正一四 市川為綱、高井郡安田諏訪社・同飯綱社に、神領を寄進す、
天正一四 真田昌幸、矢島主殿助に、佐久郡岩村田の地を宛行ふ、尋いで、、、
天正一四 真田昌幸、神尾淡路守等に、佐久郡芦田の地を宛行ふ、
天正一四 伊那郡富田村善十郎等、同郡虎岩村つくゑ原畑を請作せんとし、、、
天正一四 伊那郡開善寺住持宗販、速伝、保寿寺の徒宗玕碧沢の請に応じて、、、
天正一四 保科正直、三村勝親に、本領安堵を約す、
天正一四 松平依田、康国、紀伊高野山蓮華定院を、領内住民の宿坊と定め、、、
天正一四 平原全真、紀伊高野山蓮華定院に、佐久郡岩村田の地を寄進す、、、
天正一四 望月印月斎、一峯、立神新九郎をして、同甚六郎の名跡を嗣がしめ、、、
天正一四 小笠原貞慶、溝口貞秀に、筑摩郡稲倉及び岡田郷内の地を宛行ふ、
天正一四 是より先、倉科朝軌死す、是日、溝口貞秀、、、
天正一四 小県郡国分寺僧良真、近江成菩提院に於いて、六即義を書写す、 良真、、、
天正一四 徳川家康、佐久郡松平依田、新六郎に、名乗一字を許す、
天正一四 望月印月斎、一峯、紀伊高野山蓮華定院をして、、、
天正一四 信濃の僧武蔵皎月院存麟、玉田、寂す、
天正一四 諏訪頼忠、河西和泉守に、諏訪郡内の地を宛行ふ、
天正一四 小笠原貞慶、倉科盛軌をして、兄朝軌の名跡を嗣がしめ、、、
天正一四 是より先、所伊賀守、松平民部助と争論に及び、、、
天正一四 北条氏直、氏邦等をして、上野沼田城を攻めしめんとす、、、
天正一四 是より先、伊勢外宮御師広田勘右衛門尉、岩井信能に御祓・太麻等を贈る、、、
天正一四 真田昌幸、湯本三郎右衛門尉等の、上野吾妻に赴き、、、
天正一四 小笠原貞慶、仁科衆に、安曇郡千見城の普請を命じ、、、
天正一四 是より先、上杉景勝、上洛す、是日、景勝、夜交左近助に書を送り、、、
天正一四 徳川家康、伊那郡下条六郎次郎に、名乗一字を許す、
天正一四 伊那郡文永寺僧俊意、摩利支天法を書写す、
天正一四 本願寺光寿、教如、上杉景勝との間に事なきを、、、
天正一四 筑摩郡徳雲寺住持殊白、圭獄、語録を書す、
天正一四 高井郡興国寺住持順京、高山、その徒順尭に嗣書焼却切紙を伝授す、
天正一四 上杉景勝、小田切左馬助をして、本領を安堵せしむ、
天正一四 普賢坊、法印に任ぜらる、
天正一四 徳川家康、真田昌幸を小県郡上田に撃たんとし、駿府まで出馬す、尋いで、、、
天正一四 佐久郡竜雲寺前住持全祝、北高、正久遠窓、大姉・秀董梅窓、、、
天正一四 羽柴秀吉、真田昌幸を討たんとし、上杉景勝に令して、、、
天正一四 羽柴秀吉、徳川家康の臣水野惣兵衛に書を送り、信濃より浜松に帰りて、、、
天正一四 羽柴秀吉、上杉景勝に、信濃郡割に付いて意を伝え、併せて、、、
天正一四 真田昌幸、高槻備中守等に命じて、小県郡願行寺の後住職を定めしめ、、、
天正一四 法印某、佐久郡泉光坊に、両貝緒允可のことを取成さんとす、
天正一四 羽柴秀吉、木村吉清を、上杉景勝の許に遣はし、、、
天正一四 是より先、小笠原貞慶、部下将士を越後に送り、、、
天正一四 小笠原貞慶の臣渋田見政長、有沢善助に、水内郡竹生の地を宛行ふ、
天正一四 羽柴秀吉、上杉景勝に書を送り、真田昌幸成敗の儀を停む、
天正一四 海津城将須田満親、林部宮内助に、更級郡岡田・高田の地を給す、
天正一四 菅沼定利、伊那郡知久平諏訪社に、同郡今田・飯沼の地を寄進す、、、
天正一四 菅沼定利、伊那郡知久平八幡社に、同郡今田・飯沼両郷の地を寄進す、
天正一四 諏訪社上社神長守矢信真の知行目録、成る、
