林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻十五 天正九年(1581)~
巻十五 天正九年(1581)~
天正九 武田勝頼、甲斐韮崎に新館を築かんがため、分国中より人足を徴す、是日、、、
天正九 武田勝頼、小県郡大門郷の伝馬条規を定む、
天正九 武田勝頼、小県郡矢沢綱頼等の、上野沼田に於いて戦功を励むを賞す、
天正九 武田勝頼、諏訪社下社神宮寺井坊をして、同社千手堂を造営せしめ、その間、、、
天正九 武田勝頼、真下但馬に、その所領信濃曽利町分の郷次諸役を免除す、
天正九 武田勝頼、小川可遊斎に、知行を宛行ふことを約す、真田昌幸、之を奉ず、
天正九 仁科盛信、弥三朗姓闕くに、渋田見盛種知行所安曇郡狐島の地等を宛行ふ、
天正九 上杉景勝、更級郡の人岡田十左衛門に、越後北崎分等の地を宛行ふ、
天正九 木曽義昌、木曽興禅寺に禁制を掲ぐ、
天正九 神戸秀次、伊那郡知久平八幡社に社領を寄進す、
天正九 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、同寺を越後雲洞庵末寺として、同庵住持存達、、、
天正九 武田勝頼、浦野孫六郎等をして、某地の城普請を励ましむ、 勝頼、真田、、、
天正九 真田昌幸、海野幸光等の、上野に於いて軍功を励むを賞す、 幸光、武田、、、
天正九 武田勝頼、保科正直をして、伊那郡片蔵の闕落せる百姓を召還さしむ、
天正九 徳川家康、武田勝頼の属城遠江高天神城を攻めて、之を陥る、水内郡の人、、、
天正九 武田勝頼、香坂右近助をして、伊那郡円福寺に、同郡伊那辺の内の地を宛行、、、
天正九 木曽定勝寺、同寺惣門を造立す、
天正九 織田信長の将菅屋長頼、能登七尾城に入り、是日、須田満親等に答書して、、、
天正九 徳川家康、遠江奥山惣十郎等に、伊那郡遠山領等の地を宛行ふ、
天正九 武田勝頼、大竜をして、佐久郡安養寺住持たらしむ、
天正九 保科正直、伊那郡藤沢の八郎左衛門に、同郡藤沢片蔵の闕落せる百姓の跡、、、
天正九 武田勝頼、栗田永寿をして、亡父鶴寿の所領を安堵せしむ、
天正九 高井郡興国寺住持順京、高山、順尭に国皇授戒作法を伝授す、
天正九 武田勝頼、真田昌幸をして、上野沼田に帰城せしめ、是日、在城条目を与ふ、、、
天正九 小笠原貞慶、色部修理大夫に幕之伝授書を与ふ、
天正九 武田勝頼、上野箕輪城将内藤昌月に命じ、佐久郡竜雲寺門前番匠を、同寺、、、
天正九 武田勝頼、埴科郡西条治部少輔をして、上野沼田に在城し、真田昌幸の指図、、、
天正九 武田勝頼、甲斐善光寺の条規を定め、之を栗田永寿等に与ふ、
天正九 真田昌幸、須田新左衛門等の戦功を賞す、
天正九 武田勝頼、伊那郡建福寺の条規を定む、
天正九 上杉景勝の将村山慶綱等、越中番将村上景国等に替り、魚津城等を守る、
天正九 是より先、武田勝頼、小川可遊斎の請に応じ、兵を西上野に出す、是日、、、
天正九 平林宗忠等、高井郡夜交郷内を検注す、
天正九 武田信綱、筑摩郡牛伏寺に、同寺領増分を寄進し、同寺をして、信綱所領、、、
天正九 是より先、織田信長の臣佐々成政、越中勝興寺佐運を攻む、是日、佐運の将、、、
天正九 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、喜雲庵主姓闕く、のために秉炬仏事を行ふ、、、
天正九 織田信長、奥平喜八郎をして、信濃境に砦を築かしめんとす、是日、信長の、、、
天正九 織田信長、越後へ出陣せんとし、富田知信に書を送り、高井郡高梨等と共、、、
天正九 小県郡定津院住持玄忠、大休、同寺開山宗英拈笑、の百年忌仏事を修す、
天正九 武田勝頼、夜交左近丞に、その知行地高井郡夜交郷の検地増分の地を預く、
天正九 武田勝頼、佐久郡神頭大夫をして、父式部大夫の遺跡を安堵せしむ、
天正九 下条信氏、平沢勘四郎を伊那郡知久平代官となし、三石新左衛門分の地、、、
天正九 武田勝頼、兵を駿河に遣はして、北条氏政の軍と戦ふ、是日、勝頼、信濃、、、
天正九 佐久郡下曽祢浄喜、賢範、同郡追分諏訪社の大般若経を修補す、 浄喜、、、
天正九 下条信氏、伊那郡知久平代官平沢道性に契状を送り、同郷百姓の訴訟、、、
天正九 高井郡興国寺住持順京、高山、順尭に三宝印の切紙を伝授す、
天正九 諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、
