林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻十二 天文二三年(1554)~
巻十二 天文二三年(1554)~
天文二三 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文二三 伊那郡文永寺宗然・同厳詢禁中太元護摩に参仕す、
天文二三 武田晴信、山家松寿をして、その父左馬允の所領筑摩郡大村の地を安堵、、、
天文二三 後奈良天皇、信濃の僧玄瑠宗瑠、南豊、を妙心寺住持となす、、、
天文二三 筑摩郡青柳某、同郡麻績神明宮神主等の所領を注す、
天文二三 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺中坊の弟子少納言の入壇するにあたり、、、
天文二三 武田晴信、大日方美作守等に令して、その領民の移住を禁ず、
天文二三 是より先、高井郡笠原本誓寺超賢、長尾景虎の上洛に際し、北陸の通路の、、、
天文二三 筑摩郡青柳小四郎、所領目録を注し、同近江守に差出す、
天文二三 諏訪社上社、秋宮外の籬拾壱間の造宮料を、水内郡落合領内の諸郷に課す、、、
天文二三 小県郡福沢昌景、紀伊高野山蓮華定院に、戦乱により、賛銭弁済の、、、
天文二三 佐久郡龍雲寺住持清嫩、桂室、同寺歴代譜を書す、
天文二三 佐久郡龍雲寺孝順〓に仏祖正伝菩薩戒作法を伝ふ、
天文二三 前妙心寺住持紹化、南溟、信濃の僧玄瑠南豊、の請に応じて、、、
天文二三 武田晴信、臼田六郎右衛門尉に、佐久郡岩村田の地を宛行ふ、
天文二三 木曽義在・同義康父子、木曽黒沢安気大菩薩に、鰐口を寄進す、
天文二三 伊那郡長久寺住持興春、東渓、同郡興禅寺住持玄瑠南豊、の請に応じて、、、
天文二三 武田晴信、兵を信濃に進む、尋いで、晴信、知久頼元を伊那郡知久郷に、、、
天文二三 相国寺住持集尭、仁如、越前雲龍寺の徒宗寅春岳、の請に応じて、、、
天文二三 武田晴信の子義信、佐久郡に攻め入り、同郡の諸城相ついで陥る、
天文二三 諏訪郡仏法寺尊朝、聖教を書写し、その伝授を受く、 尊朝、聖教を書写、、、
天文二三 武田晴信、大日方主税助の協力を賞し、尋いで、また、明春の信濃奥郡へ、、、
天文二三 是より先、武田晴信、伊那郡攻略のため、御謝山大明神に武運長久を祈る、、、
天文二三 武田晴信、大日方上総助の請により、二木重高一族の還住を赦す、
天文二三 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺密教院の伝法潅頂にあたり、職衆として、、、
天文二三 武田晴信、大須賀久兵衛尉をして、小県郡塩尻南方の地を安堵せしむ、
天文二三 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、筑前聖福寺住持某竜華老人、集尭に、、、
天文二三 諏訪湖上に、諏訪大名神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、
天文二三 武田晴信、川手右衛門尉の母尼に、伊那郡長岡の地を宛行ふ、
天文二三 某、安曇郡丹生子・大町関の代物を受取る、
天文二三 武田晴信、下条兵庫助をして、伊那郡知久平の地を所務せしむ、
天文二三 某、高井郡温泉寺を開創し、佐久郡貞祥寺・埴科郡禅透院開山徳忠節香、、、
天文二三 小県郡定津院住持舜栄、王室、病む、依つて、その師同院前住甲斐慧運院、、、
弘治元 知久四郎左衛門尉等、窂浪して、山城醍醐寺三宝院に逗留し、是日、京都に、、、
弘治元 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、
弘治元 是より先、筑摩郡三村某、武田晴信の将馬場信房を同郡深志城に攻む、、、
弘治元 相国寺住持集尭、仁如、同寺大智院広徳軒主妙安惟高、の試筆十題の詩の、、、
弘治元 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、
弘治元 武田晴信、諏訪郡八剣社に、同郡上原の地を寄進す、
弘治元 武田晴信、諏訪社上社の神鷹・神馬の分配の法を定む、
弘治元 武田晴信、筑摩郡慶弘寺に、制札を掲ぐ、
弘治元 武田晴信、大日方主税助の戦功を賞す、
弘治元 佐久郡龍雲寺住持清嫩、桂室、同寺の置文を書す、