天正一四 是より先、羽柴秀吉、関東のことを徳川家康に委ね、また、、、
天正一四 上杉景勝、色部長真をして、新発田重家の侵入に備へしめ、また、、、
天正一四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、
天正一四 真田昌幸の室、小県郡蓮華院の埴科郡海津に於ける忠節を賞し、、、
天正一四 前佐久郡竜雲寺中興開山全祝、北高、寂す、
天正一四 佐久郡郷村貫高帳、成る、
天正一四 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、
天正一四 須田満親、高井郡常楽寺・満滝寺を再興す、
天正一四 是より先、諏訪社上社神長守矢信真、同社神領のことを、、、
天正一四 諏訪社上社、同社今年の頭役料を注す、
天正一四 上杉景勝、須田長義等の軍役を定む、
天正一五 豊臣秀吉、上杉景勝をして、真田昌幸に上洛を促さしむ、
天正一五 是より先、伊勢豊受大神宮御師広田大夫、、、
天正一五 溝口貞秀、浅野久衛門尉の所領安曇郡借馬等の地を検地し、、、
天正一五 上杉景勝、安曇郡榛葉但馬守の、越後新発田に参陣せる労を犒ふ、
天正一五 松平依田、康国、佐久郡貞祥寺をして、寺領を安堵せしむ、
天正一五 豊臣秀吉、真田昌幸に、信濃の矢留を命ず、
天正一五 伊那郡南原本帳、成る、
天正一五 小笠原貞慶・真田昌幸等、豊臣秀吉の命に依り、駿府に徳川家康に謁す、
天正一五 牧島城代芋川親正、更級郡天宗寺に禁制を掲ぐ、
天正一五 高井郡興国寺住持順京、山高、その徒順尭に勃陀勃地大事等を伝授す、
天正一五 青柳頼長、筑摩郡麻績神明宮神主宮下彦助に、地を寄進す、尋いで、また、、、
天正一五 北条氏直、佐久郡佐藤主水佐をして、所領を安堵せしむ、
天正一五 須田満親、所伊賀守に、埴科郡東条の地を給す、
天正一五 小笠原貞慶、贄川平八に、、、
天正一五 徳川家康、分国中の金掘衆に条書を下し、諸役を免ず、
天正一五 小笠原貞慶、某をして、屋敷・下人等を元の如く請取らしむ、
天正一五 真田昌幸、小県郡大法師祢宜大夫に神領を寄進す、
天正一五 安曇郡満願寺住持尊応、観音経読誦を行ふ、、、
天正一五 真田昌幸、河原綱家に、唐沢庄助知行の山を預く、
天正一五 朝日重政、伊那郡淵井市左衛門の知行地を注す、 某貫高覚書
天正一五 小笠原貞慶、竹居縫右衛門に、竹居神内分の地を宛行ふ、
天正一五 小県郡下之郷大明神社の湯立釜、成る、
天正一五 直江兼続、更級郡中牧平十郎に知行分の人脚を免除す、、、
天正一五 真田昌幸、小県郡蓮華院をして、四阿山の栂・ひそ木を伐るを停めしむ、
天正一五 小笠原貞慶、筑摩郡清長寺をして、寺領を安堵せしむ、
天正一五 真田昌幸、小県郡大宮社に同郡前山郷内の地を寄進す、
天正一五 真田昌幸、河原綱家に、重ねて、唐沢庄助知行の山を預く、、、
天正一五 諏訪頼広、頼綱、諏訪社上社大祝の位に即く、
天正一五 松平依田、康国、臼田監物の子甚蔵に、佐久郡小宮山の地等を宛行ふ、
天正一五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、
天正一五 大久保忠隣の女、松平依田、康国に嫁す、是日、その女、三河を発す、
天正一五 小田切昌安、更級郡竜洞院に地を寄進す、
天正一五 伊那郡虎岩本帳、成る、尋いで、同郡知久平本帳、成る、
天正一五 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、
天正一五 真田昌幸、増沢清七郎に、地を宛行ふ、