天正九 是より先、諏訪社上社神長守矢信真、武田勝頼の新館竣工を賀し、守符、、、
天正九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
天正九 諏訪社上社、同社本年頭役料を注す、
天正九 伊勢内宮御師宇治久家、信濃国道者之御祓くばり日記を注す、
天正九 伊那郡開善寺住持宗販、速伝、武田勝頼の陣中武運長久を祈る、 勝頼の、、、
天正一〇 武田勝頼、上野善導寺に寺領を寄進す、真田昌幸、之を奉ず、
天正一〇 木曽義昌、武田勝頼に叛きて、織田信長に通ず、是日、勝頼、義昌、、、
天正一〇 木曽義昌、織田信忠の将塚本三郎兵衛尉に書を送り、信忠の来援、、、
天正一〇 織田信忠の先鋒河尻秀隆等、木曽・美濃岩村両口より攻め入る、武田、、、
天正一〇 北条氏政、同氏邦に信濃の戦況を問ふ、尋いで、また問ふ、
天正一〇 上杉景勝、唐人親広等の復属を賞す、是日、須田満親もまた旨を伝ふ、、、
天正一〇 是より先、紀伊高野山蓮華定院、駿河田中在城の依田信蕃に音信を通ず、、、
天正一〇 是より先、伊那郡松尾城の小笠原信嶺、織田信忠に降る、仍りて、是日、、、
天正一〇 木曽義昌、伊那谷を北進せる織田信忠の兵に呼応して木曽谷を鳥居峠、、、
天正一〇 織田信忠、日向宗栄玄徳斎、等を伊那郡大島城に攻めて、之を敗走せしむ、、、
天正一〇 市川信房、高井郡泉竜寺に、同郡高石分の地を寄進す、
天正一〇 是より先、北条氏邦、同氏政に信濃口の状況を報ず、是日、氏政、氏邦、、、
天正一〇 上杉景勝、木曽義昌の武田勝頼に叛くを聞き、勝頼に援兵を送らんとす、、、
天正一〇 織田信長、滝川一益・川尻秀隆等をして、伊那郡高遠城攻略のため、、、
天正一〇 北条氏政、同氏邦に、織田信長の信濃攻略の計画を報ず、
天正一〇 須田満親、越中に戦ひ、援を上杉景勝に請ふ、是日、景勝、海路出陣、、、
天正一〇 武田勝頼、穴山信君の徳川家康に降り織田信長に服属せるを聞き、兵を、、、
天正一〇 織田信忠、伊那郡高遠城主仁科盛信に降参を促す、盛信等篭城衆、之を、、、
天正一〇 織田信忠、伊那郡興禅寺等に禁制を掲ぐ、 信忠、伊那郡建福寺等に、、、
天正一〇 織田信長、河尻秀隆の情報に答へ、出馬の期を告げ、高遠城攻撃を慎重、、、
天正一〇 上杉景勝、信濃のことにつき、上条宜順政繁、に命ず、是日、宜順、之を、、、
天正一〇 織田信忠、伊那郡高遠城を攻めて、是日、之を陥れ、城将仁科盛信を斬る、、、
天正一〇 武田勝頼の将河野家昌等、水内郡長沼城にあり、是日、家昌等、春日山、、、
天正一〇 織田信忠、軍を諏訪郡に進め、諏訪社上社を焼き、高島城を攻取る、
天正一〇 上杉景勝、武田勝頼の請に依り、松本房繁等を水内郡長沼に出陣せしむ、、、
天正一〇 上杉景勝、飯山城将祢津常安等をして、織田信長の軍に備へしむ、、、
天正一〇 織田信長、美濃呂久渡に着し、仁科盛信の首級を実検し、之を同国、、、
天正一〇 真田昌幸、上野沼田城将矢沢綱頼をして、軍兵を召集し、その扶持、、、
天正一〇 織田信忠、陣を上諏訪より、甲府に移す、
天正一〇 是より先、高井郡市川新六郎、甲斐より帰国す、是日、上杉景勝、、、
天正一〇 上杉景勝、岩井信能の埴科郡海津以北の諸士を服属せしめたるを賞す、
天正一〇 小笠原貞慶、松林和泉に所領を宛行ふ、
天正一〇 是より先、上杉景勝、新発田重家を撃たんがため、春日山城を発す、、、
天正一〇 武田勝頼及び子信勝等、織田信忠の軍に破れ、甲斐田野に自殺、、、
天正一〇 武蔵鉢形城主北条氏邦、真田昌幸に北条氏直への臣属を促す、
天正一〇 織田信長、伊那郡根羽に着陣す、尋いで、武田勝頼の首級を実検、、、
天正一〇 直江兼続、岩井信能に誓詞を送り、今後の執成を約す、
天正一〇 小笠原貞慶、二木重吉等に所領を宛行ふ、尋いで、耳塚作左衛門等、、、
天正一〇 駿河田中城将依田信蕃、同城を徳川家康に明渡し、是日、佐久郡春日城、、、
天正一〇 是より先、武田信豊、佐久郡小諸城下曽根賢範岳雲軒、に頼る、賢範、、、
天正一〇 織田信長、宮部継潤に、信濃・甲斐・上野等の戦況を報ず、
天正一〇 望月印月斎、一峯、村田但馬守に佐久郡大日方の地を宛行ふ、
天正一〇 正親町天皇、信濃のことを織田信長の存分に任せらる、
天正一〇 織田信長、伊那郡飯田より上諏訪に移陣す、
天正一〇 上杉景勝、信濃・関東のこと及び海上風波のため、越中出陣を延引す、、、
天正一〇 是より先、徳川家康、諏訪に到り織田信長に会す、是日、木曽義昌、、、