弘治元 武田晴信、内田監物をして更級郡佐野山に在城せしむ、
弘治元 全林、旃室、佐久郡自成寺を中興し、その師徳忠節香、を開山に勧請す、
弘治元 知久頼元等、甲斐船津に於いて害せらる、
弘治元 伊那郡文永寺厳詢、山城醍醐寺より、信濃に下国す、
弘治元 是より先、長尾景虎、村上義清・高梨政頼等の請に依り武田晴信を討たんと、、、
弘治元 武田晴信、諏訪社上社神長守矢頼真に、戦勝祈願を依頼す、
弘治元 武田晴信、諏訪社上社をして、水内郡漆田郷内の同社領を安堵せしむ、
弘治元 伊那郡文永寺厳詢、入壇のため山城醍醐寺に至る、
弘治元 武田晴信、小嶋修理亮に高井郡高梨の地を宛行ふ、
弘治元 柴河内守、伊那郡大手大明神宝殿を建立す、
弘治元 東福寺住持守仙、彭叔、寂す、相国寺大智院広徳軒主妙安、惟高、詩を、、、
弘治元 武田晴信、大須賀久兵衛の忠節を賞す、
弘治元 長尾景虎、信濃在陣の諸将に誓紙を徴す、
弘治元 武田晴信、大日方山城守・春日駿河守の俵物の諸関通行を許す、
弘治元 武田晴信、駿河今川義元の斡旋により、長尾宗心景虎、と和し、互に兵を、、、
弘治元 武田晴信、某をして、筑摩郡八幡宮別当職を安堵せしむ、
弘治元 諏訪湖上凝結せざるにより、諏訪大明神御渡なし、、、
弘治元 相国寺住持集尭、仁如、東福寺龍吟庵塔主龍喜煕春、の請に応じて、、、
弘治二 武田晴信、甲斐浅間社並びに同国美和社に、筑摩郡小松郷の地を寄進す、
弘治二 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、
弘治二 元宵、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
弘治二 某、佐久郡松原社に神馬銭を渡す、
弘治二 相国寺住持集尭、仁如、同寺大智院広徳軒の詩会に列す、
弘治二 武田晴信、水内郡静松寺住持をして、落合一族の忠節を賞せしむ、
弘治二 武田晴信、諏訪郡三精寺をして、寺領の山を安堵せしむ、
弘治二 相国寺住持集尭、仁如、東福寺永明院の徒永哲惟杏、の請に応じて、、、
弘治二 更級郡西明寺秀弘、山城醍醐寺御影堂に、上米分を寄進す、
弘治二 高野山定慶院、故諏訪頼継の室のために逆修供養を行ふ、
弘治二 是より先、東福寺永明院の徒永哲、惟杏、五山諸尊宿の古文真宝の注釈を、、、
弘治二 武田晴信、香坂筑前守に、埴科郡八郎丸郷内の地を宛行ふ、
弘治二 武田晴信、井上左衛門尉に、高井郡綿内領内の地を宛行ふ、、、
弘治二 武田晴信、大須賀久兵衛尉をして、その被官人の闕落せる者を召還さしむ、
弘治二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、同寺住持妙安惟高、の韻を和して詩を、、、
弘治二 武田晴信、高井郡市川信房に、安田遺跡を宛行ふ、
弘治二 高梨政頼、今清水六郎次郎の戦功を賞す、
弘治二 武田晴信、諏訪郡神洞院に、以後五箇年間の寺領沽却を許す、
弘治二 伊那郡光明寺住持仙智、伝授のため上洛し、山城醍醐寺に宿す、
弘治二 仁科盛康、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、、、
弘治二 是より先、真田幸隆、埴科郡雨飾城を攻む、是日、武田晴信、幸隆に、、、
弘治二 僧正佶、楽翁、高井郡泉龍寺住持徳忠節香、に嗣法す、
弘治二 相国寺住持集尭、仁如、送別の詩をつくりて、山城妙智院周良策彦、の、、、
弘治二 冬至、相国寺秉払を行ふ、同寺住持集尭、仁如、その問答法語をつくる、
弘治二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
弘治二 相国寺住持集尭、仁如、医師半井驢庵より、青甕の花瓶を贈らる、、、
弘治二 相国寺住持集尭、仁如、明人詹僖の筆蹟に跋す、
弘治二 武田晴信、岩波八郎右衛門尉に、諏訪郡金子・栗林の地を宛行ふ、
弘治二 是より先、武田晴信、西条治部少輔をして、水内郡小田切方川北の本領を、、、
弘治二 武田晴信、市河右馬助に、兵糧米の保管を保証す、、、
弘治二 伊那郡長石寺の聖観音菩薩像、成る、
弘治二 駿河清見寺前住持宗淳、棘庵、再び山城妙心寺住持となり、入院す、、、
弘治二 安曇郡満願寺僧某、同寺再興の勧進状を書す、
弘治三 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、