天正一五 海津城将須田満親、小河原式部少輔を、、、
天正一五 諏訪社上社、同社今年頭役料を注す、
天正一六 上杉景勝、春日山城に、連歌会を催す、岩井信能等、之に参ず、
天正一六 伊那郡長石寺の前立本尊像、成る、
天正一六 小笠原貞慶、筑摩郡広沢寺隠居のために、先祖の屋敷を進め、、、
天正一六 沢渡盛忠、安曇郡沢渡神明社并びに諏訪社を造立す、
天正一六 松平依田、康国、菅五郎姓闕く、に、佐久郡毛田井宮等の神領を宛行ふ、
天正一六 諏訪郡仏法寺の徒宥雅、同寺尊朝より伝法潅頂を受く、
天正一六 真田昌幸、上野八幡山の番帳を定む、
天正一六 真田昌幸、矢沢綱頼に、上野沼田の所領替地として、、、
天正一六 木曽義昌、原彦八郎在京して、義昌の子辰千代義春、、、
天正一六 小笠原貞慶、豊臣秀吉の命を請け、田村顕康に、、、
天正一六 小笠原玄也、洞雪斎、泉沢久秀に音信を送り、、、
天正一六 某、高井郡興国寺に於いて、報恩録を書写す、
天正一六 是より先、佐久郡竜雲寺住持存竜、鳳庵、越後長安寺を開く、是日、寂す、、、
天正一六 小笠原貞慶、平林弥衛門に、安曇郡岩岡等の地を宛行ふ、
天正一六 松平依田、康国、佐久郡明照寺に、地を寄進す、
天正一六 小県郡安楽寺の寺領帳、成る、
天正一六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、
天正一六 諏訪頼忠、田中宗右衛門知行分を、同宮内丞・衛守両人に宛行ふ、
天正一六 佐久郡新海三社の神領帳、成る、
天正一六 徳川家康、信濃等三箇国の宿駅に命じて、、、
天正一六 諏訪社上社、同社今年頭役料を注す、
天正一六 笠原三蔵等、筑摩郡本洗馬の孫右衛門等より年貢を請取る、
天正一六 筑摩郡長興寺前住持同郡西福寺開山殊白、圭岳、寂す、
天正一七 是より先、小笠原貞慶の子貞政、秀政、家督を嗣ぐ、是日、徳川家康、、、
天正一七 竹居栄直等、同人及び同心衆の知行高を注す、
天正一七 須田道賢丸、伊勢豊受大神宮御師広田勘右衛門尉に、、、
天正一七 真田昌幸の子信幸、徳川家康に出仕す、
天正一七 高井郡興国寺順京、高山、その徒順尭に白山授戒之切紙を伝授す、
天正一七 小笠原貞慶、竹内縫左衛門に知行を宛行ひ、尋いで、、、
天正一七 松平依田、康国、井出善三郎に、名乗一字を許す、
天正一七 小笠原貞慶、大和兵部衛門等に、筑摩郡吉田の雅楽丞分の地を給す、
天正一七 小笠原貞慶、平林弥衛門に、安曇郡池田の地を宛行ふ、
天正一七 小笠原貞政、秀政、松林右橘に、筑摩郡青柳の地を宛行ふ、
天正一七 木曽兜観音堂の造立、成る、
天正一七 小笠原貞政、秀政、平沢利右衛門尉に、代官条目を渡す、
天正一七 望月印月斎、一峯、紀伊高野山蓮華定院に、佐久郡蓬田の寺屋敷を寄進す、、、
天正一七 豊臣秀吉、使者津田隼人正等を関東・奥羽に遣はさんとし、、、
天正一七 松平依田、康国、丸山内匠助をして、佐久郡中の番匠を取締らしむ、
天正一七 小笠原貞政、秀政、岩垂忠助に、筑摩郡新村の地を宛行ふ、
天正一七 豊臣秀吉、真田昌幸の所領上野沼田を、北条氏直に与へんとし、是日、、、
天正一七 豊臣秀吉、京都に大仏殿を建立せんとし、一柳伊豆守に命じて、、、
天正一七 木曽義昌、千村重次に木曽の地を宛行ふ、
天正一七 松平依田、康国、依田菅助等をして、、、
天正一七 須田満親、海津城鎮守諏訪社に地を寄進す、
天正一七 僧文竺、大休、岩垂貞親の需めに応じ、道号を与へ、その頌をつくる、
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