天正一〇 依田信蕃、徳川家康の勧めに依り、遠江二俣に隠棲す、
天正一〇 小県郡室賀勝永、滝沢八兵衛の出仕を促す、
天正一〇 織田信長、上野及び佐久・小県の二郡を滝川一益に与へ、関東を鎮せしむ、、、
天正一〇 織田信長、筑摩郡深志城の城米を在陣の諸将士に頒つ、尋いで、北条、、、
天正一〇 上杉景勝、越中守将上野宗秀をして、須田満親の指揮に従ひ、信濃口、、、
天正一〇 上杉景勝、越後山寺院主の安曇郡仁科口の戦功を賞す、
天正一〇 織田信長、木曽義昌をして、所領を領知せしむ、
天正一〇 織田信忠、甲府より諏訪に帰陣す、尋いで織田信長、諸将を帰陣せしむ、
天正一〇 織田信長、武田氏旧領の国割を行ひ、諏訪郡を河尻秀隆に、高井・水内、、、
天正一〇 織田信長、伊那郡大島町等に禁制を掲ぐ、
天正一〇 織田信長、信濃金鑿等をして、旧地に還住し、国中採掘に努めしむ、
天正一〇 某、諏訪社上社神長守矢信真をして、その居所に還住せしむ、
天正一〇 木曽義昌、安曇郡栗尾の地を領地す、
天正一〇 岩井信能、安曇郡仁科口警備の任を解かれ、水内郡飯山に差向けられん、、、
天正一〇 上条宜順、政繁、直江兼続に信濃・越後境等の備につき意見を具申す、
天正一〇 森長可、埴科郡熊野権現に、禁制を掲ぐ、尋いで、更級郡康楽寺等に、、、
天正一〇 織田信長、帰洛せんとし、上諏訪を発し、甲斐に赴く、
天正一〇 上杉景勝、諸将をして、水内郡長沼城を攻略せしむ、
天正一〇 上杉景勝、信濃及び越中等の処置を、上条宜順政繁、に諮る、
天正一〇 真田昌幸、別府若狭等の、小県郡室賀家中の者を味方とせる攻を賞す、
天正一〇 芋川親正等、織田信長の将稲葉貞通を、水内郡飯山城に攻めて敗退す、、、
天正一〇 森長可、小幡昌虎をして、知行を安堵せしむ、尋いで、大室左衛門等を、、、
天正一〇 木曽義昌、安曇郡大綱宗兵衛慰等の臣属を促す、
天正一〇 上杉景勝、水内郡飯山・長沼両城救援のため、上条宜順政繁、を信濃に、、、
天正一〇 上杉景勝、尾崎重元に、越後鴨居村の地を宛行ふ、
天正一〇 木曽義昌、倉科朝軌に所領を宛行ふ、尋いで、所領を安堵せしむ、
天正一〇 上杉景勝、水内郡長沼城将島津忠直に、同郡上高野等の地を付し、、、
天正一〇 是より先、真田昌幸、織田信長に馬を贈る、是日、信長、之に答謝す、
天正一〇 上条宜順、政繁、信濃・越後境の新城構築につき直江兼続に報ず、、、
天正一〇 徳川家康、伊那郡下条頼安をして、領内守備を厳にせしむ、
天正一〇 小県郡定津院住持玄忠、大休、寂し、門弟欣隆、その席を嗣ぐも、同寺、、、
天正一〇 森長可、水内郡大滝土佐守等をして、当知行を安堵せしむ、
天正一〇 木曽義昌、某をして、羽生跡職を安堵せしむ、
天正一〇 藤沢頼親、筑摩郡宝積寺に、寺領を寄進す、
天正一〇 上杉景勝、芋川親正に、上杉景信分の地を宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝の将狩野秀信、越中の守将島津泰忠に信濃口の無事を報ず、
天正一〇 上杉景勝、西片房家をして、安曇郡仁科口を警備せしむ、敵地への往来、、、
天正一〇 織田信長、諏訪社に禁制を掲ぐ、
天正一〇 筑摩郡青柳頼長、同加賀に、同郡青柳陣屋を預け、更級郡大岡郷の代官、、、
天正一〇 上杉景勝、常陸佐竹義重並びに芦田盛隆に、信濃等の仕置堅固なる由、、、
天正一〇 森長可、塚原五郎左衛門をして、埴科郡坂木御堂山の松茸林に於いて、、、
天正一〇 上杉景勝の将直江兼続、安部令右衛門等信濃十七騎の衆をして、、、
天正一〇 上杉景勝、越中に出陣せんとし、本誓寺超賢に命じて、越後の坊主等を、、、
天正一〇 上杉景勝、本庄繁長に、信濃境の無事を報じ、明日、越中に出陣せんと、、、
天正一〇 森長可、水内郡春日与三右衛門慰等をして、当知行を安堵せしむ、、、
天正一〇 織田信長、木曽義昌の音問を謝し、木曽の仕置を厳にせしむ、
天正一〇 佐久郡正安寺前住周真、実照、同寺種才良室、に国皇授戒作法を伝授す、
天正一〇 高井郡興国寺住持順京、高山、順尭に自家訓訳を伝授す、
天正一〇 是より先、森長可、窪島日向守に埴科郡東条堀内分の地を宛行ふ、、、
天正一〇 是より先、諏訪社上社権祝矢島某、知久頼氏に玉会・音信物を贈る、、、
天正一〇 是より先、某、本誓寺超賢をして、上杉景勝と新発田重家と和解を斡旋、、、
天正一〇 木曽義昌、安曇郡金竜寺に禁制を掲ぐ、
天正一〇 織田信長の将森長可、信濃より越後に迫る、仍りて、上杉景勝、越中、、、