弘治三 長尾景虎、更級郡八幡宮に武田晴信の討滅を祈願す、
弘治三 武田晴信、伊那郡諸郷に夫役を課す、
弘治三 武田晴信の兵、長尾景虎の属城水内郡葛山城を攻めて、之を陥る、、、
弘治三 仏涅槃日、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
弘治三 後奈良天皇、伊那郡文永寺再興のことにつき、山城醍醐寺理性院へ仰出さる、、、
弘治三 木曽御嶽権現社の神主滝某、御土祭文を改書す、
弘治三 山城妙心寺、その開山慧玄関山、の二百年忌を預修す、、、
弘治三 是より先、木島出雲守等、長尾景虎の兵の信濃に入るを、武田晴信に報ず、、、
弘治三 是より先、武田晴信の軍、高梨政頼を水内郡飯山城に攻むるにより、、、
弘治三 武田晴信、水内郡飯縄権現神主仁科千日をして、同所務を安堵せしむ、
弘治三 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
弘治三 仏誕生日、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
弘治三 結制、是より先、相国寺住持集尭、仁如、小参説法す、是日、相国寺秉払を、、、
弘治三 是より先、長尾景虎、善光寺に兵を進め、高井郡山田要害・福島等を鎮定す、、、
弘治三 相国寺開基足利義満忌日、同寺住持集尭、仁如、拈香仏事を修す、
弘治三 長尾景虎、武田晴信と信濃に決戦せんとし、高井郡元隆寺に戦勝を祈る、
弘治三 長尾景虎、埴科郡香坂城を攻めて、之を焼く、尋いで、同郡坂木岩鼻を攻め、、、
弘治三 是より先、水内郡飯山城将高梨政頼、越後春日山城将直江実綱を音問す、、、
弘治三 武田晴信の軍、安曇郡小谷に長尾景虎の軍と戦ふ、尋いで、晴信、諸士の、、、
弘治三 武田晴信、大須賀久兵衛尉に、埴科郡坂木南条内の地を宛行ふ、
弘治三 是より先、播磨法雲寺住持永杲、東明、相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、、、
弘治三 武田晴信、安曇郡山田左近をして、本領を安堵せしむ、
弘治三 是より先、長尾景虎・同政景、武田晴信と水内郡上野原に戦ふ、是日、景虎、、、
弘治三 六角義賢、その父定頼の七周忌仏事を相国寺に預修し、、、
弘治三 武田晴信、軍勢等の安曇郡千国谷中に乱妨するを停止せしむ、
弘治三 源棟満、伊那郡二善寺を修造す、
弘治三 篠原吉忠、諏訪郡極楽寺を造立し、是日、入仏供養を行ふ、
弘治三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
弘治三 依田長繁、佐久郡湯原大明神に鰐口を寄進す、
永禄元 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、山城三聖寺妙徳院松月軒主聖澄月渓、の請に、、、
永禄元 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、
永禄元 正親町天皇、武田晴信に綸旨を下し、伊那郡文永寺・同郡阿島安養寺再興の、、、
永禄元 更級郡西明寺秀弘、山城醍醐寺に頼母子銭を寄進し、上洛の時の宿坊の、、、
永禄元 伊那郡文永寺厳詢、律師に任ぜらる、 文永寺中納言房、律師に任ぜらる、、、
永禄元 更級郡西明寺秀弘、山城醍醐寺を辞して、帰国せんとす、
永禄元 是より先、将軍足利義輝、長尾景虎及び武田晴信に諭して、和睦せしめんと、、、
永禄元 望月信雅、佐久郡釈尊寺を修理す、
永禄元 佐久郡貞祥寺住持徳忠、節香、同寺の規式を定む、
永禄元 結制、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
永禄元 武田晴信、大日方主税助に、その父山城守の遺領を宛行ふ、
永禄元 武田晴信、水内郡柏鉢城等篭城衆の番手結番を定む、
永禄元 伊那郡大井弖二所権現の社殿、成る、
永禄元 木曽義康、木曽鹿嶋社の鳥居を造立す、
永禄元 山城醍醐寺理性院、僧宗然を伊那郡文永寺に遣はし、同寺法流等を再興、、、
永禄元 武田晴信、山城醍醐寺理性院の伊那郡文永寺・安養寺再興の訴願について、、、
永禄元 是より先、前山城真如寺住持瑞桂、湖月、寂す、、、
永禄元 武田晴信、安曇郡金松寺住持職を、常徳寺年室に預く、
