若松城跡の北西1kmの
諏訪神社は、
1294(永仁二)年芦名氏が勧請したと伝えられ、室町・戦国期になると芦名氏勢力拡大にともない、会津の総鎮守的な地位につきました。近世に入ると、蒲
生氏が100石の社領を寄進し、以後歴代の会津藩主もこれにならいました。しかし、1868(明治元)年、戊辰戦争の兵火にかかり、広大な敷地に造られた
社殿は灰燼
(かいじん)に帰して、今は昔の面影をとどめていません。鉄製注連
(しめ)(県文化)があり、注連に下げられた小札に、「永仁二(1294)年」の銘が刻まれています。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~hisaya/aidunosati.htm
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