天正一〇 佐久郡岩村田竜雲寺、同郡小諸に移転せんとす、仍りて、滝川一益、同寺、、、
天正一〇 水内郡大安寺住持正頓、南室、同寺の徒正盛安室、に仏祖正伝菩薩戒、、、
天正一〇 上杉景勝、重賞を以つて、信濃の士小幡昌虎の臣属を促す、
天正一〇 真田昌幸、四阿山宝蔵院に、白山社造営料として、四阿山山守役等を、、、
天正一〇 小笠原貞慶、徳川家康の援を得て、信濃に還住せんとし、後庁勘兵衛慰、、、
天正一〇 真田昌幸、恩田伊賀守に、堪忍分として、小県郡上条及び上野沼田向発知、、、
天正一〇 上杉景勝、更級郡の人清水三河守の臣属を促す、
天正一〇 上杉景勝、水内郡栗田民部介をして、本領を安堵せしむ、尋いで、信濃の、、、
天正一〇 上杉景勝、更級郡綱島豊後守の物を贈れるを謝し、忠勤を励ましむ、
天正一〇 徳川家康、諏訪社上社に、禁制を掲ぐ、
天正一〇 小笠原貞慶、後庁勘兵衛慰の忠功を賞し、奉行人に列す、
天正一〇 木曽義昌、諏訪社上社祢宜某の、義昌のために祈念せるを謝す、
天正一〇 直江兼続、島津常陸介をして、譜代の家臣を召集め、上杉景勝に忠節を、、、
天正一〇 是より先、越中の唐人親広、織田信長討死等のことを上条宜順政繁、に、、、
天正一〇 松政、姓闕く、滝沢八兵右衛慰の忠信を賞し、知行を宛行ふ、
天正一〇 真田昌幸、鎌原重春の出陣の功を賞し、本意の上、知行を宛行ふべきを、、、
天正一〇 木曽義昌、大日方某の所領水内郡鬼無里の地を松本源丞等に預く、
天正一〇 徳川家康、窪田助之丞に、佐久郡竜雲寺領等を宛行ふ、
天正一〇 滝川一益、北条氏政の軍と上野に戦ひて敗る、尋いで、佐久郡に退く、
天正一〇 上杉景勝、水内郡飯山城将市川信房等の同城を開け渡せるを賞し、、、
天正一〇 上杉景勝、小幡昌虎等信濃の諸士をして、本領を安堵せしむ、尋いで、、、
天正一〇 依田信蕃、遠江二俣より、佐久郡に帰着す、
天正一〇 徳川家康、小池筑前守の信濃表に於ける調略の功を賞す、
天正一〇 真田昌幸、湯本三郎右衛門慰をして、上野吾妻城を守らしめ、地を宛行ふ、、、
天正一〇 北条氏政、伴野善九郎に佐久郡内山郷等を宛行ふ、
天正一〇 越中松倉城将須田満親、上杉景勝の越中出馬を乞ふ、
天正一〇 滝川一益、上洛せんとして、小諸城を発す、
天正一〇 北条氏政の臣斎藤定盛、千野昌房をして、一族等を催し、氏政の信濃、、、
天正一〇 直江兼続の使者、木曽より春日山城に帰り、木曽義昌の動静を報ず、
天正一〇 上杉景勝、小幡昌虎等信濃の諸士をして、本領を安堵せしむ、
天正一〇 木曽義昌、滝川一益の、諏訪に帰着せるを賀し、木曽逗留を勧む、
天正一〇 越中松倉城将須田満親、同国土肥政繁の将有沢図書助の忠功を賞し、、、
天正一〇 上杉景勝、春日与三兵衛慰に更級郡八幡料所内の地等を宛行ふ、、、、
天正一〇 上杉景勝、平林正恒をして、在所の仕置油断なからしむ、
天正一〇 木曽義昌、諏訪郡油川内記分等の地を、林治部右衛門に宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝、遠山丹波守に、更級郡八幡の地を宛行ひ、また、西条治部、、、
天正一〇 是より先、小笠原洞雪、貞種、上杉景勝の援を得て、木曽義昌を筑摩郡、、、
天正一〇 上杉景勝、越後黒滝城将村山慶綱に命じて、小県郡海野に出陣せしめん、、、
天正一〇 徳川家康、有泉信閑等を甲府に遣はし、信濃の計策を致さしむ、
天正一〇 斎藤朝信等埴科郡海津城在番衆、上杉景勝に信濃の形勢を報ず、
天正一〇 楠川将綱等、安曇郡小谷より、上杉景勝に人質のことを報ず、
天正一〇 越中の神保昌国等、上杉景勝に、信濃・甲斐の経略成れるを賀し、併せて、、、
天正一〇 上杉景勝、更級郡平林正恒をして、本領更級郡平林郷を安堵せしむ、
天正一〇 徳川家康の将榊原康政、筑摩郡深志調略につき、後庁勘兵衛慰の忠功を、、、
天正一〇 上杉景勝、西片房家をして、本領を安堵せしめ、更に、安曇郡飯田の地等、、、
天正一〇 伊那郡の諸士等、下条頼安及び徳川家康に起請文を進め、忠節を誓ふ、
天正一〇 徳川家康、諏訪郡に打入らんとし、駿河大宮に著陣し、下条頼安の参陣、、、
天正一〇 諏訪郡高島衆、北条氏政に属せんとし、樋口杢左衛門慰を使者として、、、
天正一〇 上杉景勝、高井郡須田対馬守等をして、本領を安堵せしむ、
天正一〇 小笠原玄也、貞種、二木重吉に所領を宛行ひ、また、小林妥女正をして、、、
天正一〇 徳川家康、小池筑前守の諏訪計略の功を褒す、