永禄元 武田晴信、長尾景虎と決戦せんとし、水内郡戸隠社に修理料を寄進して、、、
永禄元 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、木曽定勝寺の徒東福寺海蔵院守塔侍者宗球、、、
永禄元 武田晴信、大日方主税助に、水内郡中条の地を宛行ふ、
永禄元 小兵衛、姓を闕く、伊那郡二善寺舞殿を造立す、
永禄元 武田晴信、信濃善光寺阿弥陀如来像を甲府に移す、尋いで、甲斐板垣に、、、
永禄元 佐久郡諏訪社社殿、成る、
永禄元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、、、
永禄元 某、佐久郡松原社に神馬銭を渡す、
永禄元 是より先、将軍足利義輝、武田晴信の越後及び信濃を侵すを責め、晴信を、、、
永禄元 諏訪郡慈雲寺住持玄長、天桂、木曽義在に道号を与へ、その頌をつくり、、、
永禄元 駿河臨済寺の徒玄洪、景筠、妙心寺住持となり入院す、、、
永禄元 佐久郡自成寺住持徳忠、節香、埴科郡禅透院に還住し、上京して、宮中に、、、
永禄二 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
永禄二 小笠原長時、年頭の祝儀として、幕府に馬・太刀を贈る、
永禄二 是より先、武田晴信、大日方山城守等諸士・商人等に分国内往還の諸役を、、、
永禄二 武田晴信、諏訪社上社九頭井の祭礼を再興せしめんがため、諏訪郡栗林郷内、、、
永禄二 佐久郡伴野貞祥、死す、
永禄二 相国寺住持集尭、仁如、庭田重親の室真智鏡室、大姉の秉火仏事を勤む、
永禄二 是より先、善学院日鏡、埴科郡蓮乗寺を中興す、是日、日鏡、死す、
永禄二 相国寺雲頂院塔主集尭、仁如、東福寺桂昌庵の徒昌徳の請に応じて、、、
永禄二 武田信玄、晴信、長尾景虎の上洛の機に乗じ、信濃奥郡並びに越後境に、、、
永禄二 将軍足利義輝、長尾景虎をして、信濃の諸将に命じ、戦闘を停止せしむ、
永禄二 是より先、僧義隆、徳翁、佐久郡海翁寺を開く、是月、芳隆、聞立を印可、、、
永禄二 諏訪社上社神長守矢信真、従五位下に叙せらる、
永禄二 屋代政国、諏訪社上社寄進地の年貢を定め、之を諏訪宮内左衛門尉に通告す、、、
永禄二 武田信玄、長尾景虎と決戦せんとして、小県郡下郷諏訪社に戦勝を祈る、、、
永禄二 武田信玄、中牧伊勢守に、更級郡内の地を宛行ふ、
永禄二 達磨忌、相国寺住持集尭、仁如、拈香仏事を勤む、
永禄二 是より先、長尾景虎、関東管領に任ぜられ、京都より帰国す、是日、信濃の、、、
永禄二 冬至、前日、相国寺住持集尭、仁如、小参説法し、是日、上堂説法す、、、
永禄二 武田信玄、屋代政国に、埴科・更級郡内の地を宛行ふことを約す、
永禄二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、
永禄二 某、松原社社人に神馬銭を渡す、
永禄二 秋山善右衛門、伊那郡赤須昌為と草刈場のことにつき契約す、
永禄二 佐久郡相木常喜、同郡常源寺・新海明神社等に、所領を寄進す、
永禄二 相国寺住持集尭、仁如、同寺大智院広徳軒主妙安惟高、に小壺を贈る、、、
永禄三 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
永禄三 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
永禄三 相国寺住持集尭、仁如、山城大光明寺の徒承兌西笑、の試筆の詩を和韻す、
永禄三 武田信玄、諏訪社上社をして、信濃国中に所役を課し、造営を努めしむ、
永禄三 諏訪社上社権祝矢嶋卜心、基綱、伊那郡小田切某に、同社上社磯並神事、、、
永禄三 武田信玄、伊那郡小野郷に令して、罪人を隠匿するを禁ず、
永禄三 是より先、能登神保良春等、武田信玄に応じ、長尾景虎の信濃進攻に乗じて、、、
永禄三 前妙心寺住持紹化、南溟、伊那郡玉川寺住持智精梅室、の請に応じて、、、
永禄三 西村和泉守、高井郡寺久保観音堂に鉦鼓を寄進す、
永禄三 結制、相国寺、秉払を行ふ、同寺住持集尭、仁如、その問禅法語を代作す、
永禄三 是より先、伊那郡赤須・上穂両郷、南山の境界につき争論す、是日、片桐、、、
永禄三 武田信玄、市川右馬介・同右近助に、佐久郡内の諸地を宛行ふ、 武田信玄、、、
永禄三 神宮寺某、法華経を諏訪社下社に奉納す、