天正一〇 北条氏政、真田昌幸の臣日置五左衛門慰の功を賞し、所領を宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝、芋川親正等をして、某城普請を励ましむ、
天正一〇 徳川家康、甲府に到り、伊那郡知久頼氏をして、諏訪に出陣せしむ、
天正一〇 小笠原貞慶、筑摩郡深志城を復さんとし、恩賞を以つて百瀬石見守を誘ふ、、、
天正一〇 徳川家康、佐久郡平尾平三等に所領を宛行ふ、
天正一〇 尭雅、諏訪郡仏法寺尊朝の入寺再興を祝す、 尭雅より尊朝宛の書状
天正一〇 是より先、北条氏直、佐久郡小諸に依田信蕃を攻む、信蕃、同郡三沢に、、、
天正一〇 伊那郡松岡頼貞、関川総左衛門に、同郡市田郷内の地を宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝、島津忠直等の詫言に依り、原民部右衛門慰等を赦し、、、
天正一〇 上杉景勝、島津忠直に所領を宛行ひ、同常陸介等をして、、、
天正一〇 諏訪頼忠、諏訪郡高島城に拠り、北条氏政に款を通ず、是日、氏政、、、
天正一〇 北条氏政、佐久郡井出善四郎等をして、、、
天正一〇 北条氏政、佐久郡高見沢但馬守等に、知行を宛行ふ、
天正一〇 徳川家康、その将酒井忠次をして、信濃を管せしむ、
天正一〇 小県郡祢津昌綱、大須賀康高に依り、徳川家康に属さんとす、是日、家康、、、
天正一〇 徳川家康、下条頼安の、小笠原信嶺と謀り、藤沢頼親を誘降して、、、
天正一〇 上杉景勝、西片房家・楠川将綱をして、、、
天正一〇 是より先、北条氏直、信濃に入る、真田昌幸等緒将、多く之に属す、是日、、、
天正一〇 是より先、徳川家康の将酒井忠次、兵を率ヰて諏訪郡に入る、是日、忠次、、、
天正一〇 是より先、小笠原貞慶、叔父同玄也貞種、を攻めて、筑摩郡深志城を復し、、、
天正一〇 上杉景勝、川中島に出陣し、佐久郡在陣の北条氏直と戦はんとす、氏直、、、
天正一〇 是より先、依田信守、佐久郡伴野を攻む、是日、徳川家康、、、
天正一〇 是より先、小笠原貞慶、木曽義昌と筑摩郡本山に戦ひ、、、
天正一〇 正親町天皇、山城醍醐寺理性院尭助をして、毛利秀頼の、、、
天正一〇 徳川家康の将酒井忠次、諏訪郡高島城に諏訪頼忠を攻む、
天正一〇 北条氏政、柳沢孫右衛門に、諏訪郡桑原郷を宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝、高井郡の人仙仁靭負佐をして、本領を安堵せしむ、尋いで、、、
天正一〇 小笠原貞継、松林和泉をして、筑摩郡深志の地を沙汰せしむ、
天正一〇 徳川家康、依田信蕃に、諏訪・佐久両郡を宛行ふ、
天正一〇 徳川家康、知久頼氏をして、伊那郡知久本領を安堵せしむ、
天正一〇 北条氏政、真田昌幸の将矢沢綱頼等に、高井郡井上の地を宛行ふ、
天正一〇 木曽義昌、小野内記助に、筑摩郡桐原の地を宛行ひ、同郡林郷を預く、、、
天正一〇 小笠原貞継、小林勘右衛門等をして、筑摩郡栗林北方の地等を安堵せしむ、、、
天正一〇 上杉景勝、板屋光胤に横目役を命じ、更級郡布施等の地を宛行ふ、
天正一〇 下条信氏、伊那郡瑞光院の寺規を定む、
天正一〇 北条氏直、佐久郡竜雲寺をして、寺領並びに末寺等を安堵せしむ、
天正一〇 木曽義昌、福田某を民部少輔となす、
天正一〇 小笠原貞慶、筑摩郡若沢寺に禁制を掲ぐ、
天正一〇 下条頼安、糟谷与五衛門及び原満五郎に本領安堵を約す、
天正一〇 上杉景勝、信濃に在りて今井源右衛門に書を送り、、、
天正一〇 佐竹義重の将梶原政景、里見義頼の臣岡本但馬守に、、、
天正一〇 徳川家康の将酒井忠次等、北条氏直の大軍を率ヰて来るを聞き、、、
天正一〇 上杉景勝、香坂能登守等に、水内郡鬼無里等の地を宛行ふ、尋いで、、、
天正一〇 小笠原貞慶、犬飼久知をして、所領安曇郡犬甘等の地を安堵せしむ、
天正一〇 上杉景勝、村上景国をして、越後の知行地を安堵せしめ、条目を与ふ、
天正一〇 上杉景勝、大滝土佐守等に、地を給し、或は、信濃の知行地の緒役を免ず、、、
天正一〇 保科正直、諏訪社上社権祝矢島某の、玉会・守符を贈れるを謝す、 正直、、、
天正一〇 上杉景勝、更級郡荒砥在番衆を定む、
天正一〇 上杉景勝、水内郡上高野等の地を同郡長沼に付け置き、島津忠直をして、、、
天正一〇 小笠原貞慶、筑摩郡西福寺に、禅興寺分及び諏訪郡慈雲寺分の地を寄進す、、、
天正一〇 木曽義昌、三村織部介等に、筑摩郡斧沢遺跡を宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝、岩井信能等に、水内郡飯山城の条規を示す、
天正一〇 真田昌幸、宮下孫兵衛をして、横簗場を取締をしむ、
天正一〇 北条氏邦、諏訪社上社神長守矢信真の、北条氏のために祈祷せるを謝す、
天正一〇 徳川家康、木曽義昌に、佐久・小県両郡の人質を還すべきことを求め、、、
天正一〇 是より先、徳川家康、長坂右近助に、信濃の地の替地を甲斐に給す、是日、、、
天正一〇 小笠原貞慶、筑摩郡長興寺をして、寺領を安堵せしめ、また、、、
天正一〇 徳川家康、下条頼安に、、、
天正一〇 小笠原貞慶、筑摩郡日岐城を攻む、
天正一〇 芦名盛隆、上杉景勝の信濃平定を賀し、併せて、、、
天正一〇 小笠原貞慶、筑摩郡広沢寺をして、寺領を安堵せしむ、尋いで、、、
天正一〇 高梨頼親、高井郡庄内八幡宮に、社領を寄進す、、、
天正一〇 是より先、木曽義昌の臣愛若、姓闕く、木曽定勝寺に涅槃画像を寄進す、、、
天正一〇 水内郡臥雲院住僧某、山城妙心寺前住宗休大休、、、
天正一〇 小笠原貞慶、百瀬伝助に、安曇郡三溝の地を宛行ふ、
天正一〇 諏訪社上社神長守矢信真、徳川家康のために、武運長久を祈る、
天正一〇 徳川家康、今井兵部等の、佐久郡芦田に於ける戦功を賞す、
天正一〇 下野天徳寺宝衍、佐野宗綱、佐竹義重に信濃・甲斐の戦況を報ず、
天正一〇 小笠原貞慶、中島刑部左衛門に、筑摩郡泉の地を宛行ふ、
天正一〇 伊那郡高遠城主保科正直、埋橋彦助に、同郡埋橋の地等を宛行ふ、
天正一〇 是より先、木曽義昌、徳川家康に属す、是日、家康、下条頼安に命じ、、、
天正一〇 埴科郡海津城将村上景国、同郡練光寺をして、寺領を安堵せしむ、
天正一〇 佐久竜雲寺住持全祝、北高、某に同寺領を渡付す、
天正一〇 北条氏直、諏訪社上社神長守矢信真の、玉会・守符を贈れるを謝す、、、
天正一〇 小笠原貞慶、筑摩郡宝積寺をして、同寺領を安堵せしむ、
天正一〇 諏訪郡仏法寺尊朝、尾張万徳寺に於いてく、、、
天正一〇 徳川家康、木曽義昌をして、安曇・筑摩両郡を安堵せしむ 木曽義昌、、、
天正一〇 佐久郡小諸城主大道寺政繁、同郡釈尊寺仏供料を没収す、
天正一〇 青柳頼長、青柳新吉等に、筑摩郡女淵の地を宛行ふ、
天正一〇 下条頼安、塩沢藤右衛門に知行等を宛行ふ、
天正一〇 木曽定勝寺住持宗球、天心、大般若経を同寺に納む、
天正一〇 徳川家康、木曽義昌の、下条頼安と共に、諏訪を攻めんとするに賛す、
天正一〇 小笠原貞慶、安曇郡金松寺に、同郡西牧の地を寄進し、また、、、
天正一〇 上杉景勝、仁科盛直に安曇郡池田郷等の地を宛行ひ、、、
天正一〇 徳川家康、水上利光等をして、本領筑摩郡小松の地等を安堵せしむ、、、
天正一〇 山城智積院日誉、諏訪郡仏法寺尊朝に附法す、
天正一〇 徳川家康、依田信蕃に扶持を送る、尋いで、信蕃、北条氏直の兵と戦ひて、、、
天正一〇 徳川家康、木曽義昌に誓書を送りて、その知行等安堵し、また、、、
天正一〇 真田昌幸、町田外記に、本領埴科郡東条等の地を宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝、堀内久左衛門に、水内郡三才の地を宛行ふことを約す、
天正一〇 北条氏直、伊那郡大草休斎の戦功を賞す、
天正一〇 諏訪頼忠、篠原六丞に、諏訪郡南大塩等の地を宛行ふ、
天正一〇 是より先、高井郡大室左衛門慰等、新発田在陣の上杉景勝を存問す、是日、、、
天正一〇 家康、小笠原信嶺の使者を、木曽義昌の許に遣はし、、、
天正一〇 小笠原貞慶、安曇郡沢渡盛忠をして、沢渡の地を安堵せしむ、
天正一〇 諏訪頼忠、小平儀大夫に、有賀右衛門慰兵衛分の地を宛行ふ、
天正一〇 北条氏政、武田勝頼の遺臣佐久郡の人大井河内守に所領を宛行ふ、
天正一〇 伊那郡文永寺僧宗然、駿河宝幢院に於いて、潅頂常行心要法を書写す、
天正一〇 諏訪社上社神長守矢信真、徳川家康の戦勝を同社に祈る、是日、、、
天正一〇 徳川家康、平井出清右衛門をして、本領諏訪郡真志野の地を安堵せしむ、
天正一〇 高井郡興国寺住持順尭、嫩察に曹洞宗通幻派天真門徒の諸切紙を伝授す、
天正一〇 上杉景勝、島津下々斎をして、水内郡長沼城の普請を励ましむ、
天正一〇 小笠原貞慶、下条頼安に誓詞を送り、、、
天正一〇 小笠原貞慶、百瀬雅楽助等に、所領筑摩郡埴原等の地を宛行ふ、
天正一〇 犬飼貞知、岩垂忠助をして、筑摩郡原の地を安堵せしむ、
天正一〇 木曽義昌、千村俊政に、伊那郡小野等の地を与ふ、