永禄三 前建長寺住持雪庵、南禅寺住持となる、相国寺住持集尭、仁如、山門の疏を、、、
永禄三 武田信玄、諏訪社上社権祝矢嶋某をして、旧領を安堵せしむ、
永禄三 木曽長政、御岳権現に百箇日精進を行ひ、是日、成就す、
永禄三 武田信玄、香坂筑前守に、更級郡内横田の地を宛行ふ、
永禄三 是より先、僧善海、佐久郡津金寺の本堂を再興す、是日、寂す、
永禄三 筑摩郡千鹿頭社神主志賀木工助、同社の神秘を書す、
永禄三 下伊那郡喬木村韓郷神社旧蔵の板絵、成る、
永禄三 相国寺住持集尭、仁如、筑前聖福寺の徒玄旦希周、の請に応じ、その詩藁、、、
永禄三 長尾景虎、関東出陣にあたり、同政景をして春日山を守らしめ、緊急の際は、、、
永禄三 武田信廉、伊那郡小井弖藤四郎に、所領を宛行ふ、
永禄三 長尾景虎、関東出陣にあたり、留守の諸将の掟を定め 高梨政頼に輪番合力、、、
永禄三 山城聖護院道澄、佐久郡不動院秀栄を法印に任ず、
永禄三 諏訪郡神宮寺の僧周仁、紀伊根来寺に於いて、百法問答補闕抄を書写し、、、
永禄三 幕府、前相国寺住持同寺雲頂院塔主集尭仁如、を同寺鹿苑院塔主となし、、、
永禄三 武田信玄、信濃奥郡に攻入らんとし、戦勝を佐久郡松原社に祈る、
永禄三 武田信玄、大井左馬允をして、小諸城定普請及び小諸より出陣の際の兵粮、、、
永禄三 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺法堂造営料足のための建仁寺坐公文を、、、
永禄三 僧深忠、伊那郡文永寺最勝坊に於いて、両界念誦次第私記を書写す、
永禄三 佐久郡自成寺住持全林、旃室、埴科郡禅透院に再住す、
永禄三 相国寺住持集尭、仁如、播磨室津の医師村尾久以景賛、の請に応じて、、、
永禄四 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
永禄四 諏訪湖上に、諏訪大明御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、
永禄四 木曽義康、木曽定勝寺をして、寺領野尻郷林在家を安堵せしむ、、、
永禄四 武田信玄、原彦八郎に太刀を与ふ、
永禄四 長尾景虎の将直江実綱、関東出陣に際し、書を高梨政頼に送りて、留守中の、、、
永禄四 武田信玄、小井弖某を左衛門尉に推挙す、
永禄四 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、
永禄四 武田信玄、諏訪社上社の宝鈴銭の事を定む、 信玄、穴山信君等を諏訪社、、、
永禄四 武田信玄、伊那郡小野社御柱の年たるにより、小野南方及び飯沼に普請役等、、、
永禄四 諏訪社上社三月会、
永禄四 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、山城三聖寺妙徳庵松月軒主聖澄月渓、の請に、、、
永禄四 長尾景虎、関東管領上杉憲政を奉じ、信濃・越後及び関東の将士を率ヰて、、、
永禄四 武田信玄、甲斐・信濃両国の軍勢の、吉田諏訪森の木を伐採することを禁ず、、、
永禄四 将軍足利義輝、長尾景虎をして、小笠原長時の信濃帰国を援けしむ、、、
永禄四 諏訪社上社四月会、
永禄四 武田信玄の兵、碓氷峠を越へて上野松井田に陣を進め、尋いで、借宿に放火、、、
永禄四 結制、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
永禄四 武田信玄、市川右馬助等に、佐久郡瀬戸内の地等を宛行ふ、
永禄四 相国寺開基足利義満忌日、同寺住持集尭、仁如、拈香仏事を勤む、
永禄四 武田信玄、筑摩郡長興寺に制札を掲ぐ、 信玄、長興寺をして、寺領を安堵、、、
永禄四 武田信玄、桃井六郎次郎に、筑摩郡内田及び二子の地を宛行ふ、
永禄四 是より先、大森掃部助、武田信玄に属し、水内郡鰐ヶ嶽城を攻む、是日、、、
永禄四 正親町天皇、光新春国、を妙心寺住持となす、相国寺住持集尭、仁如、同門、、、
永禄四 武田信玄、伊那郡高遠の新衆に、知行を宛行ひ、戦功を励ましむ、
永禄四 前伊那郡瑞光院住持舜玉、光国、美濃明知安住寺に寂す、
永禄四 泰宗、姓闕く、更級郡かはら大明神に、同郡小島田郷の地を寄進す、
永禄四 木曽定勝寺聖贇、玉林、後住宗球天心、に什宝等を譲与す、
永禄四 上杉政虎、景虎、信濃に出陣せんとし、後事を長尾政景に依頼す、