天正一〇 北条氏邦、諏訪社上社神宮寺の、氏邦の為めに祈祷せるを謝し、併せて、、、
天正一〇 徳川家康、加津野信昌・依田信蕃等をして、真田昌幸に説きて、、、
天正一〇 知久頼氏、諏訪社上社権祝矢島某に、、、
天正一〇 依田信蕃、丸山左衛門太郎に、佐久郡本意の上、郡中大工を沙汰せしむ、
天正一〇 徳川家康、甲斐新府にありて、北条氏直の軍と屢兵を交ふ、、、
天正一〇 後庁久親、弥彦社に、伊那郡小野の地を寄進す、
天正一〇 北条氏政、小県郡祢津昌綱に、甲斐手塚等の地を宛行ふ、
天正一〇 真田昌幸、山口掃部介に上野玉泉寺分の地を宛行ふ、尋いで、、、
天正一〇 北条氏政、諏訪郡慈雲寺に禁制を掲ぐ、
天正一〇 諏訪頼忠、小沢源七郎に、諏訪郡上原古町屋敷等の地を宛行ふ、
天正一〇 村上景国、埴科郡明徳寺をして、寺領を安堵せしめ、また、、、
天正一〇 上杉景勝、新発田より帰陣せる旨を、夜交左近助に報ず、
天正一〇 保科正直、同名善兵衛に領地を宛行ふ、
天正一〇 木曽義昌、原平左衛門慰等の戦功を賞す、、、
天正一〇 小笠原貞慶、安曇郡倉科朝軌等に、曽山和泉遺跡等を宛行ふ、
天正一〇 徳川家康、諏訪郡五味太郎左衛門に、甲斐塚河郷内の地等を宛行ふ、
天正一〇 真田昌幸、湯本三郎右衛門慰に小県郡海野郷内の地等を宛行ひ、また、、、
天正一〇 北条氏規、吉田新左衛門に、信濃の兵の、駿河に侵入せんとするを報じ、、、
天正一〇 知久頼氏、平沢道性に書を送り、その子藤左衛門の討死せるを悔み、、、
天正一〇 真田昌幸、北条氏政の党祢津昌綱の兵を、小県郡祢津に攻む、尋いで、、、
天正一〇 真田昌幸、折田軍兵衛に、上野横尾の地を宛行ふ、
天正一〇 諏訪頼忠、諏訪郡内大工の、屋敷伝馬役を、旧規の如くせしむ、、
天正一〇 直江兼続、西片房家をして、安曇郡仁科口の警戒を厳にせしむ、
天正一〇 是より先、伊那郡高遠の保科正直、酒井忠次を介して、徳川家康に属す、、、
天正一〇 下条頼安、甲府在陣の徳川家康を在問す、是日、家康、之に答へて、、、
天正一〇 望月印月斎、一峯、村田但馬守に、小県郡有坂等の地を宛行ふ、
天正一〇 北条氏政、真田昌幸謀叛にあたり、祢津昌綱の忠信を致せるを賞し、、、
天正一〇 真田昌幸、小県郡信綱寺に、寺内門前の緒役を免ず、
天正一〇 北条氏政、樋口木工左衛門慰に、筑摩郡塩尻等の地を宛行ふ、
天正一〇 小笠原貞慶、倉科朝軌に、安曇郡内の地を宛行ふ、
天正一〇 真田昌幸、恩田伊賀守に、上野向発知等の地を宛行ひ、戦功を促す、
天正一〇 是より先、徳川家康、織田信雄等の勧により、北条氏直と和を媾じ、、、
天正一〇 上杉景勝、小谷衆大所豊後守の、安曇郡千国城攻略の功を褒す、
天正一〇 松岡頼貞、竹松又助に、伊那郡市田郷内の地を宛行ふ、
天正一〇 佐久郡前山城主伴野某、徳川家康の命に応ぜず、是日、柴田康忠等、、、
天正一〇 筑摩郡会田衆等、上杉景勝の援を得て同郡矢久城に篭る、是日、、、
天正一〇 上杉景勝、更級郡牧島足軽衆に、安曇郡仁科の内等々力等の地を宛行ふ、
天正一〇 徳川家康、松平左近丞に、信濃の敵状を報じ、同人の戦功を促す、
天正一〇 徳川家康、塚原六右衛門慰等の信濃等の本領を改め、、、
天正一〇 徳川家康、平原内記をして、本領伊那郡平出の地等を安堵せしむ、
天正一〇 小笠原貞慶、北沢孫左衛門慰等に、安曇郡内の地等を宛行ふ、
天正一〇 諏訪社上社神長守矢信真、同社に神頭を寄進せんことを、真田昌幸に促す、、、
天正一〇 徳川家康、小山田藤四郎の佐久郡岩村田に於ける戦功を賞す、尋いで、、、
天正一〇 伊那郡松岡頼貞、中平善三郎に同郡市田の地を宛行ふ、
天正一〇 依田信蕃、佐久郡高見沢庄左衛門に、所領を宛行ふ、
天正一〇 諏訪頼忠、徳川家康の帰陣を祝し、馬等を贈る、是日、家康、之に答謝す、、、
天正一〇 徳川家康、諏訪郡神戸平六に、甲斐長塚の内等の地を宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝、水内郡飯縄社に、同郡上野等の地を寄進す、
天正一〇 小笠原貞慶、竹内縫左衛門に、安曇郡飯田の内等の地を宛行ふ、
天正一〇 徳川家康、佐久郡平尾平三に忠節を促す、
天正一〇 真田昌幸、小県郡河原綱家の戦功を賞し、甲斐の内の地を宛行ふ、
天正一〇 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
天正一〇 徳川家康、矢崎又右衛門慰等の信濃に於ける所領を改替し、、、
天正一〇 徳川家康、甲斐善光寺の寺領及び諸法度を、先規の如く、、、
天正一〇 青柳頼長、同加賀に、筑摩郡青柳の地及び問屋を宛行ふ、
天正一〇 松岡貞利、今牧八郎左衛門慰をして、伊那郡座光寺の内の地を安堵せしむ、、、
天正一〇 伊那郡箕輪城主藤沢頼親、徳川家康の命に従はず、仍りて、、、
天正一〇 岩井信能、益村源七郎に名乗一字を許す、
天正一〇 上杉景勝、徳川家康の佐久郡に入ると聞き、飯山城将岩井信能等をして、、、
天正一〇 徳川家康、萩原市之慰をして、高井郡井上等の地を安堵せしむ、
天正一〇 上杉景勝、村上景国をして、郡司職を安堵せしむ、
天正一〇 徳川家康、五味管十郎等信濃の士に、甲斐に於いて所領を宛行ふ、
天正一〇 上杉景勝、仁科盛直・所伊賀守等に所領安堵を約す、
天正一〇 諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、
天正一〇 真田昌幸、丸山土佐守に命じ、上野伊賀馬場の地を、、、
天正一〇 依田信蕃、縫殿左衛門姓闕く、等に、駿河の内に於いて所領を宛行ふ、
天正一〇 諏訪社上社神長守矢信真、小笠原貞慶に玉会及び守符・音信を送り、且つ、、、
天正一〇 筑摩郡青柳頼長、伊勢大神宮に、同郡会田の地を寄進す、
天正一〇 佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、道心芳庵、姓闕く、、、
天正一〇 諏訪社上社、同社本年頭役料を注す、
天正一一 知久頼氏、平沢道性をして、本領を安堵せしめ、その子勘四郎に、、、
天正一一 上杉景勝、保科豊後守の請を容れ、高井郡保科一跡の地を宛行ふ、
天正一一 徳川家康、その将井伊直政に命じて、兵を伊那郡高遠口に出さしむ、
天正一一 仁科盛直、筑摩郡潮神明社に神田を寄進し、宮下彦右衛門慰をして、、、
天正一一 青柳頼長、伊勢皇大神宮に、筑摩郡苅屋原等の地を寄進す、
天正一一 依田信季、佐久郡井出佐左衛門慰に所領を宛行ふ、
天正一一 真田昌幸、宮下孫兵衛に、小県郡祢津領内の地等を給す、
天正一一 小笠原貞慶、小山佐渡守等の戦功を賞す、
天正一一 高梨頼親、伊勢外宮御師広田大夫の祓等を贈れるを謝す、、、
天正一一 上杉景勝、岩井信能を備中守となす、
天正一一 小笠原貞慶、安曇郡満願寺をして、寺領を安堵せしむ、
天正一一 諏訪頼忠、諏訪郡慈雲寺をして、同寺領を安堵せしむ、尋いで、頼忠、、、
天正一一 諏訪頼忠、諏訪郡安国寺門前衆に令し、同寺山林の伐採を禁ず、
天正一一 真田昌幸、飯島市之丞等の、小県郡丸子に於ける戦功を賞す、
天正一一 上杉景勝、上倉治部少輔に、水内郡飯山城在番を命じ、その軍役を定む、
天正一一 上杉景勝、領内領主等をして、安田筑前守家中の者を勘過せしむ、
天正一一 上杉景勝、大井田房中に、水内郡飯山の内の地を宛行ふ、
天正一一 是より先、上杉景勝、誓書を織田信雄・羽柴秀吉に送りて好を通ず、是日、、、
天正一一 是より先、知久頼氏、三石左近助新左衛門、を成敗す、是日、頼氏、、、
天正一一 依田信蕃、左衛門太郎姓闕く、をして、、、
天正一一 須田信正、伊勢皇大神宮に、高井郡井上郷内の地を寄進す、、、
天正一一 知久頼氏、松島清次郎に、伊那郡下村の内の地を宛行ふ、尋いで、、、
天正一一 越後春日山城守将黒金景信、上杉景勝に、、、
天正一一 小笠原信嶺、中島新三郎に、、、
天正一一 是より先、徳川家康の将依田信蕃、阿江木能登守を、、、
天正一一 小笠原貞慶の臣赤沢式部少輔・古厩因幡守・塔原三河守等、謀叛を企つ、、、
天正一一 依田信守、岡谷庄左衛門をして、無主の地を開発せしむ、
天正一一 直江兼続、越後祢知城将西片房家に書を送り、安曇郡仁科衆をして、、、
天正一一 木曽義昌、酒井彦右衛門慰の忠節を賞す、
天正一一 知久頼竜、伊那郡法全坊をして、同郡阿島の内河原の地を安堵せしむ、
天正一一 上条宜順、政繁、須田満親より、越中の情報を得て、之を上杉景勝に通ず、、、
天正一一 徳川家康の将依田信幡、佐久郡を平定せんとし、同郡・岩尾城を攻む、、、
天正一一 是より先、水内郡長沼城将島津忠直、同郡葛山衆と相争ふ、是日、、、
天正一一 木曽義昌、木曽原平左衛門に、牧野西光寺の内の地を宛行ふ、
天正一一 小笠原長時、陸奥会津に於いて卒す、
天正一一 松岡貞利、今牧八郎左衛門慰に、伊那郡座光寺の内の地を宛行ふ、
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