永禄四 上杉政虎、武田信玄の軍と更級郡川中島に戦ふ、信玄の弟信繁等討死す、
永禄四 武田信玄、山城清水寺成就院に伊那郡面木郷を寄進し、併せて上杉政虎の、、、
永禄四 武田信玄、北条氏康を援けんがため、上野に兵を出さんとして、佐久郡松原、、、
永禄四 冬至、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
永禄四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、
永禄四 武田信玄、小県郡長窪・大門両宿をして、朱印状によらずして、伝馬を出す、、、
永禄四 水内郡戸隠山中院某、修験問答を著す、
永禄四 小県郡定津院住持舜栄、王室、甲斐清光寺鷲嶺をして、能登総持寺輪住を、、、
永禄五 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
永禄五 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
永禄五 武田信玄、大井左馬允入道をして、その被官人等の、陣中より闕落し、或は、、、
永禄五 諏訪社上社三月会、
永禄五 武田信玄、大須賀久兵衛尉をして、被官人の他所を徘徊するものを召返、、、
永禄五 武田信玄、上野鎌原重澄に信濃移住をすすめ、小県郡海野の内に所領を宛行、、、
永禄五 木曽御嶽社祢宜滝某、同社に日本国内一宮の諸神を勧請す、
永禄五 諏訪社上社花会
永禄五 木曽定勝寺、同寺仏殿の葺替を始む、
永禄五 足利義輝、亡父義晴の十三回忌仏事を相国寺萬松院に修し、同寺鹿苑院塔主、、、
永禄五 諏訪社上社五月会、
永禄五 海舜、筑摩郡海岸寺に光明真言法一千座を勤修す、
永禄五 是より先、小県郡定津院住持舜栄、王室、門弟宗長年室、に同寺住持職及び、、、
永禄五 真田幸隆・同信綱・小県郡白山社宮殿を修造す、
永禄五 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、周防国清寺を十刹に列すべき書立を幕府に呈、、、
永禄五 諏訪社上社御射山祭、
永禄五 武田信玄、高井郡夜交千世松をして、亡父の遺領を安堵せしむ、
永禄五 小県郡定津院住持宗長、年室、丹波永沢寺輪住の任に赴き、正親町天皇、、、
永禄五 是より先、伊那郡飯田城主坂西長忠の兵、松尾小笠原信嶺の所領を侵す、、、
永禄五 是より先、武田信玄、信濃の士等を率ヰて上野に入り、また信濃に還る、、、
永禄五 武田勝頼、埋橋弥次郎をして、保科源六郎知行分伊那郡埋橋の年貢を納め、、、
永禄五 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、安芸安国寺住持恵心竺雲、の請に応じて、、、
永禄五 武田信玄、埴科郡東条・寺尾両郷をして、諏訪社上社頭役を勤仕せしむ、
永禄五 武田信玄、大井左馬允の軍役を定む、尋いで、また之を定む、
永禄五 武田信玄、小県郡開善寺をして所務を安堵せしめ、所願成就の後、さらに、、、
永禄五 武田信玄、埴科郡阿弥陀堂に制札を掲ぐ、
永禄五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、
永禄五 武田信玄、保科八郎左衛門に、伊那郡殿島・藤沢の地を宛行ふ、
永禄五 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、
永禄六 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
永禄六 是より先、武田信玄、北条氏康と共に武蔵松山城に上杉憲勝を攻め、信濃、、、
永禄六 諏訪社上社三月会、
永禄六 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、細川春元の闍維に鎖龕仏事を勤む、
永禄六 木曽夜敷観音像、成る、
永禄六 武田信玄、筑摩郡塩尻宿の伝馬条規を定む、
永禄六 佐久郡西念寺の阿弥陀如来像の修理、成る、
永禄六 諏訪社上社四月会、
永禄六 是より先、上杉輝虎、政虎、北条氏康の党佐野昌綱を下野に攻む、武田信玄、、、
永禄六 上杉輝虎、上倉下総守等の水内郡飯山口守備の失態を誡め、この後その備を、、、
永禄六 諏訪社上社五月会、
永禄六 武田信玄、井上新左衛門尉に、寺内釆女分等の所領を宛行ふ、
永禄六 伊那郡開善寺住持宗販、速伝、陸奥某寺住持の請に赴く、美濃大円寺住持、、、
永禄六 細川藤賢、亡父尹賢の三十三回忌仏事を山城禅昌院に修し、相国寺鹿、、、
永禄六 諏訪社上社御射山祭、
永禄六 武田信玄、小県郡開善寺に、同寺旧領を還付す、
永禄六 是より先、伊那郡赤須郷、同郡菅沼郷と川並びに草間のことにつき争論す、、、
永禄六 武田信玄、嶋津尾張守をして、水内郡長沼の地下人等を還住せしむ、
永禄六 正覚坊重盛、武田信玄と北条氏康の上杉輝虎の呪咀依頼を受けしを分疏し、、、
永禄六 木曽義昌、原平左衛門尉に、筑摩郡洗馬の地を宛行ふ、
永禄六 上杉輝虎、桃井義孝等を飯山城代となし、泉弥七郎等を援けて、備を固め、、、
永禄六 武田信玄、境豊後守等をして、謀叛・殺害以下の犯科人を糺明し、佐久郡、、、
永禄六 是より先、伊勢豊受大神宮、式年造宮用木を木曽御杣に於いて伐る、是日、、、
永禄六 相国寺慧林院冷香軒主周寅、曇叔、寂す、同寺鹿苑院塔主集尭、仁如、、、
永禄六 伴野信是、佐久郡薬師寺に鰐口を寄進す、
永禄六 常陸の人愛珍、伊那郡小川に於いて、卜部神道の秘伝を書写す、
永禄六 是より先、上野吾妻郡の諸士等、同郡岩櫃城に上杉輝虎の党斎藤越前入道、、、
永禄六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、
永禄六 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、
永禄六 祢津昌綱、意卜斎に小県郡大平寺領の地を宛行ふ、
永禄六 小県郡定津院住持宗長、年室、同寺の大慈院輪住の所務を甲斐東林院に、、、
永禄六 佐久郡貞祥寺住持竜鶴、松山、同寺を正佶楽翁、に譲りて、住持せしむ、
永禄七 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
永禄七 相国寺住持集尭、仁如、前山城真如寺住持法玉智岳、の秉火仏事を勤む、
永禄七 是より先、諏訪社上社権祝矢島某、玉会を武田信玄に贈る、是日、信玄し、、、
永禄七 是より先、武田信玄、諏訪郡薬王寺・慈眼寺をして、諏訪社の神鬮を取、、、
永禄七 武田信玄、先に鎌原重澄に与へし小県郡海野の地を改替し、重澄をして、、、
永禄七 佐久郡内山城将小山田玄怡、昌行、同郡内山の地を、高野山蓮華定院、、、
永禄七 臼田勝興、その知行地百姓中の畠の山手の代を木曽定勝寺に寄進す、
永禄七 佐久郡正安寺住持宗察、知庵、寂す、
永禄七 武田信玄、信濃諸役所をして、梶山与三次郎の荷物を勘過せしむ、
永禄七 武田信玄、伊那郡飯島為方をして、上野に闕落せる為方知行の百姓を還住、、、
永禄七 武田信玄、筑摩郡百瀬某を佐渡守に任ず、
永禄七 武田信玄、某をして、鉄砲の玉薬・矢・兵糧を小県郡和田に届けしむ、
永禄七 是より先、清野刑部左衛門尉、武田信玄に属し、奥信濃に戦ひて帰陣す、、、
永禄七 諏訪社上社三月会、
永禄七 武田信玄の兵、水内郡野尻城を攻めて之を陥る、尋いで、上杉輝虎の兵、、、
永禄七 周真、実照、佐久郡正安寺住持となる、
永禄七 上杉輝虎、長尾政景に書を送り、信濃境の無事を悦び、近日越後に帰陣、、、
永禄七 諏訪社上社四月会、
永禄七 結制、前日、相国寺住持集尭、仁如、小参説法し、是日、上堂説法す、、、
永禄七 相国寺、同寺開基足利義満忌日仏事を預修し、同寺住持集尭、仁如、拈香、、、
永禄七 諏訪社上社五月会、
永禄七 是より先、武田信玄、上野に兵を進め、武蔵本庄等に放火す、是日、信玄、、、
永禄七 武田信玄、大井左馬允入道の軍役を定む、
永禄七 上杉輝虎、兵を信濃に出さんとし、諸将に触る、是日、上野倉賀野直行、、、
永禄七 上杉輝虎、看経所及び越後弥彦社に願文を捧げ、武田信玄・北条氏康を討、、、
永禄七 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺玉竜庵の徒永東春輝、の請に応じ、、、
永禄七 小県郡定津院宗長、年室、同寺住持職を玄忠大休、に譲り、同郡全芳院、、、
永禄七 是より先、飛騨江馬時盛、武田信玄を恃みて、子輝盛・三木良頼等を討たん、、、
永禄七 諏訪社上社御射山祭、
永禄七 上杉輝虎、更級郡八幡社に願文を納め、武田信玄の撃滅を祈る、
永禄七 武田信玄、佐久郡貞祥寺をして、同寺領伴野庄の地を安堵せしめ、併せて、、、
永禄七 是より先、上杉輝虎、武田信玄と戦はんとし、更級郡川中島に着陣す、是日、、、
永禄七 武田信玄、高井郡温泉寺をして、同寺領同郡横湯の地を安堵せしむ、
永禄七 是より先、武田信玄、更級郡塩崎に兵を進め、上杉輝虎、之と対時す、是日、、、
永禄七 相国時雲頂院塔主集尭、仁如、茶湯数寄者村田宗朱の午松庵の詩会に列席す、、、
永禄七 木曽定勝寺前住持聖贇、玉林、同寺住持宗球天心、の請に応じて、その頂相、、、
永禄七 直江実綱、堀江宗親・岩船長忠をして武田信玄の軍に備へしめ、併せて水内、、、
永禄七 上杉輝虎、水内郡飯山城の普請を終へ、越後春日山城に帰る、翌日、輝虎、、、
永禄七 前妙心寺住持紹喜、快川、木曽玉林院住持玄朴淳巌、の請に応じて、、、
永禄七 武田信玄、上杉輝虎の兵の上野沼田に移るとの報に依り、小諸城将小山田、、、
永禄七 武田信玄、上杉輝虎の飯山に移るとの風聞に依り、真田幸隆をして、上野、、、
永禄七 冬至、相国寺秉払を行ふ、同寺雲頂院塔主集尭、仁如、頭首同寺玉竜庵の、、、
永禄七 高井郡温泉寺住持徳忠、節香、埴科郡豊泉寺を開創し、是日、入院す、
永禄七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、
永禄七 武田勝頼、筑摩郡小野社の銅鐘を鋳る、諏訪郡慈雲寺住持玄長、天桂、その、、、
永禄七 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、
永禄七 武田信玄、西条美作守に、更級郡原・今里の替地として、高井郡高梨領新保、、、
永禄八 相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
永禄八 是より先、武田信玄、兵を信濃より上野岩櫃に進め、同国沼田城を窺ふ、、、
永禄八 相国寺住持集尭、仁如、赤松晴政の秉炬仏事を播磨置塩村に修す、
永禄八 武田信玄、上野箕輪城を攻略せんとし、諏訪社上社及び佐久郡新海明神に願、、、
永禄八 諏訪社下社、明年常楽会頭役を、安曇郡小谷郷に充つ、
永禄八 諏訪社上社三月会、
永禄八 上伊那郡高遠町荊口薬師堂の修造、成る、
永禄八 諏訪社上社四月会、
永禄八 埴科郡豊泉寺住持徳忠、節香、同郡禅透院に住持となる、
永禄八 武田信玄・北条氏康の兵、上野に攻入るに依り、上杉輝虎、越後柏崎に兵を、、、
永禄八 諏訪社上社五月会
永禄八 相国寺住持集尭、仁如、足利義輝の秉炬仏事を山城等持院に修す、
永禄八 上杉輝虎、越後愛宕社に願文を納め、武田信玄の討滅を祈る、
永禄八 是より先、武田信玄、信濃より上野に入り、同国倉賀野城を陥れ、更に長野、、、
永禄八 相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、幕府の意を承けて、等循如環、を山城臨川寺、、、
永禄八 上杉輝虎、上野小泉城主富岡重朝に書を送り、武田信玄牽制のため、明日、、、
永禄八 諏訪社上社御射山祭、
永禄八 埴科郡禅透院住持徳忠、節香、再び同寺住持を全林旃室、に譲る、
永禄八 山城醍醐寺理性院尭雅、伊那郡文永寺宗然に伝法秘密を伝授す、
永禄八 木曽義昌、木曽定勝寺如意庵をして、同庵領を安堵せしむ、
永禄八 是より先、埴科郡禅透院住持全林、旃室、埴科郡豊泉寺住持となり、、、
永禄八 木曽黒沢若宮社の三十六歌仙板絵、成る、
永禄八 武田信玄、諏訪社下社をして、祭礼を再興せしむ、 千野信氏の書状及び某、、、
永禄八 伊那郡開善寺住持宗販、速伝、秀忠姓闕く、の請に応じて、その母宗智勝琳、、、
永禄八 是より先、上野池田佐渡守、真田幸隆を介して、武田信玄に属さんことを請、、、
永禄八 武田信玄、日向是吉をして、上杉輝虎の上野出陣に備へ、上野岩櫃城に赴き、、、
永禄八 武田信玄、筑摩郡西福寺の造営にあたり、同寺住持総芸才翁、に寺領を寄進、、、
永禄八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、、、
永禄八 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、
永禄八 木曽定勝寺、東福寺開山円尓三百年忌仏事奉加銭を同寺に納む、
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